良書紹介 近日発売
世界の中で輝かしい歴史を残す日本
ー誇り高き日本人の姿を復元するー
「日本人でよかった」

 

近日発売!!良書紹介

世界の中で輝かしい歴史を残す日本

誇り高き日本人の姿を復元する

 日本青年社は「倫理・道徳・品格の向上」を掲げてから二十年、我々一人ひとりが誇り高き日本人の姿を復元し、誤れる国情を修正しうる模範となるよう日々研鑽をしていこうというものです。その意を良く理解し活動を続けてくれている、日本青年社同志、全国社友会、議員同志連盟の皆様、アジア和平日本委員会及び各県奉賛会の皆様には、深く感謝致します。この度、そうした志を同じくする『日本人で良かった』という書籍が出版されます。どんな思いが入った本なのか、出版社の斎藤信二社長に聞いてみました。

出版に当たってのきっかけは?

 平成から令和に元号が変わり、何か高木書房らしい本が出せないかと思ったのです。というのは、日本の場合、元号はその時代を)反映しているからです。

 私に限らず、「今の日本はおかしい」と思っている人は多いはずです。国という面で言えば「自分さえよければ、国などどうでもいい」という考えが蔓延しています。それは当然、反日になって行きます。その原因を探っていくと、昭和二十年日本が敗戦しGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に占領統治され実施された日本弱体化、いわゆる戦後教育に行きつきます。問題なのは、それを日本人が引き継ぎ、その原因を知らないまま当たり前のように受け止めていることです。これでは日本人の誇りを持つことはできません。

 その問題をどう変えて行くかと考えていて思いついたのが、「日本人を感じてもらう」ということです。それでプロローグに、ユダヤ人の命を救った樋口季一郎(ひぐちきいちろう)少将を取り上げました。「えっ、それは『命のビザ』の杉原千畝(すぎはらちうね)じゃないの」と思うかもしれませんが、そう言えるのは樋口少将が満州で実際にその人達の命を救ったからです。そのことを知って私は、「これが日本人だ」と感じたのです。

 同時に、感じることはできても、日本人を具体的に表現して人に説明するのは、結構難しとも思いました。そこで日本人像の一つとして、新渡戸稲造の『武士道』の中から、八つの徳目を取り上げ、僭越ですが私の思いも入れさせて頂きました。

 

人物の学びは人間教育

 伝記や偉人伝を読むとワクワクしますから、「人の生き方、人生哲学」を楽しみながら学ぶことができます。本嫌いだった私は司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読んで読書が好きになりました。

 人物を学ぶと同時に、「日本の歴史を学ぶ」ことも非常に大切だと思っています。歴史を学ぶに当たって問題点は、見方によって理解がまるで違ってくることです。戦後教育では、日本はこういうことをしたという「日本悪者論」が主です。でもこれはおかしい。日本は一国ではなく、世界の中で生きてきているからです。それで今回は、「世界の中で日本はどう生きてきたのか」という視点で歴史を見ることにしました。そしてもう一つ、できるだけ分かり易くしたいと思って絵も入れることにしました。

 そしてまとめ始めたのですが、正直なところ力不足で本当に大変でした。ですが、「日本人って凄い。よくぞ日本を守ってきてくださった」と感謝の気持ちが湧いてきました。

 確かに明治維新から大東亜戦争までは、戦争の時代でした。だからと言って、それがそのまま日本の侵略戦争だなんて、とても言えない。むしろ、逆の世界が展開されていたことが分かります。力(軍事力)の強い国が、弱い国を支配してきた時代だったのです。それがいまなお続いているのが実情です。そのことは決して忘れてはならないと思います。


  

先人の努力で今の日本がある

 歴史を学ぶに際して、大切なことがあります。それは、歴史を知識で知るだけでなく「日本人としての自覚、誇り等を高めていく」ことです。先ほども言いましたが、歴史は見方によって解釈が違ってくるからです。日本は悪い国と思っては、国を守る力にはなりません。

 『武士道』の部分でも書きましたが、日本人には利他の心があります。国と自分の命も一つという考えもあります。身近で言えばボランティア活動もそうでしょうが、それは他者の為になる、国家に役立つ生き方に繋がっています。問題はその実行です。行動を起こすことは簡単ではないからです。

 その点、日本青年社の皆さんは、具体的に行動しておられる。尖閣諸島の灯台建設を知った時には、私、日本人として感動しました。タイ王国の「平和祈念公園」の活動も素晴らしいですね。誰にも頼らず自力で造り上げ、毎年、春と秋には例大祭を執り行っておられる。頭が下がります。国を守り、先人の志を無駄にすることなく感謝を捧げる。なかなか真似できないことです。そのことも書かせてもらいました。

