風 たより
〜 第 5 回 〜

平成20年8月20日


ある時、風が一弁の
     
     花びらを運んできた。

花びらは我々に静かに語りかける、
    
      時には優しく、 時には厳しく、

我々を希望ある未来に導く…………。




幕末の志士日柳燕石

 皆さんは「千字文」なるものをご存知ですか。これは今から一五〇〇年程前の六朝時代に中国で作られた漢詩です。一文字も重複しない漢字で出来上がって いる事から習字の手本として流布し、現在も書学独習の手本として愛用されているものです。この中国の千字文の日本判とも言える「皇国千字文」なるものがあります。

 作者は幕末の志士、日柳燕石(くさなぎえんせき)です。この人は幕府の追っ手から追われる長州の高杉晋作を匿い、その身代わりとして高松の獄に囚われていた時、死を覚悟した燕石が、言わば遺書代わりに、自らの志操を込めて作り上げたのが、この皇国千字文です。

 然しながらこの日柳燕石の「皇国千字文」を知る人は、今では殆どいないと思います。もっとも日柳燕石を知ることも少ないかもしれませんが、私自身も日柳燕石に興味を持ちながら、讃岐の金毘羅様を縄張りとする子分一千人を擁する博徒の親分で、尊皇の志し厚く、高杉晋作を助けて縛につき、出獄後休む間もなく官軍に加わり越後に従軍し、病気で陣没したとしか知りませんでしたので、いつか日柳燕石を詳しく学ぼうと思い立ち、燕石関係の書籍の収集を始めたところ、思いがけずもこの「皇国千字文」が手に入りました。

 「皇国千字文」を入手した当日の夜は、常夜灯の下で、おそらく日柳燕石も同様の薄暗き牢獄の中でこの千字文を書き上げる作業をしたのだろうことを思っては、千字文を熟読玩味しては、昂奮しつつ未明を迎えたものであります。

 まず天孫降臨から始まって万世一系の国柄を述べています。次いで山紫水明の風光明媚なる、日本の風土の美しさを愛でるように語り、豊穣なる国土を讃え、そして史上に名を馳せる英雄豪傑の武勇を説き起こしては、尚武護国の日本の精神を高らかに謳いあげています。

 しかも末尾には「この身は獄に在って、釜茹での刑に処せられても、所信は曲げぬ」との燕石自身の決意も披瀝されており、さらにこの千字に及ぶ、詩中の始まりの句の中に「尊」の字を、末句の中には「皇」の字を置いて、燕石の意中の信念、尊皇攘夷をこの皇国千字文の中に織り込んであるのです。実に良い作品でした。

 皆さんに、この千字文をお見せする事ができず真に残念です。何しろ漢字千文字でできているものですから、これに文語語訳を添えますと手紙では書きれませんが日柳燕石という人物は実に魅力のある人です。日本の国柄を一文字も重複しない千文字の漢詩にするには、それだけでも高い教養と漢詩の素養が必要でしょうから、この点からも、一流の人物であったことがわかります。

 また日柳燕石には美馬君田(みまくんでん)という名のかけがえのない同志がいたようであります。天誅組の義挙にも燕石に従って共に参加しておりますし、高杉晋作をかくまった科では、燕石と共に高松の獄に囚われてもいる人です。

 牛若丸に弁慶がいたように、日本の指導者にもこういう高潔な人物が必要なのではないでしょうか。

 とにかく私は、釈迦は菩提樹の下で仏心を得、達磨も武蔵も山中の岩屋の面壁して奥義を極めたとういうように、何かの心を打ち込みながら今後の研究に取組みたいと思います。(美濃の臥龍)

 

(6)へ続く