第 一 部

 


第七章 日本の植民地の実態《満州(四)

張作霖の爆殺はスターリンの命令

 余談ではあるが最近発刊された、KGB(旧ソ連の工作機関)の極秘内部文書から明らかにされた「マオ―誰も知らなかった毛沢東」によれば張作霖爆殺は日本軍が実行したとされているが、実際にはスターリンの命令にもとづいてナウム・エイティンゴン(トロツキーの暗殺に関与した人物)が計画し、日本軍の仕業に見せかけたものだという。又「東京裁判」の最大の根拠となっている、田中義一内閣の「田中上奏文」が偽書であったことも明らかになった。大陸に侵攻し世界征服を行うという「田中上奏文」は世界中が日本を侵略国と認識する最大の理由になっているのであるから、この真実を明らかにする事の重大性は自明の理である。


近代国家建設に全力で取り組んだ日本

 明治維新以降、日本が東アジア大陸に対し共存共栄の為に注いだヒト、モノ、カネは異常とも言えるものであった。西欧列強は植民地を収奪の対称としてしか見ていなかったので、インフラ整備、教育など考えてもいなかった。日本は全ての殖民地を本土並の近代国家に成長させ日本との共存共栄を図ろうとした。それが最大の国家防衛策と考えたからである。だが結果は悲惨であった。大東亜戦争の敗戦で、日本が日清、日露戦争以来獲得してきた全てを失った。日露戦争で勝ち取った特殊権益とそれを四十年かけて拡大生産して築きあげた国富はソ連軍の不法侵攻により、一週間で奪われてしまった。全ての日本人が満州に近代アジアの夢を描き、多くの日本の若者が開拓民として入植していった。日本の敗戦にともない、中華民国の蒋介石は日本に賠償金の請求をしようと当時の国際常識の数字を算出したが、残留資産が多すぎて日本に請求する根拠が無かったと言われている。頭の良い蒋介石は日本に対し恩を売る方が得策と考え賠償放棄を表明した。現中国政府は日本に対して何ら請求する権利を持っていない。それ故「靖国問題」や「歴史問題」を持ち出しODEをねだる以外に道が無いのだ。


 最後に「植民地問題」を終わるにあたり、世界の殖民地の実態に少しふれておこう。

 植民地の始まりはローマ時代にローマ帝国の発展とともに植民地の拡大という形をとった。その後遊牧民による数千年の移民、殖民があったが私たちが「植民地」として認識しているのは大航海時代以降のものである。まずポルトガルとスペインがレコンキスタ(失地回復)に成功し世界中に艦隊を派遣した。ポルトガルはアジア貿易の拠点としてインドのゴアを占領した。中国貿易の拠点としてはマカオを租借した。スペインは南米を中心にポルトガル領のブラジル以外の全てを領有し、世界はポルトガル、スペインに二分された。しかしイギリス、オランダ、フランスなどが巨大な利益を生む植民地に目をつけないはずがない、オランダはスペインから独立すると直ちに東インド会社を設立し植民地支配を開始した。イギリスはスペイン艦隊を打ち破って最強の艦隊をもってアジアへ進出した。オランダとイギリスはインドで対立した。最終的にイギリスがオランダ、フランスを打ち破り支配権を確立した。フランスはアフリカとカリブ海に方向転換し植民地を拡大していった。ロシアはペルシャ、アフガニスタンを植民地にした。日本が日露戦争を勝利した二十世紀初頭にはアジアの独立国は日本、タイとズタズタに食い散らされた中国ぐらいしか存在しない状況であった。大東亜戦争は、それ故に欧州列強からのアジアの独立を目指した独立戦争でもあったのである。事実、アジア諸国は戦後次々と独立を成功させたのだ。

つづく

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