平成21年度
祝「日本青年社創設50周年記念総会」報告

平成21年7月29日


 日本青年社は本年、その前身である「楠皇道隊」結成から50年を迎えたことから、平成21年7月12日(日)、日本青年館(東京・新宿区)大ホールにおいて「日本青年社創設50周年記念総会」を開催しました。「記念総会」は立錐の余地もない盛況の中で、この度のロシア訪問報告と今後の活動に向けた多岐にわたる見解が述べられるなど、充実した雰囲気の中で滞りなく終了しました。



 日本青年社は毎年総会を開催して、多くの皆様のご参加を頂いておりますが本年は、創設50周年を迎えましたことから恒例の、「全国議員同志連盟・社友総会」を「日本青年社創設50周年記念総会」として記念行事としました。

 折しも創設50周年を迎えた年の本年、私どもは、北方領土問題解決と日ロ友好の扉を拓くべく行動を起こした、ロシア訪問を中心にしたテーマで進行されました。また開演に合わせて、ロシア訪問記録ビデオ「領土」歴史の幕開け 新時代を築く! 日本青年社、北方領土返還の突破口を拓く!を上映したあと、基調講演として、ロシア科学アカデミー東洋学研究所特別顧問・山梨学院大学大学院法学部教授、コンスタンチン・サルキソフ先生が登壇されました。(後記挨拶文を参照

 続いてロシア訪問団団長・日本青年社常任理事・杉山洋が「戦後64年、北方領土問題はなぜ解決しないのか」について講演があり(こちらを参照)、北海道釧路市代表の佐藤徹哉氏が、釧路市、根室市を始めとする北海道道東地区の元島民、漁業関係者、地元議員など多くの関係者の、北方領土早期返還を求める悲痛な叫びを代弁して会場に訴えました。(後記挨拶文を参照

 さらに全国社友会・小林明会長(後記挨拶文を参照)、議員同志連盟会長・松村茂夫埼玉県久喜市議会議員(後記挨拶文を参照)、議員同志連盟相談役 松川秀盛沖縄県石垣市議会議員(後記挨拶文を参照)が挨拶をされました。

 最後に、日本の伝統文化を継承する神輿會の方々130人によって、大神輿がステージいっぱいに披露されあとで大締めが行われました。

 閉会挨拶では、日本青年社は本日の「日本青年社創設50周年記念総会」を、今、ここからこれから迎える50年を目指す出発点とします」。と声高らかに会場に訴えて「記念総会」は滞りなく終了しました。




ロシア科学アカデミー 東洋学研究所特別顧問
山梨学院大学大学院 法学部 教授
コンスタンチン・サルキソフ先生

 日本青年社創設50周年おめでとうございます。

 改めて50年という半世紀を振り返って見るとその時代がいかに劇的に変わっているかと痛感します。世界も世の中もかなり変わってきました。一番大きな問題は、50年の間、解決できなかったものを今の新しい時代の力と知恵でいきなり解決するということはそんなに簡単ではないということです。つまり現在も過去を引っ張り続けている50年前のことを考えると、今日の総会の基本的なテーマの北方四島の問題は60年前に生まれました。これを考えて見ますとそれは日本と中国、アメリカ、当時のソ連とかの世代です。スターリン時代、毛沢東時代の世代ですが、今はかなり変わってきたんです。物質的にも科学技術の発展によりかなり環境が変わったんです。現在も色々な問題については矛盾だらけではありますが、ただその時々の歴史は重要なんです。どうして重要かというと歴史には教訓があるんです。

 私は領土問題も専門の一つですが、ハーバード大学でこの問題をどう解決すればいいかと考え、百くらいのシナリオを発想しました。その百の発想の中から解決策を選ぶのは政治家でありますが、この徹底研究で強く感じるのは、日本とロシア両国は、ある種の罠にかけられて来たということです。

 なぜかというと最初に千島について、1944年12月のことですが、スターリンが千島は日本の領土であり、平和的にサハリン島と交換された領土である。だから日本領土は、四島だけではない、とルーズベルトに話しかけた時、側近の一人がうるさいとさえぎりました。当時の雰囲気は、アメリカにとって日本は最悪の敵であり、その敵がもう一度立ち上がってアメリカにとって脅威にならないために、ポツダム宣言で日本の領土を四島にするということでした、そのポツダムにスターリンは参加していません。それはトルーマン、チャーチルと蒋介石でありました。

