馬淵澄夫大臣宛抗議文を公開


更新日:平成22年10月18日

 
抗 議 文

国土交通省
大臣 馬 淵 澄 夫 殿

平成22年10月18日
日本青年社


貴殿は政権政党・民主党が誇る新進気鋭の政治家としての存在を広く知られており、菅改造内閣では国土交通大臣に就任されるなど今後の活躍が大いに期待されるところである。

然るに平成22年10月14日の参議院予算委員会において、自由民主党の西田尚司参議院議員が尖閣諸島に関する質問を行った際、貴殿は尖閣諸島魚釣島の灯台について『ある団体がこの灯台らしきものでありますが、これを設置し、その後はこの灯台に関しまして海上保安庁並びに私どものほうでこれを所管しているところであります』と答弁したが、我々は国土交通大臣たる貴殿の不見識極まりない粗雑な答弁に憤りを禁じ得なかったばかりでなく、当社にはこの放送を見た人たちから貴殿の答弁はおかしいと言った疑問と怒りの電話が数多く寄せられる事態となった。依って我々は前述の貴殿の答弁に対し下記の通り抗議申し上げる。



貴殿は尖閣諸島魚釣島灯台を『ある団体がこの灯台らしき』と答弁しているが、まずこの灯台は建設当初から我々が海上保安庁の細かい指導を受けて建設した灯台であり、既に一級灯台の資格を備えた灯台なのである。だからこそ灯台は現在は国家財産となり国有灯台として世界の海図に記載されているのではないのか。にも関わらずその海上保安庁を管轄する国土交通大臣ともあろう貴殿が、このような説明を怠り「らしき」と言うような答弁をしたのは如何なることなのか。我々は、この度の事件で尖閣諸島の領有問題に大きな関心を寄せる善良なる国民に大きな誤解を抱かせるような言動と、国益を損なうが如く言葉を予算委員会の場で吐露した貴殿を黙過することができず、ここに魚釣島灯台建設に関する真実と経緯を記して貴殿に教示することとする。

我々は、日中友好平和条約が調印された昭和53年8月に第1号灯台を建設。その10年後に現在の第2号灯台を建設した。この第2灯台建設に際しては、すべて当時運輸省の管轄下にあった海上保安庁の指導を受けながら製作して建設した物であり、灯台の名称を「魚釣島漁場灯台」を命名したのも海上保安庁である。又、この灯台の許認可についても、我々が再々にわたって海上保安庁水路部に認可申請書を提出してきたが、当時の政権政党であった自由民主党及び各関係官庁、官僚などが中共政府の圧力を恐れ、自己保身と安全主義に浸り、国家の損失、国民の安全を蔑ろし続けてきた結果、現在に至ったものである。又、民主党新政権は、政治主導を政権交代用語とし、多くの国民の期待と関心を持たせて政権交代した今、前政権と何ら変りなき権力に終始する無能極まりない対策と対応に我々は絶望せざるを得ない。言うなれば尖閣諸島魚釣島灯台の建設から27年の間、常に「時期尚早」と言う理由で海上保安庁に圧力を掛け続けてきたのは政府外務省だったのではないのか。このことについては元運輸大臣・石原慎太郎都知事がテレビや各地の講演で公言していることを貴殿はご存じないように見受けられるので、参考までに昭和53年に尖閣諸島に灯台を建設してから、平成17年2月に国家に無償委譲するまでの記録を収めたDVDを同封するので貴殿には尖閣諸島とは如何なるものであり、如何なる歴史を辿ったのかについて再認識し、貴殿が日本領海である日本固有の領土「尖閣諸島魚釣島」の灯台を「灯台らしき」と言った失言を認め、国民に誤解を招くような発言を国会の場で明確に修正することを強く要望するとともに貴殿の良識ある回答を求めるものである。