池口惠觀大僧正講話
(4)

平成20年8月26日


惠觀第一講話(4)

高野山真言宗伝燈大阿闇梨
百万枚護摩行者最福寺法主
医学博士 大僧正
池 口 惠 觀


思いつくまま

一、日本の社会の現状と対応について

 最近の日本社会に関して最も感じることは、道徳の荒廃です。

 昨年は政治家の政治資金問題や事務所費問題で、政治家の資質が問われました。また、防衛省、社会保険庁などにおける不祥事も、国民の反発を招きました。さらに、国会のねじれ現象が起きたことによって、国会が空転することが多くなっていますが、国家・国民のために働かなくてはならない政治家が、党利党略に傾くあまり、知恵を絞って政治を動かすことを忘れている状況は、国民をますます政治不信に追い込んでいます。

 経済面ではここ数年、耐震偽装問題や食品偽装問題に象徴的に現れているように、消費者を騙す商法が横行しています。昨年の世相を象徴する漢字に「偽」という字が選ばれましたが、残念ながら、それは日本社会の現状をずばりと言い当てたものでした。また、人間の尊厳を無視した残忍な事件も続発しています。特に、親殺し、子殺しなど、家族内での殺人事件が頻発していることに、仏教者の一人として心を痛めています。

 これらの背景には、深刻な道徳の荒廃という状況があると言わざるを得ません。問題は、なぜ道徳の荒廃が起きたかということです。私はそれは、戦後六十数年、日本人が日本社会の底流に流れている、仏教、儒教、道教、神道などが混淆した伝統的な精神を置き去りにし、カネとモノに価値を置く経済成長路線を突き進んできたからだ、と考えています。

 カネとモノに価値を置く高度経済成長路線は、曲がりなりにもバブル経済の時代までは、日本に繁栄をもたらしてきました。しかし、バブルが崩壊し、「経済敗戦」という状況に立たされたとき、日本人は、政・官・財をはじめ日本社会全体が、深刻な道徳的荒廃に覆われていることを知ったのです。

 バブル崩壊から約二十年が経ちます。その間、構造改革などにより、日本経済はいざなぎ景気より長い景気回復を実現してきました。しかし、地方経済はいまだ景気回復の恩恵にあずかれない地域が多く、地域格差が拡大しているのが現状です。私も鹿児島ですからよくわかりますが、地方の視点で見れば、経済がなかなか浮上しない上に、社会はますます荒廃しているという、深刻な閉塞状況に陥っているのが現状です。

 この閉塞状況を打破するには、政治リーダーが日本の伝統的な精神や道徳を体現しながら、中長期的なビジョンを明確に打ち出して、国民をリードしていく必要があります。

 真言密教に「背暗向明」という言葉があります。暗いことには背を向けて、明るさに向かって邁進していくことが大切である、ということを説いた言葉です。政治リーダーは、国民が「背暗向明」の気持ちを持って奮起できるよう、自ら密教でいう身口意、すなわち身体と言葉と心をフル回転させて、国民をリードすることが求められます。

 安倍晋三前総理はそういうタイプのリーダーで、「美しい日本」を掲げて、伝統的精神や道徳を甦らせて、日本を本来のお国柄に再生させる道筋を付けようとされたのですが、病のため志半ばで退陣を余儀なくされ、残念でした。


二、今、日本(人)にとって最も大切なこと、求められることについて

 やはり、この国本来のお国柄を取り戻すことです。幕末の遣米使節は、ちょんまげに羽織・袴、草履履きという姿で、英語も話せなかったわけですが、その堂々たる立ち居振る舞いで、現地の高官を感動させたというエピソードが残っています。

 江戸時代はたしかに「士農工商」の身分制度があった封建社会でしたが、各地の藩校や寺子屋で、仏教、儒教、道教、神道などを背景とした教育がしっかりと行われ、社会の上に立つ武士は確固たる武士道精神を身に付けていたのです。だからこそ、アメリカの高官も、侍姿の使節の立ち居振る舞いに感動を覚えたのです。

 昔から、日本を訪れた外国人の多くは、日本人の礼儀正しさや奥ゆかしさに感動していたようです。日本にキリスト教を伝えたザビエルも、明治時代に日本人・小泉八雲になり、『怪談』という小説を書いたラフカディオ・ハーンも、大正時代に来日したアインシュタインも、日本および日本人を絶賛しています。

 かつて多くの外国人が日本社会を絶賛したのは、戦前までの日本社会には、外国人を感動させる礼儀正しさや奥ゆかしさが、そこはかとなく漂っていたからです。その背景には伝統的な精神や道徳が息づいていたのです。

 しかし、敗戦を経て、戦前の日本社会に流れていた精神や道徳は否定され、日本はカネとモノを追い求める経済成長路線をひた走ってきました。その間、曲がりなりにも経済成長が実現されていた間は、精神的、道徳的荒廃は表面化しませんでした。それが、バブル崩壊で高度成長路線が行き詰まると、じわじわと表に出てきたのです。

