第 一 部


第七章 韓国併合(2)

 朝鮮支配の日本の形態を植民地支配と意識的に表現し西欧列強アジア支配と同一の物であるとしているのが現在日本で使用されている教科書の実状である。

  併合時に於ける土地調査を農地から土地を奪うものだと断定し、その為に「小作人になったり、仕事を求めて日本や満州(中国東北部)へ移住したりしました。そして移住先でも、さまざまな差別を受け、厳しい生活を余儀なくされました。」(帝国書院)と記している。 しかし日本の明治維新で行った「地租改正」を朝鮮にて行ったものであり、中央集権国家と近代化の為には避けて通れないものであった。

  日本で行った事を朝鮮で行う事がどうしても差別や貧困を生むものと捉えてしまうのだろうか。そこには日本が朝鮮で行った事は全て悪だという思想と日本の近代化に対する憎悪が感じられてならない。日本の教科書には明治維新を積極的に評価しているものがすくなく、朝鮮が近代化の為に「上からの」「日本による」維新が「強要」になってしまうのだ。現在東南アジアの中で経済的に自立し、ヨーロッパ諸国と対等につきあえる国は韓国と台湾ぐらいしかない。この二国こそ、日本が併合し、国民を教育し、インフラ整備を行い、生産基盤を作った事により、他の国々に比べて急速な経済発展を遂げる事が出来た事は誰の目にも明らかな事であり、併合政策は当時としては最良な支配体制と考える方が妥当である。

  時代は少し違うが「創氏改名」について少し考えておこう。

  創氏改名が始まったのは昭和十五年の事で大東亜戦争直前の頃であった。自民党の麻生太郎氏(当時政調会長)が創氏改名は当時の朝鮮の人々が求めたものだという趣旨の発言をしたところ、日本の新聞を通して韓国に伝わり韓国のマスコミなどが激しい批判を展開した。この時もつっぱり切れず「政治的」に発言を撤回した。事実を言うと韓国から文句を言われ発言を取り消すという国辱的対応しか出来ないならば言わない方が良い。信念を持って発言するべきだ。

  創氏改名が何故行われたかというと、特に朝鮮人が満州に進出する際に朝鮮名だと仕事がやりにくいという事情があり、日本国籍を持っているのだから日本名が欲しいという切実な要望の中で生まれたもので、強制したものではなかった。

  台湾では「改姓名」と言い、昭和15年(1940年)2月11日の紀元節に政令を出し、その要望を許可した。つまり皇紀2600年のお祝として日本人名を与えたという理解が正しいだろう。ただ朝鮮では日本のように夫婦同姓が禁じられていた為、つまり一族の系譜である「族譜」が重んじられていた為に混乱が起った。しかし日本式の氏名にする為には夫婦同姓にならざるを得なかった。台湾では同姓の結婚が認められていたため混乱はなかった。

  麻生氏の発言は全く正しかったのであり撤回してはならないのだ。



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