安倍政権は経済の成否に左右されない
磐石な体制を築け

平成25年7月26日

 平成24年11月、民主党から政権を奪還した自民党は安倍晋三氏を首相に据え、混迷していた我が国の外交、経済の建て直しに着手した。発足当時は国民の支持率は低迷していたが、安倍政権への期待は一挙に高まり今年に入ってからは他党を寄せ付けない勢いを保持している。しかし政権発足から八ヶ月を過ぎ、様々な問題点が浮上しているのも事実である。保守民族派の立場から冷静に検証をし、軌道修正を求める必要があるのではないだろうか。 


世界から尊敬される道義国家の樹立を


 戦後68年を経て、我が国は新しい時代に入ろうとしている。あまりに長い「戦後」に終止符を打ち、新時代を迎える事を多くの国民は待ち望んでいたのである。「戦後レジームからの脱却」を掲げ、短命に終った安倍前政権の復活を国民が選択した事は、その事を示している。安倍政権が何もしないのに、株式市場はうなぎ上りに高騰し、支持率は70パーセントを越えた。さらに背伸びをしない、抑制的な方針は国民に安定感を与え、参院選を迎える段階でも高い支持を得ていたのである。


 そもそも国民は安倍首相、自民党に何を求めていたのであろうか。それはまず中国に対する民主党的対応の拒否であった。中国という国の体質を見誤り、政権を取った民主党が百人以上の国会議員を引き連れていった、小沢一郎の朝貢外交は、友好関係を築くどころか、威圧的な尖閣諸島への攻撃を許し、領海、領空への侵入の常態化を引き起こしてしまった。このような中国に対し毅然たる対応を安倍政権に求めたのである。その為にも国内法の整備、更には自民党の党是である憲法改正を前進させる事であった。更に大東亜戦争に敗北した事による、「負の遺産」を国民意識の中から払拭する「贖罪意識」からの脱却である。これは「自虐史観」として定着し、中国、韓国からのいわれなき批判に対し有効な反論も出来ない国民意識の変革の問題である。韓国のパク新大統領の米国での異例とも言える日本批判、それに対する橋下日本維新の会共同代表の発言、これらは明らかに「戦後」が終わっていない事を示すものである。


 ここで「橋下発言」を検証する必要があるだろう。何故ならば橋下氏の発言によって政党間の関係が大きく変化し、参院選挙の結果を左右する事態を生み出したからである。そもそも最初は韓国の朴槿恵大統領が五月七日の米国大統領オバマ氏との会談で「北東アジアの平和のためには、日本が正しい歴史認識を持たねばならない」と発言し日本批判を展開した事によるものであった。朴大統領は米国の威を借り、戦勝国、敗戦国の秩序固定化を図り、日本の敗戦国としての固定化を永続させようとする意図に対して日本国民が憤激したのは当然である。


 韓国が日韓基本条約で戦後処理を終わらせ、日本からの賠償金で復興を成功させ、アジア有数の経済大国となり、世界の一員となった事は、韓国から有難がられても、非難される根拠は何一つ存在しない。しかし韓国は米国でロビー活動を行ない、国連に対しても執拗に働きかけ「従軍慰安婦」に対する謝罪と賠償を求めた。この「従軍慰安婦」問題の発端は山口県労務報国会下関運動部長であったという吉田清治氏の「自ら、韓国、済州島で慰安婦狩りを行った」との証言からであった。


