日本青年社のスローガン
“自然と共生 環境と調和”の積極的意義
平成13年5月10日
日本青年社は新世紀のスローガンを“自然と共生 環境と調和”と決定し、そのスローガンを具体的に表現するために車両のボディーに環境デザインを掲げたり、環境ステッカーを隊員に配布してその自覚を高めている。
実践的には、このスローガンを決定する以前に、石原東京都知事の「都心へのディーゼル車乗り入れ規制」に賛成するとともに、本年当団体の機関紙「青年戦士」4月号の冒頭で「米国は京都議定書離脱を撤回」することを強く要求した。
なぜ日本青年社はこのスローガンを掲げたかの意義については、機関紙「青年戦士」で明らかにしたが、その積極的意義を更に内外にアピールするためにこの度あえてホームページに掲載することとした。日本は「公害」の先進国だ。水俣病、イタイイタイ病に明らかなように、日本の文化を放棄し、欧米資本主義に根強い「人間の力で自然を克服できる」との思想が明治以降「輸入」され、それまでの日本的伝統「自然と共生」がないがしろにされてきたために、「森と水」は次々と破壊されてきた。
こうした文化に反対し、1960年代に「自然と共生」を最初に訴えたのは建築家の黒川紀章氏であった。そのきっかけは彼が大学院時代にみた戦後最大の台風である「伊勢湾台風」にあった。彼はこの台風で自然の恐ろしさを知りつつ、自然が堂々と再生していく姿を見て、湾岸、都市をコンクリートで固める自然破壊に疑問を持ち「共生」のシステム復活を提唱した。
つまり、自然の恐ろしさをしっかりと認識し、同時に自然がもつ再生の力に彼は賭けたのだ。しかし、現実の日本は「自然に人間の力で克服する」コンセプトにこだわり、「人間と自然」の関係をないがしろにしてきた。その代表が「コンクリートの文化」だ。
いい換えれば、コンクリートで自然を封じる政策だった。そこには自然の再生力に対する不信でもあった。
だが、世紀末から新世紀にかけて、人間は「産業革命」以来の文化に対して世界的に疑問の声が挙がり、「自然と共生 環境と調和」のために画期的な「京都議定書」が合意されたのである。
だから日本青年社は「米国」に警鐘を鳴らし、京都議定書離脱の撤回を強く要求した。
私たちは「自然に再生力」があるとの日本的文化を復活させ更なるアピールを全世界に発信するものである。このことは当然のこととして「環境と調和」と密接に関係するものであり、こうした意味でこのスローガンは世紀を超えた画期的なスローガンといえる。
「二酸化炭素による温暖化」「フロンによるオゾン層破壊」は私たち人類にとって喫緊の課題だ。そのために現在、最も積極的な日本の産業「自動車」「電機」だ。開発費は高くつくが、世界に対し先駆的役割を果たしてほしいものだ。それとともに「裏切り」を許してはいけない。この先駆的役割に対し私たちはエールを送りたい。このために「電機」に対しては「原子力」が依然として人間が完全に制御できないことを自覚し、安全に万全を期することを要求するものだ。かてて加えて、こうした先駆的「産業」に対し全産業が学び、これまでの「科学万能」を排除し、日本が持つ技術力が「自然と共生 環境と調和」に活かされることを期待する。このことはこうした産業に責任を持つ「行政」が積極的な姿勢で臨むことは当然のことだ。なにしろ日本の「行政」は硬直していて「一度決めたら実行する」ことで名を馳せている。
だが、今日の状況はこのような姿勢は、東京都、長野県で知事の思想を超えて見直されている。このため私たち日本青年社は再度、声高に「自然と共生 環境と調和」を日本、世界に強くアピールする。