『減り続ける農家』
平成14年3月17日
日本青年社 群馬県本部 須 賀 和 男
潜在的生産能力がいざというとき発揮されるためには、その能力がいつも保持されていることが当然の前提になるのですが、いまの事態が続くとその能力がなくなることを心配しなければならないのです。耕地、とくに水田は丹なる土地ではなく、生産装置、それもデリケートな管理を必要とする生産装置なのです。
米過剰に対処する減反政策のなかでその装置の破壊が日一日とすすんでいます、より以上に、生産を担う主体がいないことを間題にしなければならない地域がひろがっています。
農業生産を中心的に担う基幹的農業従事者は1990年で約312万人ですが、65歳以上の高齢者が約29%を占めています。
2001年には210万人に減り、うち65歳以上の高齢者が46%、55歳以上をとると72%になるだろうと推測されています。 若者がいなくなり高齢者によって営まれる農業が、生産力の低下をもたらすことは必然です。
私たちの食料はいっそう輸入にたよることにならざるをえなくなりそうです。これでいいのでしょうか。米の自由化はどのように考えたらいいのでしょうか。21世紀へ向けて世界の食料需給は逼迫が予想されているのです。私たちが食生活に不安をもたなくてすむようにするために、日本の農業は大事なのです。食料は私たちが生きていく上で毎日欠かすことのできないものですから、私たち農家は人間の生命を直接的に支え、維持している生命産業だと思って頑張っております。
しかし、政府は1995年度から米市場の部分開放を強いられた。稲作中心の日本農業は、米の輪入解禁で、根本から改革を追られることになる。だが、多くの農家は、このような『内憂外患』が来ようと来まいと、零細な経営による赤字と担い手の高齢化、後継者の不足によって、規模を拡大して進むか、縮小して退くか、待ったなしの決断を追られている規模の拡大と縮小、離農とが同時に進む日本農業は、地域社会のたたずまいを一変させることになるだろう。
また、農業が天候に左右される産業であることを皆さんはどの程度実感をもって受けとめてくれているか、そもそも従来の農業は、太陽光と水、そして土壌が必須要素で、いずれも気象条件や自然環境の差異によっていちいち左右され、生産は不安定そのものである。
そして、農作業は過酷労働で、たとえば、キャベツ畑で仮植のときは仮植だけ、農薬散布のときは農薬散布だけといった具合にじっと同じ作業だけをつづける。そのために、腰が痛くなる、おばあさんは神経痛にかかる、そういった作業病が発生している。
日本の農業政策は、ぶしぎなもので、農家以外の人が、新たに農地を買うなり借りるなりして農業を始めようとするばあい、農業委員会の許可がなかなか出ないということもある。サラリーマンであっても、現に農家の世帯員になっている人なら簡単に許可が出るのに、差別しているという人もいる。農家世員以外の人については、その人が本当に営農に精進するのかどうか、農業委員会は慎重に見ているのです。農業をやるといっているけれど、すぐに投げ出すのではないか、あるいは最初からやるというのは口だけでねらいは地主になることではないのか、を見きわめるためなのですが、それも耕作しない農地所有者を絶対に発生させないことが農地法の眼目だからこそ、農業委員会は慎重になっているのです。
地主的土地所有の拡大を防ぐには、入で不適格者を排除するだけでは不十分です。小作料をもらって、それで生活できるほどの高い小作料を認めておけば、現に農地をもち農業経営を営んでいる者のなかから、地主になりたがるものが出てくることもあり、なんらかの事情で農地を貸付に出す農業者が出てきても、貸付料収入での寄生的生活はできないようにすることが、地主化防止には必要となる。
そしてそれ以上に、貸付地をいま持っているもの、農地改革は在村地主に一町歩の小作地保有を認めました。
これを残在小作地と言うのです。