国の守りは国家国民の使命

 日本の歴史や人物を学んで、日本人としての誇りがより強く持てるようになるのは、日本人には日本人の心があるからだと私は思っています。元号は変わり、天皇陛下の御即位に関連する行事がありました。十月二十二日には「即位礼正殿の儀」、十一月十四日~十五日には「大嘗宮の儀」、そして十一月九日には 天皇皇后両陛下 即位祝賀パレード「祝賀御列の儀」がありました。私はテレビで視ていましたが、「あー、日本人で良かった」と本当にそう思いました。またパレードを見ていた人の街頭インタビューもありましたが、いずれも感動した様子が伝わってきました。それが日本人の心を持った普通の日本人だと思います。中にはそうでない人もいますが、日本人として残念だし淋しいことです。

 「即位礼正殿の儀」には一九一の国と国際機関などの代表が参列されたそうです。日本の伝統を世界に発信できたと思います。万世一系として、世界一長く続く日本の皇室、それが日本という国の凄さです。令和二年は皇紀二六八〇年、営々としてその伝統を守り通してきたのです。その凄さ、尊さを日本人は大切にして守っていく。そんな思いも書かせてもらいました。

 吉田松陰の「士規七則」の中に「君臣一体、忠孝一致なるは、唯吾が国を然(しか)りと為す」があります。この一体という感覚、これが日本人の心だと思います。


なぜ「日本悪者論」に陥ったか

 そうした立派な生き方をしてきた日本人が、なぜ「日本悪者論」に陥(おちい)ってしまったのか。ということも触れました。それは戦争で日本がとても強かった。それだけではありません。アジア諸国を支配してきた白人を植民地から追い出してしまったのです。

 白人にとって、大変な出来事です。その恨みの大さは想像に難くありません。それでGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は徹底した日本弱体化、日本人から日本人の精神を消しある手を次々打ちました。

 残念なのは日本が昭和二十七年、主権を回復した後も日本人自身がGHQの意図をそのまま引き継いでいることです。

 しかし私達は、これに負けてはいけない。むしろそれをバネにして日本精神を復活させる。それが、日本青年社が掲げる「倫理・道徳・品格の向上」の取り組みだと思っています。

 実は私、本をまとめている途中で、後醍醐天皇に忠誠を誓いそれを貫き通した楠木正成公を祀る湊川神社に行ってきました。『大日本史』の編纂を手掛けた水戸光圀公が、大楠公の墓碑を建立されていたと知ったからです。

 また、硬い話だけではと思い、マレー独立に関わる「ハリマオ物語」も掲載しました。これも当時の歴史の背景と日本の活躍が分かります。

『日本人で良かった』の内容、 目次は次のように考えています。

    

プロローグ

 日本人を感じる歴史の一話

第1章

 本来の日本人が持つ日本人らしさ

第2章

 国を奪えば英雄じゃないか ハリマオ物語

第3章

 優しく学ぶ世界史の中での日本近代史

第4章

 日本人の生き方に触れる

第5章

 「日本国悪者論」はこうして生まれた

第6章

 重要なのは日本人自身の目覚め

第7章

 自国優先主義の世界で日本はどう生きる

第8章

 歴史は人がつくる 国を背負う若者へ

エピローグ

 托卵をワピピする

あとがき

それではここから、内容のごく一部を紹介します。

「まえがき」から

……「どうすれば、今後とも日本の国の安全と平和を保っていけるのか」を自分の問題として考えることが大切です。そうでなければ、日本の安全と平和は極めて危険な状態に追い込まれます。なぜなら現実の世界は、すべて自国の利益優先で動いており、その為には戦争も侵略も辞さない国があるからです。世界は、決して甘くはないのです。

 その様な中で日本が生き続けて行くには、日本人自身が日本の歴史を公正な目で見て、日本人としての誇りを持ち、後に続く人達にも「日本人で良かった」と言ってもらえる日本づくりをすることです。それがまた、日本を守り続けてきてくれた先人への御恩返しであり、先人の思いを引き継ぐことにもなると思うのです。

 大きく言えば、日本の将来は、私達一人一人の生き方にかかっているということです。そのためにも、私達自身が日本人としての質を高めていかなければならないと思います。

●ユダヤ人を救え


 昭和十三(一九三八)年三月、まだ寒いある日、満州のハルビン市で特務機関長をしていた日本陸軍の樋口季一郎(ひぐちきいちろう)少将のところへ部下が駆け込んできました。

「機関長! たいへんなことが起こりました」

「どうした、そんなにあわてて!」

 満州と国境を接するソ連のオトポール駅で、ナチスの迫害から逃れてきたユダヤ人が、満州国に入れてもらえずに立ち往生しているというのです。吹雪の中、野宿同然の状況で、何と二万人! オトポール駅はシベリア鉄道のアジア側の終点です。

 日本とドイツは同盟国です。ここでユダヤ人を満州国へ入れるとドイツ側から抗議を受けて立場が悪くなってしまいます。

 樋口少将は、すべての責任は、自分が引き受けるとして、即座に満鉄の総裁・松岡洋右(ようすけ)(後の外相)に連絡して特別列車を運行させました。ユダヤ人難民を受け入れたのです。

