『自然と稲作』


平成14年1月17日
日本青年社 群馬県本部 須 賀 和 男

 ふつう米作りといえば日本では、田植えをする。世界の稲作の7割は直播であるのに対し、日本ではもっぱら田植えが行われてきたのは、ひとえに雑草のためであった。雑草の育つ日本では、種モミを直に播いたのでは、草取りが難しい。最初のうちによほど丁寧に、稲か雑草かを見分けて除草しなければならない。これは大変な作業である。このためまず苗代をつくり、苗を密集して育て、苗がある程度成長してから水田に移植する。そうすれば除草もずいぶんと楽になる。そこで編み出されたのが、田植えであった。

 日本の先祖たちはどれほどの魂と、労働と費用とを、幾世代にわたって投じ続けてきたことであったろうか。先祖たちが手をかけ、時には血を流し、命を捨ててまで懸命に守り、育ててきた農地である。

 農耕の歴史を過去にさかのぼってみると、日本の稲作が始まり、今日までたどってきた道のりの中で、農家の人が求めてきたことはたくさんあるが、深く耕すということが最も難しい問題の一つであった。それは、深耕して堆肥を入れ、土壌を肥やすということと土の温度を上げることが求められてきたからだ。深耕のできる田んぼというのは、水をある程度落とせる田んぼでなければ無理である。そのことが、自然の土地改良(灌排水)の問題につながるし、土地を深く起こすためには水を落とさなければならない。ところが、水を落とせる乾田は湿田よりも、場所によっては3倍くらいの水を要する。排水をよくするということは、灌漑のほうもよくしなければならない。両者があわされないと、乾田化しただけでは水が足りなくなってしまう。

 そういうことで、これを求めるとつぎにこれが求められるといった具合に、連鎖的に求め続けてきた日本の稲作の耕し方の歴史がある。かたや深耕して高い収量を上げるには、そこにすぐれた堆肥を入れていかねばならない。その堆肥のもとというのは、もちろん稲ワラも必要である。米は日本の風土にもっとも適した穀物だ。

 風土条件にあう穀物こそが、そこではもっとも効率的につくることができる。そういう穀物が主食となり、それを中心に食生活が構成されてきたのであって、どこの国でも食生活はその風土条件に根づいた農業生産、したがってその風土条件の中ではもっとも生産的な農業生産を基礎にして、伝統的につくられてきた。そして、伝統的につくられたその食生活は食文化として国民文化の一翼を構成し、どこの国でも容易には変わらないことを特質としてきた。

 むろん長い歴史の過程では農業生産のあり方も変わり、したがって食生活も変わることがあったが、わずか10年、20年で変わることはなかった。その意味で、「高度化」「近代化」として進められた戦後のわが国の食生活の変容が、一国の国民の食生活と農業生産との伝統的な結びつきをわずか20年で切り離したことは、きわめて特異な社会現象だといっていい。こうした急激な変容は、それぞれに多様な展開をみせてきた各国の長い歴史のなかでもあまり例がない。

 基本的農業とは、やはり自然の営み、植物が成育、それらが、生殖機能で実をつける、その成果をとる、あるいはその途中で葉を収穫するとか、いろいろな形はあるが、作物では、種から生えてつぎに種をおとすまでの一生の過程であるし、鶏が卵を生むのも、牛が牛乳をだすのも、これらすべて大部分が生殖に関係がある。もともと肉をとるものではなく、生殖というよりは成育過程であるが、いずれにしても、もとは自然にある植物や動物、その中の一つのの仲間であった人間が、そこから離れてそれを生産の対象にするということなのである。

 日本青年社は21世紀のスローガンに『自然と共生 環境と調和』を掲げているが、やはり農業も基本は自然の環境を取り戻すことだ。環境を取り戻すということは、自然主義でも懐古主義でもない、21世紀は、20世紀の大量生産・大量消費・大量廃棄の工業化社会をどうやって廃棄物のない環境型社会に作り変えていくかが最大の課題であり、そこに人類の未来がかかっているといわれている。それは人間の物質的欲望を極限まで刺激し、肥大化させることを推進力として発展してきた市場経済をどのように変えていくかということである。『自然の環境を取り戻すこと』は、決して農家や農業だけにとどまる提起ではない。私たち人間もまた地球上の生きとし生けるものと共に大きな自然の環境の中にあるのだという死生観が育んでいかない限り、人類は死滅への道を歩むことになるのではないだろうか。