  この証言は朝日新聞により勇気ある告白として紹介され、キャンペーンが行われた。しかしこの証言は詐話であり、日本の現代史研究家の秦郁彦氏の現地調査、韓国の新聞社東亜日報の現地調査に於いても、済州島の女子で一人たりとも慰安婦になった者はおらず、吉田氏のウソは証明された。現在では韓国寄りの学者も吉田証言を信用する者は誰一人として存在しなくなった。しかし平成8年国連人権委員会は慰安婦問題に関するクワラスワミ報告書を提出した。スリランカの女性法律家クワラスワミ氏は吉田証言を元に作成し、虚偽の多い内容となったが、国連ではこれを真実とした。これには河野談話(平成5年)が重要な伏線をなしている。日本政府が認めている以上、「強制連行」の存在ありとの結論を出したのである。日本政府(宮沢内閣)はなぜそのような談話を出したのであろうか。内外で集めた二百点あまりの公文書の中には日本軍の関与を示す強制連行の事実はなかったにもかかわらず。これは日本政府の外交の無知によるものであった。


  宮沢首相は日本の教科書が「侵略を進出に変えた」と虚偽の新聞記事を根拠に「近隣諸国条項」を教科書検定に加え、教育に他国の介入を許してしまった。更に韓国政府から「強制連行を認めてくれたら二度と慰安婦問題は持ち出さない」と言われ、宮沢内閣最後の日に「河野談話」を発表したのである。教科書問題も河野談話も、事実は違う事を知っているにもかかわらず日本政府はその場しのぎの為に、やすやすと相手の詐術にのってしまったのであり、取り返しのつかない事態を生んできたのである。


  今回、更に深刻な問題を含んでいるのはアメリカの国会、州議会まで巻き込んでしまっている点である。ヒラリークリントン元国務長官は「慰安婦」ではなく「性奴隷」と表現するように主張し、日本人の悪行として際立たせようとした。ニューヨーク州、ニュージャージー州は従軍慰安婦問題を取り上げ「人道に対する罪」として日本非難決議を採択した。同盟国日本に対するこのような非難は、アメリカ人の日本に対する深層心理を伺わせるものとしてしっかり記憶にとどめておく必要がある。我々も原子爆弾を日本人の頭上に落とした国がどの国であったかという歴史的事実を片時も忘れてはならない。


 韓国の日本に対するいわれなき非難は、敗戦国日本に対するものとして戦勝国米国を見事に同じ土俵に引き込んで展開している。同じ作戦を中国の習主席もとろうとしている。断固とした反撃が今求められているのである。



村山談話・河野談話



 橋下氏の発言が慰安婦問題に絡み、沖縄の在日米軍幹部に「風俗業を活用してほしい」などと述べた事は、女性の尊厳を損ない、米軍や米国民を侮辱した不適切なものであったが河野談話に関する批判は適切なものであった。橋下氏は発言を河野談話だけに絞るべきであった。そうならば多くの心ある人々の支持を得たであろう。昨年の橋下氏の「河野談話」は日韓関係をこじらせる最大の元凶だ」との発言に対しては当時野党であった安倍晋三氏は「勇気ある発言だ」と評価していた。しかし今回の発言に対しては「我々とは別の立場だ」とつきはなした。更に菅官房長官は「河野談話」を否定するとは一回も言ってない」と後向きな立場をとらざるを得なくなってしまった。日本の植民地支配を認めて謝罪した、平成7年の「村山談話」に対して「違和感を感じる」と発言した高市早苗自民党政調会長は「勇み足」だったと陳謝せざるを得なくなった。第一次安倍内閣で閣議決定した「政府が発見した資料中には、軍や官憲による、いわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」という政府答弁書からの後退を絶対に許してはならない。



慰安婦問題に関する国連のゆくえ



 国連の拷問禁止委員会は慰安婦問題で「政府や公人による事実の否定や被害者を再び傷つける試みに反論」することを日本政府に求める勧告を出した。勧告は慰安婦を「日本軍の性奴隷」と決めつけ、元慰安婦への補償が不充分で関係者への訴追が行われていないと指摘した。そのうえで、日本が「法的責任を認め、関係者を処罰」し、すべての歴史教科書に慰安婦を記述するよう求めた。韓国の主張を全面的に認め、日本の主張は何一つ認めない一方的なものであるが、これが国連の「正義」であり、公式見解なのである。はらわたが煮えくりかえる怒りを覚えるのは我々だけではないであろう。


