憲法違反の判定とその内容
平成14年2月12日総本部憲法調査研究委員会
委員長:横山正幸
第八十一条 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。
この条文は最高裁判所の特別の地位を定めた規定である。この条文は最高裁判所は、すべての国家的行為が憲法に適合するか否かを決定するということである。すなわち憲法上、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するか否かを決定する権限をもっているということである。そして、法律、命令、規則にかぎらず、具体的行為も審判の対象となる。裁判そのものも審判の対象となる。これを違憲審査権という。そして又、最高裁判所のもう一つの特別の地位は、終審裁判所であるという事である。ということは、一般に、裁判は最高栽判所の裁判でもはや国家制度上争うことのできないものとして確定するということである。(よく巷では「最高裁まで争うぞ」という言葉を耳にすることがある)
ところで、この最高裁判所の違憲審査権は、法律、命令、規則については、争われた具体的事件との関係においてのみ認められるのか。それとも、争われた具体的事件と関係なしに一般に法律そのもの、あるいは命令および規則そのものが違憲か合憲かも審査できるものであるかについては、学説は分かれている。最高裁判所の違憲審査権は、具体的事件との関係においてのみ認められるという学説においては、裁判所というのは立法機関ではないから、具体的事件を裁判するにあたって、法律、命令、規則が、憲法に適合するか否かを、審査し決定することができるとするのである。この学説においては、たとえ違憲の裁判があったとしても、その法律、命令、規則が一般に効力を失うことはなく、ただ、その具体的事件との関係においてのみ効力を失うこととなる。現在、最高裁判所はこのような見地をとっている。
「わが現行法制の下にあっては、ただ純然たる司法裁判所が設置せられているのであって、いわゆる違憲審査権なるものも、下級審たると上級審たるとを問わず、司法裁判所が当事者間に存する具体的な法律上の争訟について、審判をなすため必要な範囲において行使せらるるに過ぎない」(最高裁判所大法廷昭和二十八年四月十五日判決)
そして又、
「…直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為のごときはたとえそれが法律上の争訟となり、これに対する有効無効の判断が法律上可能である場合であっても、かかる国家行為は裁判所の審査権の外にあり、その判断は主権者たる国民に対して政治的責任を負うところの政府・国会等の政治部門の判断に委され、最終的には国民の政治的判断に委ねられているものと解すべきである。この司法権に対する制約は、結局、三権分立の原理に由来し、当該国家行為の高度の政治性、裁判所の司法機関としての性格、裁判に必然的に随伴する手続き上の制約等にかんがみ、特定の明文による規定はないけれども、司法権の憲法上の本質に内在する制約と理解すべきである」(最高裁判所大法廷昭和三十五年六月八日判決)これを統治行為の理論という。
日米安全保障条約に基づいて米軍がわが国に駐留することが憲法九条に違反するかどうかが争点となった裁判でも最高裁判所は同様の見地をとっている。
結局、この意味は、法律そのものの改廃は、立法者の任務であって、裁判所の任務ではないということである。裁判所の違憲判決によって法律が無効になるとすれば、裁判所が消極的な立法作用を行うことになってしまう。憲法上、国会は国権の最高機関であり、国会以外の国家機関たる最高裁判所が、国会の制定した法律でも、違憲と判断すれば無効となるのなら、憲法上の国会の存在自体がおかしくなってしまう。
第四十一条 国会は、国権の最高機関であって国の唯一の立法機関である。
このように見てくると、結局は現行憲法の根本原理(国民主権)からくるものであることがよくわかる。現行憲法の根本原理がいいか、悪いかは、改憲の際ぜひとも検討しなければならない事柄である。