「竹島」は日本の領土にして韓国の領土にあらず!
日本は韓国の度重なる暴挙を断固許してはならない!
平成14年08月26日

 昭和20年8月15日に終戦を迎えたわが国は、同27年4月28日、サンフランシスコ講和条約をもって主権を回復した。

  その3カ月少し前の1月18日、韓国の季承晩大統領は突然海洋主権宣言を発し、韓国から50乃至60浬の海洋資源及び地下資源につき韓国主権が存するとする国際法無視の一方的宣言を行い、「竹島」は韓国領土として季承晩ラインの中に組み込んでしまった。この韓国の違法行為が日韓に横たわる「竹島」の領有権問題の発端である。

そもそも「竹島」とは、江戸時代以前から日本人には「松島」として知られており。わが国は古くから島根県の漁師に渡航許可を与え、夏期数力月間は隠岐島漁民が仮小屋にすみ、漁を営んでいたのである。

 なお古記録に記されている「竹島」は、「鬱陵島」のことであり現在の「竹島」ではない。

 現在の「竹島」は、明治38年2月に、島根県告示第40号によって、「松島」を正式に「竹島」と命名し日本政府が島根県隠岐島鳥司の所管とし、5月には島根県が「竹島」を隠岐国四郡の官有地台帳に登録したのである。

 さらにさの歴史をさかのぼれば、享和元年(1801年)大社の矢田高当の書いた「長生竹島記」には、米子の村川氏が「竹島」において、大阪の徳兵衛なる者が石碑を発見し、大谷、村川氏渡島以前に既に日本人の足跡があることを示し、文禄、慶長の朝鮮の役に際しては、「竹島」を足場として朝鮮に渡ったものとしている。

 勿論、この「竹島」とは現在の「鬱陵島」のことである。

 朝鮮側の資料にも「鬱陵島」を「磯竹島」または「竹島」と呼び日本人がこの島を支配していたことを明確に記録している。

 「竹島」の拝領についても、三代大谷九右衛門の陳述「延宝9年(1681年・天和元年)に5月巡検使に対する請書によれば、徳川四代将軍家綱の時代になっている。但し、延宝9年の請書は、「竹島」拝領の時期を10年誤っているようなのでこの陳述の時期は更に古く三代将軍家光時代だと思われる。

 このように昭和20年4月18日に韓国の李承晩大統領が戦後のドサクサの中で、国際法無視の海洋主権宣言を発し、一方的に季承晩ラインを引くまで「竹島」は一度たりとも他国の領土になったり侵略を受けたこともないのである。

 以上のように「竹島」は、歴史的にも国際法上からも、日本固有の領土であり韓国は領土権を主張する根拠は一切ないのである。

 ましたやこの時期に、韓国が「竹島」を国立公園化しようとしたり「日本海」を「東海」に名称変更しようと企てたりすることは更に既成事実を強化しようとする暴挙は狡滑きわまりないことであり、この暴挙に対して政府・外務省が何の対応もできないことは、わが国が主権国家として世界に恥を晒している以外のなにものでもない。

 我々は、このような我が国の外交の現実は、国際社会にあって正に前代未聞、本末転倒であると断じざるを得ない。

◎政府は目本が主権国家であることを忘れるな!◎外務省は日本の財産・国益をまもるための外交の要であることを忘れるな!

 もし政府がこれ以上、無能無策な外交を繰り返すならば、外務省が国益に反する売国外交を繰り返すならば、最早、国民は黙っていまい。

 外務省は正しい史実に則って滑稽な韓国に対し厳重講義を行い、我国固有の領土「竹島」を奪還することを断固要求する。


関連HP
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/#外務省・竹島問題
http://www.pref.shimane.jp/section/takesima/top.html#島根県・かえれ竹島!「竹島は日本の領土です」