平成14年10月10日

 今回のユーラシア大陸の大雨はこれまでの百年にいちどの大雨なのだろうか。この考え方はオポチュニストだ、と私たちはいいたい。南極大陸の氷山も崩落し、日本の七月、八月の高温加えて冬季の温度を見て、地球は二十一世紀、遂に異常気象に入ったと見るべきだ。



●地球温暖化をあらゆる角度から阻止しよう。


 これらを克服するためには、「自然と共生」「環境と調和」する以外にないと。私たちは考える。そのためには世界各国が協調し、この地球と人間が良い関係をつくっていかなくてはなるまい。その意味では米国の「京都議定書」離脱はいかなる意味からいっても許されるものではない。

 超大国、米国が現在の態度を改め米国流「グローバリズム=米国一国だけの利益」を改めることだ。

 米国に従い、中国、ロシアが同じ態度を採るとしたら空恐ろしいことだ。オゾンホールの拡大によってオーストラリア、ニュージーランド、北欧の人が太陽光線を怖がり、避けていることはすでに「地球丸」と「人間」の関係にヒビが入ったといえるものだ。

 これらは全て「地球温暖化」に起因すると断言できるものだ。

 一例をあげれば、都市部のヒートアイランド現象は「自然と共生」を破壊するには値しないものだろうか。東京区部が二度、大阪市が三度挙がるもので、自然は微動だにしないといえるだろうか。初めて宇宙から地球を見たソ連ガガーリン大佐は「地球は青かった」と地球の美しさを賛美した。

 だが、現在は皮肉にも各地に「不夜城」が映しだされ、科学の進歩によって、その「灯」を分析すると温暖化が進んでいることが明確化し、自然が人間の活動結果を吸収する地平を越えている。

 

●温暖化は地球を異様にし、自然と共生への挑戦だ。
 
温暖化は一気にやってこない、つまり今年の東京のように来年が異常だとは限らない。でも、その計量の単位が今日まで百年単位だったのが、十年単位に縮小していると思えるのだ。

 こうした中で「自然と共生」の先進国であるEU各国はどんな試みをはじめているのだろうか。今回の大雨と大河の流出は止まっていないから、その対策に必死な状況だ。この異常気象は二酸化炭素が中心だから、それを軽減するためにただ一点、ドンキホーテといわれようと「風車」を各地につくりだしている。とかく日本など東洋人は「風」がなければ「風車」は回らない、と思っている節がある。実はこれがとんだ落とし穴で人が風が止まっていると思っても「風車」は回るのだ風車はクリーンで若干単価で他のエネルギーにより割高だが風車をよりつくればつくるほどその単価の差は縮まるのだ。

 高温超伝導の研究は進んでいるが、電気備蓄の商品化には至っていない。高温超伝導物質の発見が「電気備蓄」の切り札なのだが、現在の科学はそこに到着していないとすれば、「化学物質の燃焼による電力」から、自然に返ることが大切なのではないか。


●ユーラシア大陸の長期の大雨は、地球の位相の変位を表明している。

 ユーラシア大陸といえば、地球の大陸の約半分を占める。この大陸が一ヶ月を越えて雨を降らしていることは、「百年に一度」の度を超えていると考えても良いのではないか。そう呑気に対応している場合ではないのではないか。このようなことは人間生活を直撃し、米国のように「イラクに原爆を」なんかいっている場合ではないのではないか。ユーラシア大陸全土に及んでいるのだ。これは地球規模の「地球温暖化」の初の現象なのではないか。

 日本も遅れをとることなく、知恵を絞って新たな「人間」と「地球丸」の関係を築くため必死にならなければならない。
 こうして世界のほぼ全体が「地球温暖化阻止」のため奮闘しているのに米国だけは知らぬ存ぜぬで押し通そうとしている。

 しかし、世の中良くできているもので、そのような国に案外、自然=(人口)災害は起きるものだ。神を恐れぬ国は神の怒りを買うものだ。

 九月は日本では台風シーズンだ。これを他山の石として本格的に「これまでにない災害防止」に地球人総体が取り組むときが来ているのではないか。

 人間に無用なものをつくっていては何ともならないのだ。

 ユーラシア大陸は大きいが、人間も大きい。必ず新たな「自然と共生」「環境と調和」の知恵を生み出すにちがいない。
 最後に、原水爆で滅びた映画「渚にて」を許す訳にはいかないが、じわっとやって来る「自然災害」は元に戻すことが極めて困難だ。「自由と快適」も気分はいいものだ。しかし、自然の仕返しは取り返しがつかないのだ。

 私たちは声高に主張し実践する。