 もう一つはサンフランシスコ条約で吉田茂全権に、ダレスが声をかけたら千島は放棄するということになっていたんですが、四島は入ってなかったんです。 その話を聞いたダレスは、これはややこしい、条約原文を変更する時間がかかるから後でソ連と直接その問題を解決してもらうこととして、サンフランシスコ会議での自分の発言の中で歯舞だけを言ったんです。歯舞は千島に入ってないんだと。結局、それはソ連から見ると罠であったということです。しかしソ連だけではなく誰もが領土を手に入れると後で手離すことは大きな問題になります。幸いにしてロシアの首脳は固有の領土という言葉は使わず、戦争の結果だと表現していますが、戦争の結果だということはあまりよくないんです。なぜならば戦争で解決できるということになるからです。

 私はことし3月に日本青年社の代表団のお供をさせていただいてロシアに行ってきました。私もロシアもナショナリストです。ナショナリストというとちょっと言い過ぎかもしれませんが、ナショナリズムと言うのは愛国主義ですね。私にとっても自分の国を愛するということで非常に重要です。当たり前のことです。国という大きな家族の意味です。そのような中で、私が一番感激したのは、右翼と言われる日本青年社の50年間の環境が劇的に変わってきたということです。今の時点ではロシアとの建設的な関係とかお互いに理解しあって歩み寄よることが大事、それは政府の立場と同じですけど、お互いに受け入れ可能な方式でやれば、両国の国益に合致するんだということです。(中略)

 また外務省のガルージンさんの話は、率直な話であったんですが、日本の代表団が一番希望していた四島の帰属のことについてハッキリした意見がありませんでした、それは現段階では難しいんです。現実は現実ですからね。ただその現実を踏まえて次の段階といいますか、一歩一歩、関係を拡大してお互いに理解して共通の価値観が出てくれば領土問題の最終的な解決が少なくともやりやすくなるんです。これは常識であり建設的ですよ。ただ真正面から四島問題をゼロか全島かという立場での議論は時間の無駄遣いなんです。これでは水掛け論的になってしまいます。私は領土問題の解決は、理論的には三つの方法があると思います。

 一つは戦争、二番目は平和、三番目は裁判に掛けることですが、戦争は無理なのでこれはない。裁判に掛けると司法裁判所がありますが、これは両国ともかなり躊躇しているんです。そうすると残っているのは平和的に解決しなければならない、ということになります。ただ平和的に解決するためには知恵が必要ですし、我慢強く感情的になってはいけません。そういう意味で日本青年社の訪ロは凄く成功してたのです。そして5月にプーチンが日本にやってきました。その来日は領土問題解決に向けた大きな山場であり、画期的なポイントがいくつかあったのです。

 一つは彼がはじめて認めた領土問題というのは、喉に刺さっている骨みたいだ、だからその問題を解決してもっと幅広い豊かな関係が出来るんではないかと、それと領土問題についても以前と違っていたんです。領土問題は後にして環境を整備しましょうということでした。また将来を考える言葉が口から出ていませんが中国のことも重視して考えていると思います。するとその環境のもとで日本とロシアも領土問題を解決しなければならない。彼はですね、そういうことを納得して、三・五という領土折半で解決してもいいではないか、それも一つの選択肢だと、私はそれを読んで信じられなかったんです。前はこのようなこと受け入れなかったんです。その後は今日まで全てが大きく変わってきて、この間のイタリアサミットの結果になってしまったわけであります。(中略)

 二つめはロシアから見ると、あまりこういう感覚がないんですが、本音と建前、日本では本音と建前は一致してないんだと、もう一つ、領土問題でロシアが非常に感情的に反応したように見えましたがあれは感情的なものではないんです。物事は合理的に考えなければならないということです。これを日本の立場から見ると、内政の争い劇になるでしょう。

 もうすぐ総選挙です。総選挙の直前で総理はその問題を取り上げブレイクするといいますが、要するに突破口を見出す余裕がないんですね。なぜかというと彼はいずれにしても総選挙の後で総理ではないということです。問題を解決する場合、一番大事なのは相手です。相手を信頼して話し合う。私は麻生さんを信頼してもいいと思いますが安定している政権でなければなりません。時間がかるんです。

 また相当な内緒の話が必要です。その仕事をするために安定した政権が必要なんです。選挙の前ということもありますが、民主党は自民党を打倒するために何でもいいということで、民主党も四島一括返還と言う原則論の立場に立ちました。これには自民党も反応しなければならなかったのでしょう。すると今までと同じように国会で不法に占拠されたという言葉が出て新しい特措法が決議されました。しかしこれは日本の内政のことなんです。でもロシアから見ると、これは明らかに日本は歩み寄りで解決したくない、解決するつもりもないと受け止められるわけであります。

