農業改革と食糧自給率の向上
平成20年10月10日

自然と共生・環境と調和
疲弊しつくした日本農業を再建し食糧自給率の上昇を

 
我が国の政治が政局に明け暮れている現在、本物の危機が世界を覆いつくしつつある。人類の生存そのものへの警告が地球環境の劇的変化と食糧危機という形態をもって行われているのである。この危機の深刻さは人類が生き残る為に行ってきた、全ての文明、人間的行為そのものに原因があるからである。共生・調和を無視した限界を考えない無限の発展は、ついに臨界点を超え、負の連鎖へ突入してしまった。この絶望的現実を直視し根源的な克服を目指し進む道は存在するのであろうか、私たち日本青年社は二十一世紀を迎える中で、いち早く「自然と共生・環境と調和」のスローガンを掲げ警鐘を鳴らし続け、世界、及び日本が迎える、食糧、資源を巡る争奪戦に早急な対応を求めたのである。


●人口爆発と豊かな文明社会が元凶

 環境問題が浮上してきた二十一世紀は発展途上国であった中国、インドという人口巨大国が、先進国に「追いつけ、追い越せ」のスローガンの下、急激な発展を達成し、資源の大量消費国に移行し、国民生活も先進国並の大量消費社会を形成していった。この動きに対し誰一人として非難する事は出来ない。何故ならば人類は常に高い文明と豊かな社会、そして国家としての人口増加を求めてきたからである。しかし今日の世界の現実はこれ以上の世界の発展は破壊への道しか残されていない事を示している。国際的環境会議(先日の洞爺湖サミットなど)で後進国がCO2削減に同意しないのは、現在の環境を作り出したのは先進国であり、その責任は先進国がとるべきだという認識が崩せないからである。しかし先進国が産業革命以来豊かな国造りと飽食に明け暮れた「つけ」は貧しい発展途上国に重くのしかかり、飢餓と政情不安を強いている。間違いなく世界的食糧不足と資源の涸渇は世界的内戦を招き、最貧国がその導火線になるであろう。世界は今最大の格差社会を生んでしまった。富める国は飽食によりダイエットにいそしんでいる。しかし貧しき国の国民は子供たちに充分な食べ物を与えられず、餓死を防ぐ事も出来ないでいる。国家がいかに国民にとって重要か、再認識の必要があるだろう。国にとって軍事的な問題だけを取り上げて安全保障が必要だと言うのではなく、食糧の確保、資源の確保があってこそ、国民の安全保障であることは先の大戦の教訓であった。我々民族派の任務も大きく変ってくるであろう。


●なぜ日本の農業は衰退したのか

 昭和二十年の大東亜戦争敗戦により、日本国及び日本人は大きく変ってしまった。日本青年社が主張し続けている東京裁判史観からの脱却の重要性はさておき、GHQによる日本農業の解体についてみておこう。なぜならば、自給率三十九%という日本の食糧生産の原因は「日本解体」政策と密接な関係があるからである。マッカーサーの強権によりまず「農地解放」が行われた。地主から農地を取り上げ、小作人に分配したのである。私有財産を強制的に取り上げるという、資本主義を否定する圧政も強大な軍政の下で抵抗もなく達成し、農地の細分化に成功した。マッカーサーは日本の強固な国民意識を支えているのは家、地主という旧体制であると見抜いていたのである。次に家族の分解が必要であった。家父長制を禁止し、遺産相続を変更し、更に農地は細分化していった。戦後の混乱の中で、日本に対し文字通りの「余剰農産物」を持ち込み、国産農業は経営不能になっていったのである。食糧輸出国アメリカの優良市場にする国家戦略であった事は明白であるが、その食糧によって日本人が飢えから逃れたことも事実である。当然感謝すべきである。しかしながら、この一連の政策により、日本の農業は再生不能になり、現在に至っているのである。一方では農業では生活できない為、農村の若者が集団就職し、都市に人間が集中し戦後復興が成功したのであるから、何が幸になるかわからない。昭和三十年代は、それでも農業は日本の一定の基幹産業として生き残っていた。しかし国の農政の失敗から農業は急速に力を失い瀕死の状況に陥ってしまった。この最大の原因は米の「高価格政策」であることは誰もが理解しているところである。日本の農業に経営的視点を失わせ、生産調整により高価格な米を政府が買い上げるという社会主義的農業になってしまったのだ。ついに日本の米は国際価格の十倍という、世界一高い米を日本人は消費するはめに陥った。普通、商品は生産量と消費量はバランスを保ち、価格はその中で変動するものであるが、政府が介在する事により値段だけが上がってしまった。それでも生産高を上げる農民に対し、ついに政府は減反政策を打ち出し、米を作らなければ補助金を出すという前代未聞の処置をとることになった。このことにより農業は増々力を失い、国民から見捨てられ、荒れ果てた農地が全国に広がってきたのである。今や根本的な農政の見直しが行われない限り日本の農業の再生は行われないであろう。

 このような日本の現状は、目前に迫っている世界的食糧危機に対し全く無力であり、国民の安全保障を考える時、無防備という外にない。自衛策として自給率を高める事は焦眉の課題である。

