2005年衆院選挙を機に   
    再び、憲法改正なるを訴える

平成17年8月12日
編集委員会 福島祐也


 自民党の中川秀直国対委員長は昨年、憲法改正の手続きを定める国民投票法案について「通常国会で成立されなければならない」と述べ、成立に意欲を示した。その上で「通常国会終了後から来年にかけ、与野党の新たな合意、枠組みを強化して取り組む」と語り、改正への新たな協議機関設置を野党側に呼びかける考えを示した。また、公明党の神崎武法代表もTVの討論番組で、憲法改正の手続きを定めた国民投票法案について「異論はない」と延べ、早期成立に前向きな姿勢を示した。これを受けて自民党は、この夏に憲法改正案を発表した。

 さらに世論を見ても、昨年の朝日新聞5月1日付朝刊で「憲法改正賛成5割越す、9条改正は6割が反対」との見出しを掲げ、現行憲法について、全国世論調査を実施した結果を報道した。それによれば、憲法は「改正する必要がある」と答えた人が前回調査(01年)の47%から今回53%に増え、また常に問題となる憲法9条についても、「変える方がよい」が前回を17%から倍近くの31%にも増加。施行から60年たち、国際テロなど新たな問題の登場もあって、国民の憲法観が変わりつつあることをうかがわせる結果となった。護憲派の雄・朝日新聞の調査でさえ遂に改憲賛成が5割を越しているのである。ちなみに改憲派の読売新聞による2004年3月20日〜21日の世論調査では憲法改正賛成が65%、9条改正賛成が64%である。まさに「改憲」の機は熟しているのである。

 だがその一方で、肝腎の改憲の時期について自民党は「機は熟していない」と慎重な態度を崩さず、本年夏に選挙前の公約通り、自民党憲法草案が発表されたにも関らず(その内容は、党内左派の強い働きかけに反映して、当初案とは極めて後退したものとなっているにも関らず)、改正への具体的なタイム・スケジュールは明らかにされていない。小泉内閣は、郵政民営化法案の参議院否決を受けて、衆議院解散に打って出たが、これでまた憲法改正のスピードが鈍化するのは免れない。とはいえ、かつて55年体制化で護憲勢力が議会の3分の1以上を占め、国民悲願の憲法改正が政治の俎上にさえ上らなかったことを思えば正に隔世の感があると言わざるを得ない。

 今後の総選挙の結果がどう出るかは、まったく予断を許さない状況であるが、少なくとも戦後の日本政治史に残る選挙となることは疑い得ない。というのは、この選挙は、二大政党制への趨勢が鮮明になった後の初めての衆議院選挙であり、争点が「公」と「私」との接点を巡るものだからである。国家喫緊の課題が山積している中、郵政民営化を突破口として、今まで解決されずに先送りされて来た諸問題(もちろんそれには憲法改正も含まれているのであるが)を一挙に進める意図が、この解散にあると見るべきではないのか。


[憲法改正の要点]

 そもそも現憲法がよってきたる所以を、ここで論ずる必要はないだろう。現行憲法が、占領軍の元で制定を強いられたことは、もはや国民の常識となっているからである。従ってここでは、改正の要点を2つに絞って論じてみたい。


第一点は、憲法改正に必要な手続きの問題である。


  元来憲法で予定する改正権者は議会と国民である。憲法96条は「3分の2以上の多数で国会が発議し、国民投票の過半数で承認」と定めている。この定めは、世界に類例のない硬直した規定である。しかもわが国の現行憲法の場合、国際的に禁止された占領期間中に憲法改正されたうえ、新憲法は旧憲法の改正可能範囲を逸脱しており、国際法的にも国内法的にも全く正当性を持っていない。戦後の新憲法は、革命が起こったとでも考えない限り(事実そう主張している憲法学者もいる)、憲法として一片の正当性もない「悪法」なのであるから、その憲法を改めるのに、そもそも憲法96条の定める改正手続規定を踏む必要があるのか、どこかに極めて大きな疑義がある。むしろ現行憲法の定める改正手続規定によらなければならないというのは明らかな背理であるとも言える。議会の過半数の議決があれば、法理上今直ぐにでも「憲法」の「改正」は可能でなくてはならないのである。