 色々な意味で5月からごく最近までの期間のことを検討し分析して十分にその教訓を身に付けこれからの日ロ関係について考えなければなりませんが、私はこれで終わりではない。これが始まりであると思います。そして問題解決までには複雑なプロセスがあり、信念が必要です。日本青年社にはその信念があります。そのために私は青年社の3月の訪ロも高く評価して、皆さんのことを尊敬しているわけであります。どうもありがとうございました。





『 北方領土問題早期解決を訴える 釧路・根室の関係者の声を代弁する』
北海道釧路市・佐藤徹哉氏

 只今ご紹介をいただきました北海道釧路市の佐藤徹哉でございます。本日はこのような大勢の皆様方の前でお話しすることは、大変僭越な事と恐縮をしている所であります。

  本日は、釧路、根室を始め多くの関係者から、会場いっぱいの皆さんに、是非、地元民の切なる声を伝えてくれとの事で、この場で立たせていただいております。

 今から3年前のある総会の席で、突然、日本青年社 松尾会長より、「佐藤さん、北方領土の問題は現地の人はどのように捉えているのか」という質問を受けました。

 私は、即座に答えることを控え、後日改めて報告をするという事で、その場は他の話題に移りました。

 その後、私は、急遽釧路、根室に再三再四、足を運び、時には「シンポジウム」や、勉強会、会合等、様々な場所に出向いては、様々な人達から多くの意見を聞きました。

 私も当初はマスコミや雑誌等と、現実の意見に大きな隔たりがあることに、少なからずも驚きを覚えたものであります。
 そんな経緯の積み重ねの上、この度のロシア訪問となったわけであります。訪問内容につきましては只今放映されましたDVDの通りであります。
  ロシアを訪問して私達の感じ得た体験は、日本・ロシア両政府とも領土問題解決には大変意欲的である感覚を受けたものであります。
 帰国後の私のもとには、各方面から色々な質問や、多くの意見が寄せられました。

 その様な中、最も領土問題に積極的な釧路市・伊藤良孝元市長を始め北海道大学教授・荒井信男、根室市市議会議員団、釧路市市議会議員団、元島民団体「千島連盟」、各漁港役員並びに漁港関係者、標津、羅臼並び近隣の漁業関係者、及び元島民その他多くの人達が期待を持って是非サルキソフ教授を招き、この度のロシア訪問の内容説明と今後の展開等について、シンポジウムを開催して貰えないかとの強い要望を受けました。

 かつて、この様な各団体が一堂に会すシンポジウムなどが行われたことは皆無でありました。この度のことが初めてであります。私は、このシンポジウム関係者達の強い熱意と期待の現われであると強く確信をし、日本青年社役員の皆様と開催実行の準備に入り、サルキソフ教授を囲んでの日・ロシンポジウムを先月6月21日、根室市に於いて開催することが出来ました。

 しかしながら、多くの地元民が、抱いたこの度の期待感や現地の声には耳を貸すことなく、しがらみや、選挙目的等を優先して、真の地元の声や、国益が無視されている事に強い怒りを覚えました。今、現場の人達は、長年の夢であり、希望であった北方領土の返還が一部の人達の声で遠ざかっていくのではないかと強い疑念に駆られていることであります。

 戦後64年、現地の人達は足を踏み続けられています。その間、国内世論は原理・原則にとらわれ、一歩も前に進んでいません。現実に足を踏みつけられていない国内世論は、現地の痛みを共有してくれないのではと疑問の声が出始めています。周辺住民はもう疲れ果てています。1956年、二島返還で「日・ソ平和条約」が結ばれようとした時、提灯行列までして祝ったほどです。領土交渉は、国の専権事項でありどの様な解決方法であれ、現地住民は国の方針に従います。

 現地の声を世論とし、強いては世界の声として一日も早い領土返還が実現することに多くの国民が現地の人達と共に立ち上がってくれる事を希望するものであります。

 つたない言葉ではありますが、私の現地報告とさせていただきます。





日本青年社全国社友会
会長 小林 明

 只今、ご紹介いただきました小林でございます。

 過日、私も日本青年社の訪ロ団の一員と致しましてロシアを訪問してまいりました。まず第一に感じたのは、どこかの隣国と違いまして、ロシアという国は反日・抗日の教育はなされておりません。非常にフレンドリーで、またその話の中身が本当にフィフティーフィフティーで私も感動いたしました。そう言った中で考えますとこれから先、返還交渉については政治家、官僚にゆだねるというお話がありましたが、私はとんでもないことだと思います。やはり我々の国民の総意なのです。いかに我々の北方領土、実際に現地に行けばわかります。すぐそこにあるんです。こんなとこがどうしてロシアの領土なんだ。うちの庭なんですよ、泳げない私でも泳いで行けるところにあるんです。どうかこの現実、先ほど北海道根室代表の佐藤先生の悲痛な島民、また北方領土近海の皆さんのあの悲痛な声。

