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尖閣諸島実効支配

2003.06.16 活動報告 / 領土問題

尖閣諸島実効支配

平成15年6月17日





尖閣諸島魚釣島上空より全景を望む

 尖閣諸島魚釣島の灯台は昭和53年8月12日(日中平和友好条約調印)に建設、爾来今年で25年目を迎えた。



 今年は灯台のバッテリー交換時期であり、魚釣島渡島は5月12日〜18日の予定で出発、14日出港、15日に灯台保守点検、バッテリー交換、尖閣神社例祭、先人物故者慰霊祭が予定されていたが、計画の後に沖縄県が梅雨入りしたために尖閣諸島海域には梅雨前線が停滞し最悪の気象条件と重なってしまったことから魚釣島上陸は梅雨明け後に再度行うこととなった。

 また、今年の魚釣島渡島には日本青年社議員同士連盟幹事長である岡田康弘岡山県津山市議会議員も同行しているので、本HPにはと日本青年社が取り組んでいる尖閣諸島25年の歩みを報告することとする。




































































































































































































































昭和53年

8月11日

 午後3時15分、日本青年社七名の隊員が尖閣諸島魚釣島に上陸、同島に灯台を建設。灯台の光達距離は20キロメートル。

6月12日

 日中平和友好条約調印の日(北京・日本代表は園田外相)に日本青年社が建設した灯台に初めて「尖閣の灯」がともる。さながら日中平和友好条約に反対するかのように…

10月23日

 中国のトウ小平副首相が来日。 日中平和友好条約の批准書を交換。その席上「尖閣諸島を中国では釣魚島と呼ぶ。名前からして違う。確かに尖閣諸島の領有問題については中日間双方に食い違いがある。国交正常化の際、両国はこれに触れないと約束した。今回、平和友好条約交渉でも同じように触れないことで一致した。中国人の知恵からしてこういう方法しか考えられない、というのは、この問題に触れるとはっきり言えなくなる。こういう問題は一時棚上げしても構わない、次の世代はわれわれより、もっと知恵があるだろう。みんなが受け入れられるいい解決方法を見出せるだろう」と発言。それに対し福田首相は「日中の国益は守られた」園田外相は「この問題は、つきつめないほうがいい」などと発言。


昭和54年

9月

 谷牧中国副首相来日、記者会見で「尖閣諸島は元来、明確に中国領士である。しかし(石油資源)開発のためには中国の主権を棚上げしてもよい」と発言、外務省はこれに反発して「尖閣諸島が日本の領土であることは極めて明白。谷牧発言は理解しかねる」との見解を発表。

12月

 日本青年杜の尖閣諸島上陸隊は、同年5月に政府が同諸島に建設した仮ヘリポート、自動気象計Aー100型、測点標識を確認(政府は、これらを設置すると同時に、このとき尖閣諸島周辺海域の海流、波高、天候、地下水、生物などの自然条件の調査も行った)これに対し中国は厳重抗議。


昭和56年

5月8日

 日本青年社の尖閣諸島上陸隊が宿舎として使用していた建物が完全に壊されていたことを隊員が発見、殆ど使用不能。原因は前年8月28日午前零時25分台湾の基隆から神戸へ向かっていたフィリピン船籍「MAXIMINA-STAR号」が魚釣島へ乗り上げ難破する事故が発生して、同船の乗組員23名がこの宿舎を利用していたため。「MS号」の救助活動に当たった海上保安庁第十一管区保安本部によると、同船は台風に巻き込まれて魚釣島周辺海域を航行中、同島の灯台の灯を発見して同島に乗り上げたものと思われ、いわば緊急避難したと思われる。また、万一、灯台の灯を発見しなかったならば23名の生命は失われていただろうと証言。


昭和57年

3月

 二班にわかれて尖閣諸島へ上陸、石垣島の青年初参加、このとき海上保安庁から「不法航行は検挙する」と警告を受けたが、話し合いで解決。


昭和58年

3月9日

 尖閣諸島上陸を目前に、これまで上陸隊長を何度も務めていた江崎徹情宣局長(当時)が、那覇市内のホテルで急死、尖閣に生命を賭けた男の戦死であった。


昭和59年

6月

 女性隊員(萩野谷久子さんが女性として初めて尖閣諸島魚釣島へ上陸の快挙(久子さんは故萩野谷輝男夫人)。


昭和60年

4月

 萩野谷輝男茨城県本部長(当時)が家族2名とともに尖閣諸島魚釣島に住民登録、これを受理した石垣市役所は、のちに届け出をした住所が魚釣島であることに驚き「困ったことになった」と発言。しかし打つ手無し。


