「倫理・道徳・品格の向上」
特別寄稿平成27年3月21日
高野山真言宗伝燈大阿闇梨
百万枚護摩行者最福寺法主
医学博士 大僧正
池 口 惠 觀
「附仰(ふぎょう)天地に愧(は)じず」
「附仰(ふぎょう)天地に愧じず」という言葉があります。これは「天地の神仏に決してはじることのない生き方をしなければならない」という意味の孟子の言葉です。この「附仰天地に愧じず」という言葉を政治評論の中で使ったのが、戦前の代議士で戦時中に東条首相と対立して、割腹自殺した中野正剛(せいごう)という人です。
中野正剛は大正九年に朝日新聞の記者から政治家に転身した人で、政治家になった直後に満州・朝鮮を視察し、「日本人が朝鮮、満州をはじめアジア大陸の諸民族に対する態度を改めない限り、日本の大陸政策は失敗に終る」と感じ、「自らを尊重し、他を尊重し、自らを愛し、他を愛し、人間そのものを最終の目的とする大自我が大和民族各々の胸中に即位しない限り、朝鮮人に対して愛を説く資格はない」として、朝鮮統治に関わる日本人は、「附仰天地に愧じざる男一匹になれ」と評論したのです。
ジャーナリスト出身の中野正剛にとって、日本が併合した朝鮮半島の実態は、朝鮮人の尊厳を無視し、朝鮮人に対する愛を欠いた、見るに堪えないものだったのです。だからこそ、中野正剛は日本の朝鮮半島の統治は、附仰天地に愧じない男らしいものでなければならないと、痛烈に批判したのであります。
その数年前、著書の中で「男一匹」について考察していたのが、新渡戸稲造であります。新渡戸は戦前、国際連盟事務次長として国際舞台で活躍し、日米の架け橋となって日米協調に奔走した人ですが、英語で『武士道』という本を書き、日本にも武士道という確固たる道徳があることを全世界に広めた人でもあります。十年ほど前までは五千円札の肖像になっていました。
その新渡戸稲造が大正五年に実業之日本社から出した、『自警録』という本があります。人間の心の持ち方を説いた、一種の修養書です。現在は講談社学術文庫として出ていますが、その一章が、「男一匹」というタイトルになっているのです。
新渡戸はまず、「男一匹とは何を意味するか」について考察しています。「男」には剛毅、大胆不敵、果断勇猛、任侠といったイメージがあり、「一匹」には動物の中でも人間は万物の霊長として優れた存在であるという意味が込められていると、新渡戸は分析しています。そして、世の中が聖人君子ばかりであったら、「男一匹」の存在価値は少なかったであろうが、まだ勇敢な男が必要とされる社会であり、「男一匹」は褒め言葉として通用していると説いています。
新渡戸はまた、「人にまけ己にかちて我を立てず義理を立つるが男伊達(だて)なり」という歌を紹介しながら、「己にかちて」は勇気の最も洗練されたものであり、勇気のこの段階に達すれば、孟子が言う「大勇」そのものだと言い、「勇気をふるって己に克つ」ことこそ、「男一匹」の第一の資格だと言ってます。
しかし、新渡戸が続けて協調しているのは、勇気の有無だけが「男一匹」の資格ではないということです。勇気は目的に到達する方法であり、目的でも動機でもないと言うのです。何のために勇気をふるうのかと言えば、義のためだと新渡戸は言い、そこで男として欠くべからず要素は、「事の本来、物の軽重(けいちょう)を分別する力」だと断じています。
そして、「先の先までも推論を下して遠き慮(おもんばかり)を凝らす力は、今日ではなお男子の特長とも称すべきものであって、男一匹と誇るものは、ものごとの利害、曲直について、とくに思慮する要素を備えねばならぬ」と言っています。つまり、先を見る洞察力、先見力は「男一匹」に欠かせない能力だというわけです。
勇気、先見力、洞察力を備えても、まだ本物の「男一匹」にはなれません。新渡戸が次に挙げるのが、思慮、判断力、実行力であります。一家に何か事が起きたときには、男はその事態への対応を思慮し、解決策を判断し、それを実行しなければならないと言うのです。
新渡戸は念を押す形でこう書いています。「こんにちの男一匹は、文化の進歩とともに昔時(せきじ)のごとき蛮勇の必要はいちじるしく減少したけれども、思慮と判断力とにおいて、多々ますます進むにあらざれば、男一匹として女子に優るの理由を失うにいたる」と。
