「諸民族の友愛のもと新たな運動を」
平成12 年09月19日
日本の平和運動には、日共系の原水協、社会党系の原水禁運動があるが、これらの運動は現在風化し、日本の過去の戦争に反対する運動に傾斜して、現実的な戦争を阻止する運動になっていない現実性がある。私たち右翼民族はこれらの運動に代わる諸民族の尊重と友愛を基礎とした平和運動をここに提唱する。
<平和運動の歴史>
現在の平和運動は昭和20年(1945)8月6日と8月9日の、米軍による広島、長崎の原爆投下による国民的原水爆反対運動に出発点がある。これは「二度と原爆許すまじ」のうたに証明されているように、原爆の悲惨な光景の現実を見せつけられた日本国民の良心から始まっている。これまでに、被爆者の医療、被爆者援護法の制定など一定の成果をもたらしたのも事実であるが、これらの運動は「米・ソ二極世界支配」によって揺れ動き、「対立・分裂」の歴史の運動でもあった。それは同時に諸民族の尊重、友愛を基礎とするものでなく、原水協に顕著なようにソ連の核実験を擁護し、反米主義的色彩の強いものだった。
<原水協の分裂>
昭和36年6月(1961)のソ連の核実験に対し、日本共産党(アカハタ=当時は赤旗ではなかった)は、綺麗な核実験だ、と主張しソ連を擁護した。一方、社会党を始めとする諸団体は「核実験は国によって汚い、綺麗はない」と反発し、内部論争が深化し、昭和40年(1965)に原水協、原水禁、その他が分裂し、今日に至っている。
<既成平和運動の限界>
日共系の原水協の限界性は、ソ連、中国擁護の平和運動であり、異なる国によって「核」が綺麗かどうかなどあるはずはない。一方、原水禁には「あるらゆる核実験に反対」との態度を採り、「反対」をシンボルにしたことは、一貫性があり、被爆者援護法についても社会党(現社民党)を通じて自民党に働きかけ法案を成立させたなど一定の成果を挙げたことは事実である。
しかし、両組織の限界は「米軍の原爆投下、歴史上、ナチのアウシュヴィッツの虐殺と同等の無辜(むこ)な庶民を大量に虐殺したことに抗議できないことにある。
米軍の原爆投下に反対できない原水爆禁止運動なぞ、その出発点から誤りがある。そのため、今でも米国は広島、長崎の原爆投下を正当化し、このことがひいては世界の「警察」として君臨させているのである。
<新たな平和運動の構築を>
私たちは、こうした現実、事実を踏みえた上で、「新たなる平和運動の構築」を訴えたい。
つまり、諸民族、諸国家の「友愛と協調」を基礎に、新世紀(21世紀)を戦争の時代にさせない運動の構築である。既成の運動は諸民族、国家の対立に巻き込まれ、過去の戦争に反対するだけで未来性をもっていない。その中で、平和運動へのアレルギーから平和祈念的な「静」の運動に陥りがちである。この「静」を克服し、「いかなる国の原水爆投下」を許さない立場から、「戦争阻止」を訴えていく国民的運動の構築である。
そのためには「自分たちの国は自分たちで守る」ことを基本に諸民族、国家の友愛と協調を訴えることだ。そのことは「侵略反対」「自国防衛」が初歩となるのはいうまでもない。その先駆的役割を果たしているのが、スイス、ニュージーランドである。
特に、日本には北東アジア、還太平洋の平和を維持、守る重大な責務がある。そのためにも現行憲法9条の改正は喫緊の課題なのだ。
「自国を守る精神が」あってこそ「侵略を阻止」することができ、アジア世界に「平和を発信」することができるのである。
中国・ロシア・朝鮮半島を「侵略」しようと考えている国民がだれ一人いない現在の日本こそ、これらを唱った平和運動が希求されていることが右翼民族派の任務であることを自覚すべき時なのである。
日本青年社が掲げる「駆け抜け 羽ばたけ 新世紀」はこうした現在性、現実性を持っているのである。