昭和63年

6月

 尖閣諸島上陸十周年を記念して新灯台を建設

6月

 新灯台を航路標識法に基づく正式な灯台として認可するよう第十一管区海上保安本部に申請書を提出。同本部も妥当なものとして受理したが、外務省がクレームをつけた。これについて事情通は「今の日中関係は非常に微妙な時期にきている。それは天安門事件の際に他の諸国は中国に対し強硬姿勢をとったのに対し、日本は「中国の内政問題」と軟弱だった。とくに外務省の中国課は“親中派”で固められていて、中国の機嫌をとり損ねてはマズイという思い入れがある」と語っている。日本青年社は外務省に厳重抗議。


平成元年

2月

 来日中のイーゴリ・ロガチョフソ連外務次官(当時)は、記者会見で北方領土問題も尖閣諸島や竹島の問題と同じように棚上げしたい」と発言。外務省はこれに反発。

7月20日

第十一管区海上保安本部灯台課に「灯台認可申請書」を再度提出。その後、本庁灯台部より連絡があり、申請者を変更するよう通告されたため、石垣島在住の住民に灯台を譲渡し申請する。また、このとき海上保安庁灯台部が灯台名を「魚釣島漁場灯台」と名づけた。

8月30日

 「灯台許可申請書」を改めて石垣島海上保安本部灯台課へ提出、受理される。


平成2年

6月

 第十二管区海上保安本部灯台建設専門官8名が、申請者代理人立ち会いのもと、「魚釣島漁場灯台」の検査を現地で実施した結果、(1)灯火の調整(2)予備電池の交換(3)基礎の補強を指摘されたので、ただちに補修工事を行う。

8月4日

 毎日新聞が連載もの「平和にっぽん 戦後四十五年の夏に」で、日本青年社が尖閣諸島魚釣島に建設した灯台を紹介、そのなかで外務省の役人が「天安門事件なんか見ていると、一般人としては(灯台の申請を認可するのは)怖い」と胸のうちを語った。

同年10月4日.海上保安庁灯台部より、さきに第十一管区海上保安本部灯台部に提出した灯台認可申請について「対外的な問題が介在しているので、暫く猶予期間がほしい」との回答。

10月12日

 海上保安庁灯台部監理課の藤原補佐官に申請後の経緯を尋ねたところ、「政府部内で検討を進めているが、結論を得るには今暫く時間がかかる」と回答。

12月3日

 海上保安庁・丹波晟長官(当時)に対し、灯台許可を認めない理由について質問状を提出。

12月27日

 海上保安庁第十一管区海上保安部・後藤康男次長(当時)より「灯台の許可を保留する」との回答あり。


平成3年

2月4日

 海上保安庁・丹波晟長官に「不作為についての審査請求書」を提出。

3月1日

 海上保安庁より「現在、関係官庁と検討中、結論を延期したい」旨回答あり。

4月25日

 大野明運輸大臣(当時)、海上保安庁・丹波晟長官(同)らと会い、さきの「不作為についての審査請求書」の裁決書が渡される。その際、内々の条件として魚釣島漁場灯台申請書・謝敷米三及び弟川崎安次の漁船は漁業操業を主として、灯台の点検、その他の作業を黙認するとの約束のもと裁決書を受けとる。

4月26日

 前項の審査請求に対し「第十一管区海上保安本部が処分を保留したのは妥当」との裁決。
平成4年

2月

 中国は揚尚昆国家主席名で領海法を公布・発動させたが、そのなかで尖閣諸島は中国固有の領土と明記したうえ、同諸島及び周辺海域への入域を実力行使(武力行使)で退去させる権限を軍に与えたと発表。事実、その直後から公海上であっても他国漁船は退去させられている。