 日本人が伝統的な精神や道徳を取り戻す基本は、やはり教育です。戦後六十年の教育の中で失われてきたものを取り戻すには、少なくとも今後六十年はかかると見なければなりません。その覚悟を政治リーダーが持ち、マスコミがいかに反対しようとも、「一千万人といえども我ゆかん」の気概をもって教育改革に取り組めば、多くの「声なき声」に支えられて、本来のお国柄を取り戻せると、私は信じています。


三、日本人の宗教観について


 古来、「日本にはやおよろずの神さまがいる」と言われてきたように、日本にはさまざまな宗教が共存しています。その源には、古代、山や海や川、巨木や巨石に神々を感じ、崇拝してきた自然崇拝があります。それは、人間も大自然の一部であり、大自然の恵みを受けながら、共生していかなければならない、という考え方に基づくものだったと言えると思います。この考え方は、現在の神道にも色濃く受け継がれています。

 大自然の中のあらゆるものに神を感じる日本人の感性は、外国から伝えられるあらゆる宗教を受容するという態度につながり、儒教、道教、仏教、キリスト教などを受け入れてきました。お正月や七五三は神社で、葬式・法事はお寺で、結婚式はキリスト教会で行うというのも、やおよろずの神を受け入れている日本ならではでしょう。

 真言密教の開祖である弘法大師空海、お大師さまも、官僚になる道を捨てて、仏教を志されてから、密教を求めて唐に留学されるまでの間、紀伊半島や四国の深山幽谷を歩き回って、厳しい修行をされています。それは、お大師さまにしても、修験道的な日本古来の神々と対峙し、日本の神々を背負った上で、新しい仏教である密教を求めて中国に渡るという段取りを踏む必要があったということです。

 お大師さまが唐から密教を持ち帰ったあと、嵯峨天皇と親交を結び、高野山の地を賜って真言密教の修行の場を創られたのも、従来の日本の神々と新しい真言密教との融合を図ることによって、日本の天下泰平を実現しようとされたからです。

 東西冷戦が終了した当時、これで世界平和が来ると考えた人が多かったのですが、平和はやって来ませんでした。宗教、民族の違いを原因とする戦争、紛争が相次いでいます。やおよろずの神さまが共存している日本は、宗教、民族間の紛争解決に役割を果たせる立場だと思います。その意味では、日本の政治家、宗教者が世界平和に果たす役割は大きいと思います。


四、その他個人的なこと(日頃の生活、今後の活動等)

 私は毎日、世界平和と衆生救済を祈って、護摩行を勤めています。護摩行とは、信者さんたちが願いを記した護摩木を燃やして大きな火を焚く、真言密教の行です。私の寺の護摩行は大きな火を焚くことで知られ、火の高さは三メートルほどになり、本堂の天井に届くほどです。毎日、二時間ほどかけて行っています。

 護摩壇の周りは、火の熱さと酸欠で、まさに焦熱地獄となり、慣れている私や弟子たちでも、顔や手が火傷状態になり、真っ赤になります。もちろん、衣は汗でびっしょりです。なぜそんなに苦しい行を毎日やるのかと、よく聞かれますが、それが行者の務めだからです。

 厳しい行を毎日全身全霊で勤めていますと、内なる仏性がどんどん磨かれて、仏さまの智慧や慈悲をいただくことができ、ときには仏さまに成り代わって、人々を苦しみや悩みから救うことができるようになります。それが昔から言われている加持祈祷です。

 祈りというのは人間にとって欠かせないものです。世界中の人たちが心を一つにして祈れば、世界平和も実現します。また、祈りは、現在に生きる私たちの土台になってくださった、先人に対しても捧げられなければなりません。

 私たちのご先祖さまや、お国のために非業の死を遂げられた戦没者や戦争犠牲者は、私たちの根っこです。いかに大きな木でも、その根っこを大切にしないと、根腐れがし、やがて倒れてしまいます。それと同じで、私たちも、私たちの根っこであるご先祖さまや戦没者を祈り、慰めないと、私たち自身や私たちの社会が崩れていくのです。

 私はここ二十年以上、世界各地を回って戦没者や戦争犠牲者の霊を慰める、巡礼の旅を続けています。その人たちの霊が安らかにならないかぎり、世界平和はやってこないと考えるからです。

 日本には昔から、戦争が終わったら敵・味方の区別なく戦没者を弔うという、仏教の怨親平等思想がありました。しかし、太平洋戦争に敗戦して以降、日本の伝統的な精神や道徳が置き去りにされたと同じように、戦没者を供養する心も忘れられてきました。本来の日本人の心は、敵・味方の区別なく戦没者を弔うことであり、日本の戦没者を慰霊することは、日本と戦った国々の戦没者を供養することでもあるのです。怨親平等思想の実践が次代の平和の礎になるという考え方です。

 数年前、天皇皇后両陛下がサイパン島を慰霊の旅で訪問され、太平洋に向かって深々と頭をお下げになったのは、まさに怨親平等思想の実践だったと、私は受け止めています。

 私は、これからも、日々の護摩行で、世界平和と衆生救済を祈念しながら、怨親平等思想に基づいた巡礼の旅も続けていくつもりです。


合掌

つづく
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