風 たより

平成19年11月13日

 ある時、風が一枚の花びらを運んできた。花びらは我々に静かに語りかける、時には優しく、時には厳しく、我々を希望ある未来に導く………

草木に想いを寄せる

 もう何年になるでしょうか、私が毎日通る道すがらに、白色の花水木と薄紫色の花水木が少しばかり離れて並んで咲いています。春は桜の開花から始まります。桜の花が咲き出すと決まって黄色いタンポポが野草の間から顔を出し始めます。それはまるで桜の開花に呼応するように、あたり一体を明るく和ませるように春の訪れを教えてくれます。そして桜が散る頃に花水木が開花を始めます。花は大ぶりで桜に良く似た感じですが枝々に咲きだすと春は一段と深まりを増して来ます。こうして咲く花はツツジへと移り変わりながら新緑の五月を迎えるころになりますと初夏の風がやさしくほほをなでるようになります。

  私はこの自然の恵みに大きな感動をいただいていますが、今年の夏は殊の外暑い日が続いたようです。私は毎年8月を迎えると今時大戦のことなどを考えたり話したりします。



●戦前・戦後の国際情勢と日本の姿

 戦前のこととなると何故、軍国主義、軍国主義と批判されるのでしょうか。

 良く考えれば判ることなんですが、戦前は現在の様な国際情勢ではありませんでした。欧米白人諸国が武力で世界を支配していた時代であって、現在のようにアジア・アフリカの有色人種が、白人と対等にものが言えるような時代ではありませんでした。そんな時代の中で、日本のようなアジアの中の小さな島国が、軍国主義を取らざるして一体どのような方法で日本の独立を保持することが出来たというのでしょうか。私は昭和九年版の世界地図を持っていますが、この地図を開くと当時と現在の世界の違いが良く判ります。当時はアフリカから始まって、インド、インドシナ、オーストラリア、そしてスマトラやボルネオ、フィリピンなどの東南アジアの島々に至るまで、ことごとく欧米諸国の領土となっているのです。アフリカで辛うじて独立を保持しているのは、何とエチオピア一国だけです。東南アジアで独立を保持していたのはタイ王国一国にすぎないのです。そして日本と中国は、中央アジアからシベリアまでの北側一帯を領有するソ連と、東南アジア一帯を植民地化してきた欧米諸国の中にすっぽりと取巻かれているような状況に置かれているのです。

 もし当時の日本人が大陸に進出せず、そして満州をソ連に奪われていたとするならば、或いはアジアを席巻する欧米諸国が中国を分割統治していたとするならば、当時の日本が独立を保持することは、おそらく不可能だったことでしょう。


●軍国主義と日本の進路

 このような観点に立てば、軍国主義とは日本が苦難なる時代を乗り越えるための産物ではなかったのではないでしょうか、言うなれば、日本を取巻く当時の国際情勢を抜きにして軍国主義を語ることは出来ないのではないでしょうか。そして私は戦前の地図を視る度に思います。敢えて軍国主義を取らざるをえなかった先人の苦衷を、平和の今に生きる私たちは何故同じ日本人として理解してやることが出来ないのだろうかと。でもこの問題を追及して行きますと結局、東京裁判に行き着いてしまうんです。日本は戦いには敗れましたが精神では負けていませんでした。しかし、東京裁判が始まると、日本は魂まで骨抜きにされてしまったのですから占領軍の思想戦も怖いものです。私は、日本が戦後六〇年を迎えた年に、日本青年社が戦後の誤った歴史認識を糾すために「東京裁判再審請求署名活動」に立ち上がった事を知ったとき歓喜のあまり涙が止まりませんでした。「日本青年社」が、戦後日本を骨抜きにした東京裁判史観に別れを告げ、国家の尊厳と国民の誇りを取り戻すことに立ち上がった勇気ある行動を決して無にすることがないよう、日本国民は歴史的法律的観点に立って戦時下で行われた東京裁判はすでに無効であることに目を覚まし、日本が真の日本に甦ることを心より願って止みません。

  次回は「日本再生への道」と題して、皆様がもっとも関心を持たれている国家の根幹である日本国憲法の改正条項について述べさせていただきます。(美濃の臥龍)


(2)へ続く