4月13日

 海上保安庁・宮本春樹長官に対し、尖閣の灯台認可について要望書を提出。

4月28日

 海上保安庁第十一管区・田中仙治保安部次長より回答。内容は「政府全体の判断により、現時点では灯台の認可は見合わせざるを得ない」というもの。


平成5年

12月5日

 羽田孜外相(兼副総理)に対し、尖閣諸島領有問題についての質問状を提出。

12月17日

 外務省アジア局中国課・野本佳夫課長より回答。内容は「日本は尖閣諸島を実効支配している」とのこと。


平成6年

5月

 隊員の三名が魚釣島漁場灯台の補強点検を行う。 


平成7年

6月

 同上(隊員五名)、この活動は「週刊新潮」のグラビアで紹介された。


平成8年

7月15日

 北小島漁場灯台を七名の隊員が建設。

8月

 二度の台風により直管型灯台が金属疲労のため内陸部へ三十五度傾く。

8月

 直ちに二名の隊員を北小島へ派遣、原因究明に当たる。

9月9日

 北小島漁場灯台を修復。

9月10日

 北小島漁場灯台の管埋認可申請書を石垣海上保安本部に提出、受理される。

10月04日

 政府全体の判断により灯台の認可は保留する旨、回答届く。

11月26日

 北小島漁場灯台の認可保留について萩野谷輝男名で「不作為について審査請求書」を第十一管区海上保安本部長に提出。


平成8年

12月17日

 海上保安庁を名乗る人から北小島の灯台の灯が消えているとの連絡を受け、直ちに隊員を派遣して実地調査をした結果、灯台本体の曲がりと灯火が消えていることを確認。


平成9年

2月4日

 北小島灯台損壊につき沖縄県警に告訴状を提出、告訴状を警察が受理したことは、尖閣諸島に日本の行政権が及んでいる証でもある。


平成12年

 4月20日

 魚釣島に神社を建立(神官の上陸は戦後初めて)。



平成15年6月17日





尖閣諸島魚釣島上空より全景を望む

 尖閣諸島魚釣島の灯台は昭和53年8月12日(日中平和友好条約調印)に建設、爾来今年で25年目を迎えた。



 今年は灯台のバッテリー交換時期であり、魚釣島渡島は5月12日〜18日の予定で出発、14日出港、15日に灯台保守点検、バッテリー交換、尖閣神社例祭、先人物故者慰霊祭が予定されていたが、計画の後に沖縄県が梅雨入りしたために尖閣諸島海域には梅雨前線が停滞し最悪の気象条件と重なってしまったことから魚釣島上陸は梅雨明け後に再度行うこととなった。



 また、今年の魚釣島渡島には日本青年社議員同士連盟幹事長である岡田康弘岡山県津山市議会議員も同行しているので、本HPでは岡田康弘議員の手記とを報告することとする。

平成15年06月17日
日本青年社議員同志連盟幹事長
岡山県津山市議会議員
岡田康弘






古賀辰四郎の碑の前で

(岡田議員)

 最近、いろいろな機会に「日本はこれからどうなるのだろう」と聞かれることが多くなった。年齢は私と同年輩から若い人まで、さまざまであるが少なからず人々が、二十一世紀を迎えて、日本の将来が心配だと思っている。



 しかし、私はこうした問いを聞くと、むしろ安心感を覚える。何故ならば、この方々も真剣に日本のことを考えており、日本のこれからを憂慮していることを改めて気づかされるからだ。



 ちなみに私の生まれたところは岡山県だが、北部に位置する津山市である。津山市は鳥取県との県境にあたる山間部であり、海に面していないためか、土地柄、領土問題には関心が薄いようである。私が日本青年社に所属した昭和五十八年には、すでに尖閣諸島魚釣島に日本の領土であることを示す灯台が建設されており、毎年、灯台の保守点検と電池交換のために同志が上陸していた。これらのことは機関紙「青年戦士」などで報じてきたところであるが前記したように、私の生まれが山間部ということで、子供の頃から海に憧れ、特に日本が抱える領土問題に興味を抱いていたのは事実であるが、この度、偶然にも以前から尖閣諸島に上陸してみたいとの思いがかない、ようやくその機会がやってきたと安易な気持ちで上陸を夢見ていたが、それは大き間違いだった。