 日本国民は世界平和を守る存在として国連を認識してきた。世界の国々を公平な立場で見ることが出来る機関であると信じてきた。しかし現実は「日本の敵」の集団である。国連は日本を「敵」とみている。敵国条項は廃止されておらず、しっかりと生きているのだ。


 勿論、日本が世界を敵に回して生きていける筈がない。世界の国々と手を携えて生きていかなくてはならない。しかし能天気に国連を信用し、国連神話の中で生きてゆくことは日本は出来ないと自覚しなければならない。中国、韓国による反日攻撃は米国、国連を巻き込み成功しつつある。安倍政権はこの攻撃に対し有効な反撃を行ったであろうか。日本人と日本の国がいわれなき蛮行を行ったと非難される事に怒りを持ってた対決しただろうか。日本人の矜持を世界に示せただろうか。今こそ日本精神の気高さを全世界の人々に認識させ、尊敬される国家として再生させなくてはならない。安倍政権はそのような期待の中から生まれた政権ではなかったのか。



東京裁判史観からの脱却を


 安倍政権は憲法改正に向け、発議要件を定めた96条改正の方針を決定した。しかし世論調査で賛成者の数が少ないと判断し、参院選の方針から外してしまった。これはいわゆる護憲派が「国民を縛るのが法律で、権力を縛るのが憲法だ」と喧伝し、「時の権力者に憲法をもてあそばせてはならない」とのキャンペーンが国民の心をとらえたからである。護憲派の作戦は「憲法改正反対」から「96条改正反対」に変更された。国民の七割以上が憲法改正を支持している現状では真正面から「憲法を守れ」は通用しない。それならば「憲法は権力を縛るもの」というレトリックを考えついたのである。これならば参院で3分の1の96条改正反対派を集めれば永久に憲法改正は出来ない。事実として改憲を主張する議員の中にも96条改正反対を唱える人もいるからこの作戦は成功した。しかし安倍政権はこんなレトリックを吹き飛ばすパワーを持って立ち向かわなくてはならない。そして国民の大多数が望んでいる憲法改正への道を堂々と歩まなくてはならない。今後も憲法改正に対しては「徴兵反対」や「言論の自由が無くなる」など様々な反対論が展開されるであろう。しかしこれらの困難を乗り越え、国民の悲願を達成するのが安倍政権である。護憲勢力=左翼陣営に負けてはならない。


 そして次の課題である「村山談話」「河野談話」の撤回である。我が国の誇りと尊厳を否定し贖罪だけを強制するこの二つの談話を撤回する事なしには「敗戦国としての戦後」を終わらす事は出来ない。もっと正確に表現するならば「東京裁判史観」からの脱却こそが必要だという事なのである。第一次安倍政権が掲げた「戦後レジームからの脱却」を全国民の共通認識にしなければならない。


 この視点が全く抜け落ちているのが橋下氏の発言である。「(大東亜戦争戦争を)侵略と受け止め、反省とお詫びが必要」という、本質的なところでは「村山談話」を肯定する姿勢は、事実認識だけをめぐっていくら強弁しても説得力を持つことは出来ない、又みんなの党の「戦時体制を美化すると見られかねない政治勢力とは一線を画す」として日本維新の会と絶縁したが「復古調の古式蒼然たるレトリック」なる批判は的外れと言える。橋下氏の思想は戦後民主主義によって育てられたものであり、東京裁判史観を色濃くただよわせている。日本維新の会とみんなの党の批判合戦は同じ憲法改正を目指す党として残念な事という他はない。日本の政治の中にようやく現れた、健全な野党が共産党、社民党などの左翼政党を歴史の中の遺物とする機会を失ってはならない。中国、韓国と協調して反日活動しか行わない政党は日本国民にとって必要ないものだ。安倍政権はそのことを国民の意志としてはっきり示す好機としなければならない。