第 一 部
第六章 日露戦争の歴史的意義
日露戦争での日本の勝利は世界中を驚かせ、特に白人帝国主義の国々は日本に対し警戒を強めていった。
日英同盟で日本を唯一の同盟国としているイギリスでさえ日本の勝利を信じる人はほとんどいなかった。バルチック艦隊を東郷艦隊が殲滅した報を受けたロンドン市民は喜ぶどころか通夜のようにしーんとしていたと当時ロンドンにいた孫文が書いている。つまり日英同盟を結び日本との同盟国として友好関係を築いていたイギリスでさえ本音は白人同士というところでロシアの勝利を望んでいたことがわかる。
203高地から砲撃を受ける2隻のロシア戦艦
日露戦争の世界史的意義は有色人種の国日本が最強の陸軍とイギリスに次ぐ海軍を持った白人帝国主義ロシアに一歩も引かず戦い抜き勝利し、それによってアジアを始め世界の有色人種が目覚めた事にある。
こうして日本はアメリカの斡旋でポーツマス条約を結ぶことになる。
条約の内容は一、朝鮮を日本の指導下におき支配する権利、二、旅順、大連の租借権と長春以南の鉄道、三、樺太の南半分、四、沿海州沿岸の漁業権をロシアから得ることであった。しかし賠償金を得ることはできなかったため国内的には不満が残った。
前回日露戦争の日本の勝利が多くの植民地の国々の人々を勇気づけたと書いたが、少し詳しくみてみよう。
まず、中国では戦勝国日本に留学する青年が一万人以上と言われ、それらの青年たちは孫文を中心に「中国革命同盟会」を東京で結成しわずか数年で中国本土で辛亥革命を成功させた。ベトナムでも、犬養・頭山・大隈らの指導により二百余名の青年が日本に密入国し革命青年の養成に成功したりインドでもネールが日露戦争の衝撃により独立運動に目覚め、多くの独立運動家が日本に亡命した。ビルマでも日本研究が盛んになり「タキン党」が結成され独立運動が盛んになっっていった。フィリピン、インドネシアでも独立運動が起こったが大きい運動にはならなかった。フィンランドではロシアに奪われていた領土を回復した。エジプトが独立に成功したのは明治天皇のおかげだと今でも言われている。
このように世界中の抑圧されている国々から称賛された日本の勝利は逆に白人帝国主義の国からは警戒され敵視された。
最初に日本を敵として認識したのはアメリカであった。ポーツマス条約で仲をとりもったアメリカは条約の締結直後南満州鉄道の共同経営を日本に申し入れた。小村寿太郎外相は桂太郎総理の受諾方針に断固反対し破談にしてしまった。この事が米大統領ルーズベルトを大いに怒らせ、日本を敵視する方針を固定化するに至った。
ドイツのカイゼル皇帝も「黄禍論」を唱え、有色人種の日本が世界に勢力を伸ばし、植民地を解放してしまうのではないかと恐怖におののいた。
日本はロシアに勝利して始めて念願の不平等条約の撤廃を行う事が出来た。
実に四十年の年月がかかったのである。
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