 以下に尖閣諸島への渡島記録を記す。


5月14日(水)

23:00 海保の荷物検査

23:00 石垣島登野城港出港



5月15日(木)

05:40 尖閣諸島魚釣島沖到着

06:30 上陸開始(三回トライ)

08:05 悪天候のため上陸断念

09:15 久場島(周辺調査)魚釣島から16キロ地点

10:40 沖の南岩・沖の北岩・北小島・南小島・飛瀬(周辺調査)

11:20 石垣島登野城漁港帰路

17:00 石垣島登野城漁港帰港



5月16日(金)

13:00 後かたづけ


5月14日(水)



23:00 



 海上保安庁による徹底した荷物検査を受け、挙げ句の果てにはポケットの中まで調べられる。別にどうってことはないが防弾チョッキを着用した上に盾まで装備している物々しさには驚きであった。



 また、カメラのフィルムの本数まで聞かかれた。まるで私たちが治外法権の他国に上陸するかのような徹底ぶりである。

 やっと荷物検査が終わったかと思ったら今度は乗船するチャーター船の立ち入り検査である。






雲が掛かりつつある魚釣島

23:40



 やっと石垣島登野城港である。船長に尖閣までの時間を尋ねてみたら朝方になるという。距離にして約175キロであるが、所要時間は6時間位だという。

 いよいよ出港だ。石垣島の灯りを背に受け、船首から流れる夜風を浴び心地よい。この時点では私たちにも余裕であった。しかし三時間後には悪夢を見ることとなったのである。

 石垣島の灯台の灯が見えなくなる頃、海上保安庁の船が少し離れて追尾してくるのが見えた。この頃になると島影は何も見えず、ただ巡視船の赤色灯だけが点滅しているのが見えるだけだった。

 この時、誰かが「思ったより寒くないな」といったが、私は空いている場所に横になって眠ってしまった。途中で目を覚ますと波が激しく船底を叩き、身体を床に容赦なく打ち付ける。揺れは上下だけでなく横揺れも激しく身体が左右に揺れるのを防ぐのに手を突っ張っているのがやっとであった。今度は雨である。大の男たちが船尾に身体を寄せ合い雨を凌いでいる。情けない話だが、その繰り返しで何とか現場に到着した。


5月15日(木)




朝日に灯る魚釣島漁場灯台

05:40



 夢にまで見た尖閣諸島魚釣島沖に到着。灯が見えた。尖閣の灯台の灯が見えた。思わずカメラを取り出してシャッターを切るが、立ち上がることができない。あまりの揺れに立ち上がることすらできない。私は、これが尖閤かと片手で支えを掴み、片手でシャッターを切る。誠に情けない。まわりを見回すと薄明りの中に海上保安庁の船が二隻に増えていた。おまけに巡視船からエンジン付のゴムボートとアルミボートの二艇が私たちの船を警戒している。

06:30

 

 上陸準備を開始。先発隊二人が荒波のなかにゴムポートを降ろして乗り込む。ロープをボートの先端に括り付け離船したが、ボートは瞬時に数十メートル流された。潮流が早くて上陸するような状態ではない。ロープを手繰り寄せもう一度挑戦する。ダメである。私より若い隊員たちが上陸を目指すが思うようにいかない。(私より若い隊員が挑戦してもダメなものを、私がやりますというようなことはいえる筈もなくただ眺めているだけである。自分の体力のなさ自信喪失か)三度目の挑戦を試みたが、どうしても離船する事はできない。何やら海上保安庁が叫んでいる。「波が高いから危険です」といっているようだ。手の届く程の位置にある尖閣諸島魚釣島までは距離にして150メートルほどだが悪天候が災いしてどうにもならない。

08:05



 三度目にトライもままならず上陸を断念した。考えてみればここで海難事故でも起きれば次回の上陸は難しくなる。それゆえ無理な挑戦は避けても致し方ないことである。リーダーの正しい判断だと納得する。

 