 また約10年前でしょうか、やはりこの場所で我々日本青年社の大きな運動である北朝鮮の拉致問題、横田めぐみさんのご両親が悲痛な叫びで我々に訴えておりました。私も同じぐらいの娘を持っておりまして、あの悲痛な叫びがまだ私の耳の中に残っているんです。これもやはり国民の総意なのです。早く返してもらわないと。とんでもない悪性国家に対して、我々日本青年社また全国社友会も一生懸命頑張っております。どうか皆さん、手を携え国民の総意として拉致問題、領土の返還問題、今後ますます私も頑張りますのでどうか宜しくお願いします。



日本青年社議員同志連盟会長
埼玉県久喜市議会議員
松村茂夫

 只今ご紹介を頂きました議員同志連盟会長を拝命しております松村茂夫でございます。

 先ほど杉山さんがお話しましたように、竹島は韓国に実効支配されております。日本の政府は日本の領土であると明言していながらも、不法占拠されているのが現実です。政府もマスコミも、そして議員も、解散だ、選挙だと頭にあるのは自分のこと、目先のことばかりでございます。国家100年の大計など夢のまた夢、国のことを考える国民の一人として、本当に血の涙がにじむような思いでございます。

 一方、先ほどのお話にもありましたけれども、尖閣諸島、大陸棚の海底資源、更には地政学的に見た戦略的位置の重要性、それらは竹島と比べてはるかに狙われる危険性が高いと言わざるを得ません。にもかかわらず軟弱外交の日本が、現在かろうじて領土として確保できている。それはなぜでしょうか。

 正に日本青年社が独自に灯台を建設して27年間も、犠牲をいとわず守り続けたからでございます。民族派・日本青年社の国家と国益に対する驚くべき貢献であると思います。これがなければ尖閣列島は竹島以上に危険な悲惨な紛争地となっていることは間違いありません。日本の政治と国民が冷静さと本来の姿をとり戻した時、道義国家の尊厳と品格を取り戻した時、歴史はこの日本青年社の大きな事業に改めて高い評価の光を当てるでありましょう。そして今、私たちは熟慮に熟慮を重ねた結果、大きな決断をもってロシア連邦と交流し、日ロ関係の改善に取り組んでいます。
 北方領土の問題を解決させ、合わせて日本の安全保障に貢献できる道は何か。

  日本の国益のためにはロシアとの関係はいかにあるべきなのか。民間の心ある民族派としてどんな役割を担うことができるのか、ロシア訪問を契機に確実な手ごたえを掴んでおりますけれども、ここ数ヶ月の日本の政局のあきれるほどの混迷は、肝心な部分の具体的な進展をロシアに逡巡させていると思います。不安定な麻生政権、そして過日の北方領土特措法の制定、なぜこの時期に突然こうなってくるのか、日ロ関係の進展や改善をはばもうとする動きすら危惧されるところでございます。国政のおろかな混乱で最後のチャンスを、最後の機会を失ってはならないと思います。私たちの出番だと思います。国民がうねりのように声を上げ、行動を開始すべきときが来たと思います。

 私が尊敬する冒険家の星野道夫さんは、アラスカの暮らしの中でこう言ってます。ぽつんとある小さな湧き水があちらにもこちらにもある。それが集まってやがて川となる。誰も止めることができないとうとうとした大きな大きな流れになる。あるいは中国のある本の中に、一片の詩があります。翻訳しますと、黒々として枯れてるのか生きてるのかわからないような梅の古木がある。寒い中で凛と一つの梅の花が咲いた。咲いたと思ったら二つになった。そしてそれが三、四、五と、たちまちいっぱいに咲いた。そういう詩でございます。

 慶応大学の名誉教授で、平成国際大学の名誉学長であります中村勝憲先生は、「而今(にこん)」と言う会を主宰しておられます。「而今」の而は而(しこう)して、と読みます。そしてという意味です。つまり「而今」とは而して今、そして今、という意味です。今を全力で生きるという意味でございます。私たちは誰もがこれまで多くの艱難と辛苦の中で頑張り続けてまいりました。自分を磨き続けてまいりました。その磨き上げた今の自分の全力を出して事にあたろ う。磨き上げたこれまで苦労してきたではないですか一生懸命、そして今がある。その磨き上げた自分の全力で今ことに当たろう。そういう意味が込められた「而今」でございます。