要するに新渡戸は、男子が思慮と判断力を養う努力を怠れば、やがて男一匹が女性より優れていると言えない時代が来る、と男性に警告を発しているのです。そして、新渡戸はそのすぐ後に、「男女両性の接近し競争する傾向」があることを指摘し、「男一匹の将来ははなはだ危ぶまれる」と書いています。新渡戸が『自警録』を書いてから約百年、現状はいかがでしょうか。
新渡戸の「男一匹」論はさらに続きます。「男一匹」の次なる資格は、「弱者の保護」です。特に女性の保護に言及しています。「男子に乳房が加わる時の来ないあいだは、母たるの役目はいつまでも女子に属する。この一事に鑑みても、男子は女子を保護する義務が天然に備わっていると思われる。ゆえに男一匹に欠くべからず要素は女性に対して保護者となるにある。……力ある者が力なき者を養いかつ守ることこそ、生物界における永遠下易の法則である」というわけです。
そして最後に、新渡戸はこう書いています。
「女子の保護者たる役目を全うするには、猛勇では叶わぬ。やはり優しきところ、一見女性的なところがなくてはならぬ。血も涙もあってこそ真の男と称すべし。今後の伊達男は決して威張り一方では用をなさぬ。内心剛くして外部に柔らかくなくてはならぬ」
つまり「男一匹」は自分に厳しく、心の内を強く鍛え、外部に対してはやさしく、柔らかい態度で接しなければならない、と新渡戸は説いたのであります。
「男子はすべからく強かるべし、しかし強がるべからず。外弱気がごとくして内強かるべし」というのが、新渡戸の説いた「男一匹」のあるべき姿でした。
新渡戸は「男一匹」の章を閉じるに当たって、当時政治家かつ文学者として知られていたバヤード・デーロルという人の、次のような詩の一節を紹介しています。
勇深なる者は温柔なる者
愛情深き者は大胆なる者なり
「勇気の深い人は、心が温かく柔らかい人であり、愛情が深い人は大胆な心を持った人である」ということです。
私が、新渡戸稲造の「男一匹」論を紹介したのは、現在の日本の政官財のリーダーたちは、果たして「男一匹」の資格を備えた人物だろうかと思うからです。政治家は選挙に受かることしか考えない。官僚はミスなく昇進することしか考えない。経済人は自社が収益を上げることしか考えない。こういう人たちが「男一匹」に当たらないのは明らかです。
「附仰天地に愧じざる男一匹」として、国家・国民のために命を張っているリーダーが、果たして何人いるでしょうか。国家のリーダーたちの立ち居振る舞いは、それを見ている国民にも伝染します。リーダーたちの精神が弱まれば、国民の精神も荒廃します。
日本社会のあちこちで、日本人の精神的荒廃を思わせるさまざまな事件が起きています。それはリーダーたちの精神的荒廃を映す鏡なのです。
新渡戸は『武士道』の冒頭に次のように書いています。
「武士道はその表微たる桜花と同じく、日本の土地に固有する花である。……それは今なお我々の間における力と美との活ける対象である。それはなんら手に触れうべき形態を取らないけれども、それにかかわらず道徳的雰囲気を香らせ、我々をして今なおその力強き支配のもとにあるを自覚せしめる。それを生みかつ育てた社会状態は消え失せて既に久しい。しかし、昔あって今はあらざる遠き星がなお我々の上にその光を投げているように、封建制度の子たる武士道の光はその母たる制度の死にし後にも生き残って、今なお我々の道徳の道を照らしている」
つまり、武士道は日本固有の道徳体系であり、それを生み出した封建制度が崩壊した今もなお、その光は日本人の生きるべき道徳の道を照らしている、というわけです。
新渡戸が『武士道』を書いた当時の日本は「脱亜入欧」路線をひた走り、欧米列強に対してアジアへの侵略を始めようとしていた時期でした。その国家の路線は新渡戸の理想とは大きくかけ離れていたに違いありません。
新渡戸は「武士道」を世界に紹介することによって、その路線が日本の本質ではないことを世界に訴えようとしたのです。また、明治三十年代の日本には、新渡戸自身を含めて、武士道をバックボーンとした道徳的雰囲気を香らせて、国際的に尊敬を集めるリーダーたちが、まだ多く存在していたことも事実です。
「附仰天地に愧じざる男一匹」を体現するリーダーがいなくなったことは、新渡戸が挙げた「義」「勇・敢為堅忍の精神」「仁・惻隠の心」「礼」「誠」「名誉」「忠義」など、武士道精神を受け継ぐリーダーがいなくなった証明でもあります。武士道を体現する「男一匹」でなければ真の日本再生は難しい、と改めて感じる今日この頃です。
合掌