 この時私は『尖閣、我、よせつけず』残念無念の想いであった。これより北へ、26キロ先にある久場島に向かう。

09:15



 久場島周辺調査後に再び魚釣島沖に引き返す。魚釣島周辺には南小島・北小島の二つの島と、沖の南岩山・沖の北岩・飛瀬の三つの岩礁があるからだ。

10:40



 沖ノ南岩・沖の北岩・北小島・南小島・飛瀬周辺調査

11:00

 

 石垣島登野城漁港への帰路に付く

17:30



 石垣島登野城漁港に帰港


5 月16日(金)



 




無念!魚釣島を前にして去る

(岡田議員)

石垣島に帰還して思う。



 石垣島から175キロほど北に位置する尖閣諸島は東シナ海の中央にある。写真などで見る限りでは、「誰でも簡単に上陸できる」「誰にでも行けるだろう」と思う方々が大半ではないかと思う。(私自信身、安易な考えを持っていたことをつくづく反省)、まず、6時間からの長時間を時化の多い海の航海は、漁船の甲板で雨や風に耐えられる体力が必要である。船酔いに耐えられなければならない。実際に横になって休んでいても波が船底を強く叩くので身体が左右に転がる。それを支えるために突っ張っているために、筋肉の痛みや身体中の打ち身が帰港してからわかる。



 上陸開始にともなって魚釣島沖合150メートル地点からゴムボートを擢による手漕ぎで進まなければならない。(湖や溜め池でのそれとはまったく異なる)これには強靱な体力が必要で、最初に上陸する一番隊はロープを引っ張っていくが、このロープが波に流されゴムボートが瞬時に流されるという極めて危険な状況を目の辺りにして自分自身の体力の不安を感じた。ゴムボートでの上陸は三回の挑戦を試みたが悪天候のために断念。これも海難事故のために今後、尖閣に上陸できなくなってはとの思いからである。



 今回は、悪天候のために上陸を目前にして断念せざるを得なかったが、もし、今後その機会が来たれば、あまたの先人が住んでいたあの尖閣諸島に上陸してみたいという気持ちは以前より強くなり私は熱く燃えている。私が日本を思うとき常に想起するのは、碧一色の空のもと、海の彼方に望むことのできる新緑の島影です。正に尖閣諸島は日本というよりも祖国の人々を守り育ててきた母として、私たちを我が子を迎えるように抱きいれてほしい。いずれにしても、尖閣諸島はそう簡単に人をよせつけそうにない小さくても大きな偉大な島である。私たちの国、日本が抱える領土問題は、北方領土・竹島・尖閣諸島がある。北方領土はロシア、竹島は韓国、次は尖閣諸島に中国か台湾か……。尖閣諸島は、なぜ日本人が失ってはならない島なのか。その理由が多くの日本人にはよく判っていない。政争に明け暮れる日本政府は、肝心な大事なことを国民に知らせていないばかりか、この問題にふれないからである。


平成15年6月24日

領土問題対策局
国際局



産經新聞(6/24付・朝刊)
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平成15年6月23日、中国の活動家グループと称する一団が乗り込んだ中国漁船が日本固有の領土・尖閣諸島への上陸を目論んで日本領海に入り海上保安庁の巡視船八隻が出動して退去させたとのニュースがテレビ・新聞等で報道された。(右記事参照)

  大多数の国民は、未だ懲りない中国の領海侵犯に強い怒りを覚えたというが、近年、東シナ海の尖閣諸島問題に多くの国民が強い関心に抱き始めたことは大変喜ばしいことである。 また尖閣諸島に灯台を建設して以来、25年間にわたって固有の領土を実効支配している私たちもこの度の海上保安庁の苦労と活躍には敬意を表したい。



 だか然し、中国に対する外務省の対応は相変わらず憤りを禁じえない。何故ならば、23日に中国漁船が尖閣諸島周辺海域に来るという情報を外務省は前日の22日に把握しており、北京の日本大使館を通じて中国政府に懸念を伝えていたというが、中国外務省の孔泉外務官は中国の活動家が尖閣諸島魚釣島に上陸しようとしたことに対して、「釣魚島とそれに付属する島嶼は古来中国固有の領土で、争いの余地なく主権をもっている。中国の領土を侵そうとするいかなるたくらみも成功しえない」と強弁している。ならば、中国の活動家グループの領海侵犯行為は、一民間人の行為ではなく中国の国家ぐるみという国際犯罪ではないのか。なぜ外務省はそのことを毅然と主張できないのか。



 更には、23日に中国漁船が尖閣諸島海域に来ることが判っていながら、何故海上保安庁は、例え一時たりとも中国漁船の領海侵犯を許してしまったのかということだ。



 ここで私たちは言いたい!



