米・中の奇妙な合唱
「日本は謝罪せよ」
平成19年 8月23日
●アメリカの反日決議の底流にあるもの
マイク・ホンダ米下院議員 |
米国の下院(日本の衆議院)に於いて、日本の慰安婦問題に対して「謝罪要求決議案」が提出され、本会議に於いても決議されようとしている。マイク・ホンダ議員などが過去何度も提出し、否決されているものだが、今回は成立する模様だ。蒸し返される、このような策略は、日本政府がいかなる対応をしようとも、手を変え、品を変え、執拗に迫ってくることは、過去の例を見れば明らかである。一体なぜ六十年以上も時間が経過した問題を取り上げ、反日攻撃をしてくるのか、中国、韓国などと立場が違う筈の米国が、この件に関しては奇妙な同一性を持って、日本を非難するのは一体なぜなのか。私たちはそこに「東京裁判」の不条理と、日本国民が未だに「東京裁判の呪縛」が解けないでいる姿を見ざるをえない。
この問題は実は日米間の深い断絶を基礎にしている為、消えたかと思うとまた火がつくという、表面的には解決したかに見えて、本質的には未解決という問題である。
アメリカの最大の弱点は、広島、長崎に原子爆弾を投下し、何十万という日本人を無差別に虐殺してしまったこと。東京大空襲などにより、非戦闘員の大虐殺を行ったことであり、どのような言い訳もきかない戦争犯罪を犯してしまった罪の意識を、日本に責任転嫁することにより理解しようとしているのである。
それ故に「日本は悪い国だ」「日本は侵略国だ」と決めつけた東京裁判を否定することは、「アメリカは常に正しい」「アメリカは人権を尊重し、人の命を大切にする」というアメリカ人のアイデンティティが崩れてしまい、アメリカの「正義」が失われることを意味するのである。このような理解が無い中で、この問題に対応しようとしても「付焼刃」にしかならず、問題解決にはならない。
●「久間発言」は東京裁判史観
戦後教育の中で育った日本人は、戦勝国の横暴に対し、日本は戦争に負けたのだから「しょうがない」として育てられた。世界で唯一の被爆国になったことも「しょうがない」と理解した。広島や長崎の被爆地に行っても、原爆投下の責任を追及する言葉はどこにもなく自虐的な言葉だけが羅列されている。占領下で憲法など作れる訳がないが、我が日本は「しょうがない」として守り続けている。北方領土や竹島を他国に奪われても、「しょうがない」として認めている。さすがに現職の防衛大臣の「しょうがない」には、国民の怒りが爆発し、辞任せざるを得なくなった。しかしこの「しょうがない」根性は国民から一掃されたかと言えば、全くそうではない。憲法、領土、東京裁判等に対しては、「しょうがない」が続いている。
反日騒動は今回を含めて3回目起きている。第一回目は1991年「真珠湾攻撃50周年」を米国マスメディアが特集する中で「日本は中国大陸での蛮行や従軍慰安婦問題に対して反省がない」という論調がだされ日米貿易摩擦や戦費負担問題なども重なり問題化されそうになったが、湾岸戦争により消えてしまった。しかし翌年この動きに火を付けたのは、日本のメディアであった。1992年1月11日、「朝日新聞」が一面で「慰安所、軍関与示す資料」との記事を掲載した。あたかも新しい資料が発見されたように書いてあるが、そもそも始めから慰安所は軍が作ったものであり、関与したことはわかっていたことなのだが、新事実のように記事にしたのだ。更に悪質なのは「宮沢首相の十六日からの訪韓でも深刻な課題を背負わされた」と書き、政府が軍の関与を否定したかのように細工した。これにより全アジアに慰安婦騒動が起きたのだ。
