平成13年8月20日
日本青年社 群馬県本部 須 賀 和 男
私たち日本青年社は、21世紀のスローガンに『自然と共生、環境と調和』をかかげて環境問題の運動を行っておりますが、いま、私たちはかつて経験したことのない試練、地球環境問題という試練に直面している。
世界の国々があげてどうしたら生き残れるかを考え、自己の足元の大地の、よりいっそうの強靱さを養うべく懸命に力を注ぎはじめた。
地球環境破壊の影響は日本の農業にも影響を与えている。酸性雨、オゾン層の破壊、温暖化、表土流出、砂漠化、生物種の絶滅、人口の急増と、どの環境問題をとっても、明日の世界の農業環境を考えると、もはや一国だけに安全な地はない。温暖化やオゾン層の破壊など地球規模の環境破壊は、日本の農業にとっても生産基盤の危機にほかならない。
その多くの現象が、地力を劣化させ、作物の収量を減らし、生産コストを引き上げる悪影響をもたらす。自然保護は農家の役目だということを都会の人がいったりするが、たしかに農業も環境破壊をしている。たとえば、家畜尿などは、広く見れば「生物系の廃棄物」の1つである。同じ性質を持ち、したがって同じ自然観と同一の技術原理により対処すべき廃棄物の範囲は広い。糞尿ばかりか、家庭雑排水、食品工業廃水、生ゴミや河川湖沼の汚染など公害防止と生活環境の保全にかかわる廃棄物である。
そしてこれらに対処する同一の技術原理とは、自然の物質環境(リサイクル)に学ぶということである。落ち葉など動植物の遺骸を含めて、生物系の廃棄物を高度処理して再利用することは、地球がこれまで何億年も維持してきたことであり、(人類社会の出方次第だが)今後も維持していくであろう自然の摂理である。結果として、生き物にいい土と水を作る。その上に農業のみならず全生態系が栄えてきた。文明社会と近代化農業が狂わせてしまったこの物質環境をもとに戻すための努力をすべきである。
農家でも、畑作地域では硝酸塩汚水を問題にしなければならなくなっていますし、水田は硝酸塩問題は起こしませんが、空気中に放出する二酸化窒素は、地球温暖化で問題になる温室効果ガスの一種に数えられています。ホタルが夏の風物詩だったことを記憶している人も少なくなってきましたし、田んぼの緑を歩けばどこの水路でも見かけたメダカも、いまは貴重な実験動物になってしまいました。農薬過剰施用が原因ですが、それは農薬中毒問題を起こして、農業従事者の身体をむしばんでいますし、多くの消費者に農産物の安全性を心配させることにもなっています。安全な食品を求めて、化学肥料や農薬を使わない有機農業による生産物を、生産者から直接購入する消費者グループも各地でつくられていますし、そういう要望にこたえる農業者組織もひろがってきています。日本は、世界に誇ってきた土壌をあっさりとつぶし、なお完全に放棄しようとしつつある。その気楽さをいえば、かつて日本人の1人として想像できなかったほどであり、そのスピードぶりは、それを養い、現在に送りつづけてきた長い長い年月からすれば、一瞬に等しい。自国の土壌をつぶすということは、他国の土壌を略奪することであり、それはとりもなおさず地球環境のさらなる破壊を意味している。これに対して自然はどう応え、歴史はどう評定を下すであろうか。
やはりその基本は自然の環境を取り戻すことだ。環境を取り戻すということは、自然主義でも懐古主義でもない。農業は、農業のもっている恒久性、環境の倫理というものを都市の人間に伝えられなければならない。都市の人間が、工業的な環境と農業的な環境のちがいをむりやり農村にもち込んでくることの誤りを指摘しなければならない。それが工業的な都市の生命を守り、農村における農業的な環境を守る方向への第一歩なのではないかとも思う『自然の環境を取り戻すこと』は、決して農家や農業だけにとどまる提起ではない。
私たち人間もまた地球上の生きとし生けるものと共に大きな自然の環境の中にあるのだという死生観が育まれていかない限り、人類は死滅に向かうことになるのではないか。