 私たちは昭和53年に同諸島魚釣島に灯台を建設、爾来25年にわたって同諸島の実効支配を続けているが、その発端は同年8月12日に日中平和友好条約調印が決まっていながら、中国がその4ヵ月前の4月に機関銃で武装した百数十隻の中国漁船が日本固有の領土である尖閣諸島周辺に送り込みわが国に威嚇行動を行なうという重大事件が起ったことにある。だか当時の政府は中国の武装漁船団に何の抵抗もできず、ひたすら北京政府に漁船退去を打電するに過ぎないという醜態を世界に曝け出したのである。中国の武装漁船団は約1週間ほど同島周辺で威嚇行動を続けて退去したが、この事件は翌年わが国を訪れたトウ小平副首相(当時)の「コノ世代ノ人ハ知恵ガ足リナイ」「次ノ世代ノ人二任セヨウ」という棚上げ論を持ち出すことによって、尖閣諸島の領有権が如何にも中国にもあるかのような既成事実を作り上げられて今日に至っているのだが、このような中国の威嚇行動と、それに対するわが国政府の弱腰外交に危機感を抱いた民族派陣営は決死の覚悟で尖閣諸島に上陸、尖閣諸島は日本固有の領土であることを主張したのである。この上陸決死隊というべき民族派の行動の一端に日本青年社も位置を占めていたが、日本青年社は更に明確に領有権を主張するために、魚釣島に灯台を建設して領土の実効支配を開始したが、この25年間、灯台の保守点検作業が順風満帆に行なわれてきた訳ではない。というのは、外務省は常に中国に気兼ねし内政干渉を恐れるかのように、事あるごとに私たちの渡島を妨害してきたのである。



 こられの経緯については、今年2月3日付、産経新聞の「日本」において石原都知事が「海図に載らない灯台」と題して尖閣諸島問題に強く言及し() 「25年前に日本青年社が建設した灯台は、運輸省の指導に基づいて完成されたものであり、既に正式灯台の資格を充分に備えているのに外務省は支那の内政干渉を恐れて未だに灯台を認知していない」と国民に向けて厳しく訴えているが、正に正論である。



 日本は主権ある独立国家である、外務省が尖閣諸島は日本固有の領土だと明言するなら、何故中国に堂々はそのことを主張できないのか。

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 また、中国は、民間団体である活動家グループが日本固有の領土・尖閣諸島の上陸を目論むことを国家ぐるみで認めているのに、外務省は、私たち日本国民が尖閣諸島実効支配に関して、何故中国の顔色を見ながら言い訳をするような軟弱外交に終始しなければならないのか。



 それだけではない、中国は現在、日本領海内である東シナ海に海底石油の採掘施設を建設し、作業員90人が生活する居住区を作りヘリポートまで併設し、生産する石油と天然ガスをパイプラインで上海に送っているのである。このような事実を何故政府は黙認するのか。



 今こそ、政府が毅然とした態度で対中外交に臨まぬ限り、日本固有の領土・尖閣諸島上陸を目論む中国・台湾の領海侵犯事件はますます激化し、いずれわが国家主権を脅かされる事態が起こることも充分ありうるのだろう。



 再度訴える!



 尖閣諸島が日本固有の領土であることは歴史的にも疑いのない事実であり、外務省見解もそれを明確に認めている。また今年1月1日の読売新聞記事()にあるように、政府が尖閣諸島の地権者と賃貸契約まで結んでいる事実こそ何をか況んやであろう。



《尖閣諸島5島の住所》



 南小島……・石垣市字登野城2390番地(民有地)

 北小島……・石垣市字登野城2391番地(民有地)

 魚釣島……・石垣市字登野城2392番地(民有地)

 久場島……・石垣市字登野城2393番地(民有地)

 大正島……・石垣市字登野城2394番地(国有地・大蔵省)

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