そして2回目は1999年カリフォルニアで起った。トム・ヘイデン州上院議員が第二次世界大戦の被害者は、米国籍以外の企業でも米国内に関連企業があれば損害賠償請求できるという法案を提出した。この中に「ナチス政権、その同盟国…」とあったため日本も訴訟対象になり、28件の訴訟が起されたが、連邦高裁ですべて退けられた。そしてほぼ同時にマイク・ホンダ州下院議員が「日本政府はより明確に謝罪し犠牲者に対する賠償を行うべき」とする決議を提案し採択された。するとまたしても日本サイドで動き出し「女性国際戦犯法廷」なるものを開催し、昭和天皇を有罪判決にするという暴挙を行った。ただ2回目の反日運動はほとんど成果をあげずに消えた。それはサンフランシスコ条約の締結により、金銭上の問題は全て解決しているという政府の見解が法的問題を解決したからである。
そして今回が始まった。反日派議員たちは、カリフォルニアの失敗を教訓にし手法を工夫してきた。2005年、ホンダ議員が提出した時には15人の賛同しか得られなかったため、「謝罪・賠償」を削除し、「歴史責任の認知や学校教育での指導などを日本政府に求める」とソフトな表現に変えてきた。これとても、とんでもない内政干渉であり、思い上がりもはなはだしいものだが、56人の賛同を得て外交委員会を通過した。するとまたしても「謝罪・賠償」を復活させて決議をとろうとしている。ここで注意しておくべきことは、日本の六十年前の慰安婦の問題と現在進行中の太平洋諸島などの人身売買問題と同列に並べて論じられているということである。日本人の「ナショナル・プライド」を叩くこと、つまり「日本人は元々他国人の人権を無視し、人身売買など平気で行う民族だ」ということを主張しているのだ。このような、日本に対する執拗ないやがらせ、蔑視は何故行われるのか、最大の友好国と片方で持ち上げ、もう片方ではさげすむという二重の対立する日本観の中に、米国という国の本質を見なければならない。
●日本政府の対応はいかにすべきか
安倍政権は発足時に「河野談話を継承する」と対外路線を発表した。現衆議院議長、河野洋平氏の前で仲々「継承しない」とは言いにくいだろうが、事実誤認に基づいた「河野談話」を否定できなかったところに、現在の日本政府の限界を感じるのは我々だけだろうか。安倍首相は「狭義の強制はなかった」と弁明したが、言い訳に聞こえてしまい、反発を招いてしまった。日本政府の対応は、一つは事実の歪曲に対しては断固として許さないという決意を表明することである。米国議会の決議とはいえ、その根拠は日本の対中国の及び腰にあるのであり、対中国の姿勢を正すことが重要であることは当然である。そして最も重要なことは我が国にはびこる自虐史観、東京裁判史観を一掃し「品格ある日本」を取り戻すことである。
●「国家の品格」を回復せよ
米国の犯した罪は余りにも大きく、日本国民に対し謝罪すべきであるが、「正義の国」アメリカは決して謝罪しないであろう。非戦闘員を無差別に虐殺した行為は日本人を人間としてみていたら決して出来なかったに違いない。それ故に東京裁判はアメリカにとって絶対必要であった。アメリカの「正義」が日本を攻撃し「悪」を滅ぼす。日本に正義が存在したら「力」対「力」の戦争になってしまう。原爆投下の正当性など吹き飛んでしまう。畑の中を逃げ惑う子供たちに兎か鹿のように銃撃したことを誰も許しはしないだろう。だが日本人は東京裁判を受け入れ、学生に二週間ほどで作らせた憲法を有難そうに守っている。「ナショナル・プライド」などどこにもない国になったのだ。しかし小泉、安倍政権と続く中で憲法改正の波が高まり、国民の「ナショナル・プライド」の芽生えが感じられるようになってきた。ここでもう一度日本を叩いたほうがいい。これが反日決議の本音なのだ。日本はアメリカと同じように謝罪と賠償を求める愚を行うべきではない。間違ったことに対しては「ノー」と言い、未来の友好を作り出すために努力してゆけば良いのであって、過去の誤りを掘り返す愚を繰り返してはならない。