 しかも前述したように国民の大半が憲法改正を支持しているのも関らず、発議権を持つ議会が一向に腰を上げない場合は、議会が民意を反映していないということになる。代議制を採用する場合、議会が民意を如実に反映していないという場面は、問題によってはあっても構わないし、今まで、そういうことは幾らでもあった。だが法律や政策の場合と異なって、事が国家国民の安危存亡に関わる憲法の場合は、主権者たる国民が自ら直接主権を発動し、国家国民を救済し得ることは当然の法理として認められなければならない。全ての憲法は何者かの政治的決断的行為をもって制定される。現行占領憲法はマッカーサーの政治的決断行為によって制定され、明治憲法といえども700年に亘る幕府武力専権体制を打破した明治大帝の決断行為の所産による。だとするならば議会が国民大多数の意思を裏切って亡国政党の跋扈する所と化し、その怠慢によって立憲的改憲ができないかのようになっている今日、有権者は自ら起って国家と民族の新しい未来の為「超憲法的」決断を以って新しい憲法を制定しなければならない。


第二点は、9条改正である。


 日米安全保障条約があるから、いったんことが起きればアメリカがわれわれを守ってくれる、というのは甘い幻想に過ぎない。自国民が拉致されていながら指をくわえているような状況が長い間続いている国を、一体誰が守ってくれるというのか!安全保障条約というのは、自国の領土と国民は自分たちで守る、という気概があってこそ、初めて有効なのである。しかも、これから10数年後の軍事的脅威は北朝鮮でなく、間違いなく中国であろう。日本にとっては勿論、米国にとっても脅威となるであろう。これは何も戦争体制がとれたというのではなく、自国で相手と互角に意見が言えるように準備をしておくべきだということなのである。

 今夏提出された自民党案による9条改正案は、はなはだ後退的であり、現行憲法の解釈改憲の枠を半歩しか踏み出していない。集団的自衛権の行使として、海外に「自衛軍」を派出することを認めるという極めて中途半端な内容であり、これでは自立した国軍の姿とは程遠いものである。この様な内容で、悪逆非道なテロ組織と戦えというのは、自衛隊員諸君に対する侮蔑以外の何者でもない祖国防衛の戦士を、もっと誇り高き位置にしなくて、何の9条改正の意義があろうか!われわれは光輝溢るる国軍兵士たるの措置を求めて止まない。


無関心を改め、自分の責任として立ち上がろう

 最近、日本の行く末を真剣に心配する人が、本当に多くなったことは慶賀すべきことである。日本の行く末が心配だということの根本原因は、「日本人としてこう生きる」という価値規範となるべき「精神的支柱」がなくなったことと、国の根本精神とでもいうべき憲法が間違っているからである。現行憲法は、皆で力を合わせて難局を乗り切っていこうとすることすら、その基本原理において禁じている。その病状が、いたるところに表われてきている。これは大きくはもちろん政治の問題である。われわれが声を大にして、憲法改正を訴えるのは、その故である。
しかし、この問題を政治家や官僚のせいばかりにしていては、何の向上も発展もない。まずは、自分の責任として真剣に受け止め、反省して、自分たちに何ができるにかを知恵を絞って、この国難を迎え撃たなければならない。このままでは、日本国という美しい国は消えてしまうに違いない。過去の世界史をみても、消えていった国は数限りなくある。日本を再建するのか、溶けてなくなさせるかは、ひとえに私たち国民の選択にかかっている。一人一人の選択が今後の日本を決めていくのである。今までの無関心を改め、私たち一人一人が自分の責任として、勇気を持って決断しなければならないし、その総和が今後の日本の進路を決めていく。「正しき者は強くあれ」という言葉があるが、勇気を持って「黄金のまさかり」を打ち下ろしたとき、今まで困難と思っていたものが、蜃気楼だった、とわかる。未来を信じて、希望を持って、ともに頑張ろう