 私たちは同志です。祖国日本を愛し、国益を守る同志です。英霊に感謝し、犠牲の尊さを知っている国士です。今、一つの目標に向って小さな湧き水が、大きな大きな河になるように、一つの小さな梅の花が、万と咲くように、そんな時が来たと私は考えています。青年社の方々がいよいよ結集し、絆を強め一つの目的に向う時だと思います。体を大切にして新しい時代の幕を開けましょう。




議員同志連盟相談役
沖縄県石垣市議会議員
松川秀盛

 沖縄県石垣市議会の松川秀盛でございます。さて先ほどより7名の先生が違った分野、角度から詳細に噛み砕いた切実な真実の言葉を賜りました。正にその通りであり、益々青年社の皆様方の行動活動に対して共感共鳴を得ました。

 さて、戦後64年、太平洋戦争終結その直後、ソ連軍が北方領土、色丹島、択捉島、国後島、歯舞群島を占領し、現在ロシア連邦が実効支配しているものであります。1951年、サンフランシスコ平和条約や、1956年、日ソ共同宣言で色丹島、歯舞群島を返還することが発表されたが、その後1981年、北方領土の日を制定した。その間、田中角栄首相、ブレジネフ書記長が会談を行い、その後両国の首相、大統領と歴代のトップ会談が幾度となく行われましたが、何の進展もなく現在に至っていることは事実であります。このことを日本政府は国民への説明義務を放棄し、国民は政府に対して怒りが充満しているものと私は痛感しているものであります。このような現状の中、日本青年社の皆さんが、日ロ両国の間の膠着状態に陥っている北方領土問題解決と、日ロ新時代の扉を開くべく政府に成り代わり強固なる決意と使命感を持ち、31名の勇猛戦士を選任し、日本青年社松尾和也会長をはじめとする訪問団が、ロシアの外相や首相を務めたプリマコフ氏を表敬訪問。訪問慣例の言葉として、日本青年社の方々は国を愛する非常に魅力ある団体ですと賞賛をされたそうであります。

 双方で意思を主張する中、杉山団長が、北方四島は、日本の帰属であると強調し、双方の譲歩には隔たりはあるが柔軟な姿勢を見せ、日ロ関係はこれからも推進すべきとの見解を示し、大変有意義で和やかな会談となったとの、コメントが3月30日、朝日新聞出版の月間誌AERAに、3ページにわたり詳細に掲載されました。

 このように政治団体が、ロシアに赴き領土を実効支配する国家に、主権を主張することは画期的なことです。日本政府の首脳などが過去に団体交渉を持ったということは聞いておりません。日本青年社が的確に現実を見つめて、自らが難関に立ち向かい、果敢に戦う日本青年社の精神を、日本政府や国民は今からでも学ぶべきではないでしょうか。

 日本青年社の決死隊が昭和53年8月11日、日中平和条約調印式前日に魚釣島に上陸、灯台を建設し、灯火が島々を照らし、尖閣諸島は日本固有の領土であることと、近海を航行する船舶の道しるべとして大きく寄与したのであります。あれから31年が経過しました。今、政府防衛省は、与那国町長より自衛隊の誘致を受け、浜田防衛大臣は自ら与那国島に訪問をされました。このことは最も重要な意味を持つものであり、日本青年社が国内外に発信していた尖閣諸島を日本の領土として、しっかりと近隣諸国に表示したことを、日本政府は、受け止め、しっかりした認識を持って行動すべきだと私は思います。

 日本青年社がおこなった今回のロシア訪問は歴史の幕を開け、新時代を築く。スローガンを掲げて強行スケジュールのも、領土返還の突破口となり、礎となる手本を日本政府に認識せしめた31名の先生方に厚くお礼を申し上げると共に敬意を表する次第でございます。

 石垣においても北方領土問題は、石垣の行政区域であります尖閣諸島と同じく関心を深く持ち、そしてさらには石垣島の住民1人ひとりがこの問題を新たな決意を持って認識を持つ。そして皆様と共に行動する。そしてこの新しい2一世紀に向けた日本青年社の皆様方の英知と卓越したご見識をもって、この厳しい山積する問題を持つ日本国の建設に皆様方とともに頑張っていく。そしてこのことが新しい日本の将来のビジョンとそして構築された日本国建設ができることを、私は強く確信するものであります。