●平成の農業改革を断行せよ

 耕作放棄地の増加や農業人口の減少、高齢化等、日本の農業を再建する為には、いくつもの超えなければならない障壁がある。しかし何よりも必要な事は、農業利益を生み出す産業にすることだ。その為には経営感覚を持った農業者を育てなくてはならない。全ての産業と同じように企画、生産、販売、流通を考え、効率化を求め、競争力を高めていく、特に日本の農業は国際的競争力をつけなくてはならない。その為に農地の大規模化を行わなくては話にならない。日本の農政は基本的に農家保護の為、マッカーサー以来の小規模農業を対象にしたものであり、大規模化に対しては様々な規制を行い、その実行を妨げている。先日政府の事故米の不正販売で国民は販売価格を知る事が出来た。新聞によれば事故米の買い取り価格はキロあたり十五円程度らしく「三笠フーズ」はそれを三十五円から四十円で卸業者に転売したという。卸業者がその値段が適正であるか、どうかは充分判断できる筈である。中にはそれが国産米だと信じて買ったという業者もいたが、それこそ噴飯ものである。なぜならば小規模農業の国産米のコストは、農水省の資料によれば四百円となっており(政府買い取り価格六〇kg一万四千円)、原価の一割で米を仕入れる事など不可能であることは、誰が考えても当然であろう。国際的な米の価格はキロ当たり百円前後だと言われているので、輸入米としても、そのような価格はあり得ないのである。米の価格が百円未満ならば日本の米は国際競争力を持ったと言う事が出来る。これは米だけの問題ではない。全ての農産物について言えることなのだ。ではどうしたらそのような競争力を持った農業が実現出来るだろうか。何回も繰り返すが、小規模農業から大規模農業への転換がどうしても必要である。政府は農業生産法人を認めているが農地を借りる条件も厳しく、法人役員の資格も異業種からの参入を制限し、自作農の保護と兼業農家を守る内容になっている。農業を経営的立場から見直し消費者の求める農作物を自由に提供する環境を直ちに作り出さなくてはならない。実は何よりも一番大切な事だが農業を若者に魅力ある、未来がある職業として作り出さなくてはならない。それには現在の農政の大改革を行う事なしには達成出来ないのだ。ここで具体的な問題として農業改革を提起しなければならない。需給のバランスを無視し生産調整によって高価格を維持する、国際感覚のない鎖国農政は大きな誤りであり、食糧不足による食糧危機に対する国民の安全保障の視点に立った政策を持たなくてはならない。現在でも大規模農地による農業は経営的に利益をあげている。単純に大規模なら良しというものでない事は言うまでもない。そこには「企画、立案、販売、流通」といった総合的経営能力、生産の効率化は絶対的必要条件である事は言うまでもない。米の生産でいうならば、小規模農地(五反以下)では生産原価がキロ四百円かかるものが、十五ヘクタールでは半値以下の百八十円、それ以上なら更に生産単価は下がってくる。政府の買い取り価格は六〇キロあたり一万四千円(キロあたり二三三円)なので充分利益が生まれるのである。しかし国際価格となると百円を切らないと勝負にならない。しかし品質に於いて日本のコメの評価は高いので輸出の可能性は充分あると思われる。つまり減反政策を止め農地の集約化を行う、行政の転換をするだけで日本の自給率は大幅にアップする事は確実である。

 次に輸入制限の手段として関税をかけているが、日本は食糧の最大の輸入国として存在している。世界中から無制限に入ってくる事を前提にした関税は早急に見直す必要がある。なぜならば私たちが青年戦士で警鐘を鳴らし、教育指導顧問小池松次先生が「餓死迫る日本」で訴えているように、世界の実情は食糧不足で餓死者が急増しているのである。関税によって農産物の輸入に歯止めを掛ける時代は終わったと考えるべきであろう。ただ一時的に苦痛を伴うであろうが、それこそ政治的救済が発動されるべきであろう。先日のWTO交渉ではアメリカと中国、インドが対立し物別れに終わってしまった。日本は高関税品目が多く、その割合を八%以上を主張したが六%に押さえ込まれてしまった。交渉が決裂したので、若林農相はホッとしたに違いない。しかし高関税品目が多くなれば、その代償として低関税のミニマムアクセス(最低輸入機会)の拡大を求められてしまうのである。そうなると実質的に輸入が義務づけられる為、今回問題になった中国米の事故米を輸入せざるを得なくなるのである。読者の皆さんはコメが国内で余っているのに何故農薬入りのカビだらけの米を中国から買わなければならないか、不思議に思っている方もいると思うが、そういう事情があったのである。現在コメの関税は一俵(六〇キログラム)二万円であるタダのコメを輸入しても二万円するのでどうにもならない。コメの関税を四〇%程度の普通の関税にしても中国米が日本に入ってくることはまずないだろう。国内産の米と中国産の米が同じ価格だとしたら、農薬入りのカビ米を選ぶ日本人がいるだろうか。一俵二万円の関税を付けたりするので無駄な中国米を買うハメになってしまったのである。

 次に政治が行える改革は米価の引き下げである。国民=消費者に主食である米の値段を下げる事は国民生活に大いなる貢献をする事は間違いない。その事によって国内の需要が増え自給率も自然に上がってくるであろう。昨年から今年にかけての食糧の価格上昇は一過性のものでなく、需要と供給のバランスが崩れ出した事を示しており、今後更に高値安定から上昇傾向が続くと思われる。現在では採算の合わないものでも、近い将来、必ず採算がとれる価格になるであろう。備えあれば憂いなしの対策が必要なのだ。

 日本青年社は日本の未来の安全の為に農業問題に真剣に取り組み、実践活動に踏み出さなくてはならない。その為の理論の構築へ全社員の総力を注ぎ込もうではないか。