平成14年08月23日
領土問題対策局長 富施 光治
沖縄県与那国支局長/古代遺跡調査委員長 新嵩喜八郎
沖縄県石垣市登野城2392番地とは、いわずと知れた尖閣諸島魚釣島であります。
日本青年社は、昭和53年に魚釣島灯台を建設し日本の光を灯し24年が経ちました。
当時、魚釣島に渡るには大変な時間と忍耐が必要であり大変苦しい戦いでした。まず東京から飛行機にて那覇に到着、乗り換えて石垣、更に乗り換え、与那国到着という一日がかりの強行軍だったのです。ここまでは、まだ楽なほうで与那国から尖閣諸島までの行程が大変でした。そこで私達は当時を振り返って見たいと思います。与那国到着後、尖閣に渡る為、お世話になる協栄丸の事務所、崎原海運に挨拶、スケジュールの打ち合わせの為、出掛けるのですが私達の乗る船はまだ那覇との事、「何時入港ですか」との問いに、「積荷が満載にならないのでまだ分からない、不定期な貨物船の為、貨物が満載にならないと採算が合わないから」との返事、約束が違うと怒る事もできず、また船が入港しているのに「天候を見てからでないと出港できない」と言う、今では考えられないいろいろな障害が立ちはだかっていたのです。
当時の航路は、夜与那国を出航し、早朝尖閣諸島到着と言う航海で約半日もかかりました。貨物船独特な臭いと東シナ海の大時化(おおしけ)で船酔い、想像を絶する思い出到着するや、すぐ同志と船員での灯台部品、食料、他貨物の積み下ろし、魚釣島の入江と貨物船の間を何回にも分け小型ボートで往復するのです。波が高い場合は貨物船上で海が穏やかになるまで待機、近くの高台にある鰹節工場に国旗掲揚、水の確保、キャンプ設営、落ち着くまもなく魚釣島西端にある虎の口までアップダウンの激しい道無き道を、重い灯台部品を担いでの移動、この辛さは言葉に言い表せられません。
与那国で天候待ちの日々、私達上陸決死隊は、島の人々の温かい思いやりや、ご助言をいただきました。昔、家を建てる為に木材を魚釣島から運んだ事や、台湾の漁師がアホウドリの卵を採集に上陸していた事など、尖閣諸島に関する貴重なお話を聞かせてくださり、食料の事など心配してくださいました。我々決死隊は悪天候や船の故障等色々な状況を考え、万一魚釣島に迎えの船が来られない場合を想定し、食料(缶詰、米、乾物他)は充分に用意していますとお答えしましたが、島の方々が更に最悪の場合を考え、山羊(やぎ)を持っていくようにと、雄、雌(子持ち)二匹をプレゼントしてくださったので有り難く好意に甘えました。
そのような事が切掛けで、山羊が我々決死隊とともに魚釣島に渡ることになったのです。翌年に灯台点検の為、魚釣島に訪れると数えるほどでしたが、数年たち、すごい繁殖力で数百頭に増え、入江前で停泊している船まで山羊の臭いがするようになりました。隣国台湾の新聞では魚釣島で山羊が繁殖し、山羊島だと報道されていました。同じころ沖縄県では、琉球大学池原貞夫教授を団長に、尖閣諸島の植物等調査の為調査団を派遣しており、魚釣島に上陸した池原教授は山羊を見て大変驚かれ、近い将来植物の生態系が変わる事になるだろうとの記事が調査後、地元新聞にコメントとして載っていました。
平成8年7月15日第三灯台を北小島に建てた時、橋本総理大臣は訪中、その為か尖閣周辺は今までに無い異常な警備でした。灯台建設後から強い台風が連続して尖閣諸島を襲いました。北小島魚場灯台も傾きました。台風か人為的か調査しましたが明らか人間が関与した形跡があり平成8年12月に立て直しました。忘れもしません、平成9年某外国人に壊され、管轄所である八重山警察署に被害届けを提出、受理されましたが未だに何の回答もありません。そう言う事から以前にも増し尖閣諸島に行く回数が増えました、そのころからです魚釣島が行くたびにがけ崩れが多くなり、島の形が変わっていく姿が目にとまるようになりました。最近では以前にも増しがけ崩れの箇所が増え大変な状況になっていることを確認しました。
尖閣諸島はわが国固有の領土です。戦前は多くの日本人が生活をしていたのです。戦後無人島となり他国の内政干渉によって紛争地域と化した東シナ海の尖閣諸島を250隻にも及ぶ、中国漁船団が不法に領海侵犯し何度も侵略行為を繰り返したのです。これを同志が命懸けで体を張り阻止し護った日本国領土です。南小島では撲滅したと言われたアホウドリを16年前には同志が確認し、今では数十羽に増えており、大正島はクバの木(ビロウ樹)が生い茂り、北小島は灯台の明かりこそは無くなりましたが24年前のままです。そこで同志諸兄、諸先輩、立ち上がろうではありませんか、魚釣島に緑を魚釣島に自然を取り戻そうじゃありませんか、今、私達日本人の手で窮状を打開する必要があります。
その為には一人でも多くの国民が尖閣諸島の存在を知ることではないでしょうか。我々の手で昔の魚釣島に戻し、大切に保護し、子々孫々に残そうでは在りませんか。
自然と共生 環境と調和を守る為に。