 このオトポール事件が落着して二週間後、ドイツ政府から抗議文が送られてきて、樋口少将は、上官の東条英機(のちに首相) 参謀長から呼び出されました。

 樋口少将は東条に答えます。

 「私のとった行動は間違っていません。ドイツのやり方がユダヤ人を死に追いやるものであるなら、それは人道上の敵です。……私は日本とドイツの友好を希望します。……東条参謀長! ヒトラーのお先棒をかついで、弱い者いじめをすることを、正しいとお思いになりますか」と迫りました。

 東条は「樋口君、よく分かった。君の主張はちゃんと筋が通っている」として不問に付しました。この事実があって杉原千畝氏の「命のビザ」は生きたのです。

 上海では、犬塚惟重(いぬずかこれしげ)海軍大佐が一万八〇〇〇名のユダヤ難民を保護しました。あるユダヤ女性は、大戦中も「上海は楽園でした」という詩を残しています。その楽園の守護者こそ犬塚大佐でした。

  

●新渡戸稲造の『武士道』にみる日本人の生き方

 新渡戸稲造は『武士道』の中で八つ徳目を挙げています。「義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義、克己」です。この武士の心構えが、日本人の生き方となって継承されてきたと私は思っています。これを勉強しながら、何でこの八つの道徳が日本人にあるのかと考えてみました。それで「そうか」と思ったのは、日本人の心(精神、生き方)には常に自分以外の他者や公の立場が同居しているということです。

 生きているのは自分という個人ではあるけれども、それは同時に他者のため、公のためにも生きている。個人と国の関係で言えば、個人として生きているけれども国民としても生きている。個と全体は、それぞれが単独で生きているのではなく、同時に生きているということです。

 しかも日本人は、それを意識しないで生きている。おそらく長い歴史の中で築きあげられた文化(生き方)が、日本人のDNAとなっているのだと思うのです。

●奴隷と植民地支配はセットだった

 ローマ教皇ニコラウス五世が、一四五二年にポルトガル人に「異教徒を永遠に奴隷にする許可」。一四五五年には「異教徒の土地と物品を所有する権利をポルトガルに独占的に認可」しています。

そこに一四九二年、スペイン国王の支援を受けたコロンブスが大航海で新大陸発見。現地の物品略奪に成功したことで、一四九四年、ヨーロッパ以外の新領土は、東側はポルトガル、西側はスペインに属するというトルデシリャス条約が、ローマ教皇アレクサンデル六世によって承認されたのです。

 古い時代とは言え、なんと身勝手なことでしょう。南米がスペイン語やポルトガル語を使っている理由だったんですね。

●明治維新は日本を守る為の新体制づくり

 鎖国をしていた日本(江戸幕府)に、列強が日本の開国を迫ってきました。その意図は日本を植民地にすることでした。いまのままでは日本を守ることはできない。それが明治維新です。

 「安政の大獄」や、支援を持ちかけてあとで国を奪う列強の手口に負けず、日本は明治維新を成し遂げました。国防危機から、幕藩体制から中央集権体制に、富国強兵を国家目標に掲げました。

 そして日清戦争が始まります。日本は勝利し、(1)朝鮮の独立を認める。(2)遼東半島・台湾を割譲する。など清国と下関条約を結びます。そのわずか六日目に、フランス、ロシア、ドイツから、遼東半島を還せ! との返還要求されます(三国干渉)。

 力づくで奪い取る、これが世界の現実だということです。

 日本は、已む無く返還し、臥薪嘗胆が日本人の合言葉になりました。

●日露戦争で有色人種の日本が勝利



 日露戦争では、とても日本に勝ち目はないと言われていましたが、日本が勝利しました。人類史上唯一、世界の分水嶺と言って良い勝利です。列強に支配されていた国、有色人種は歓喜しました。圧政に苦しむ人達の希望の光となりました。世界に誇る快挙です。

 詳しく知りたい人は、司馬遼太郎の『坂の上の雲』をお薦めします。

●日本「人種差別撤廃」法案を提唱

 第一次世界大戦が終結し、日本は世界の五大国の一つになりました。日本は、パリ講和会議に参加して、白人優先主義の中で、「人種差別撤廃」法案を提案。これは画期的なことです。

 多数の賛成を得ながら、全会一致ではないと否決されてしまいました。日本は白人国家の現実を見せつけられたわけです。ちなみに人種差別撤廃条約は、昭和四十(一九六五)年の第二十回国連総会において採択され、昭和四十四(一九六九)年に発効しています。日本の提案がいかに画期的だったかがわかります。

●「日中戦争」ではなく「支那事変」

 昭和十二(一九三七)年七月に起きた(中国軍が先に攻撃)盧溝橋事件から、昭和二十(一九四五)年八月まで、日中戦争と呼んでいますが、正しくありません。日本は戦争不拡大の姿勢をとり宣戦布告はしていないからです。ですから支那事変が正しいのです。

 そういう視点で歴史を見て行くと、日本の立場が良く見えてきます。

 中国共産党(毛沢東)は蒋介石の国民党軍と日本を戦わせ、日本と国民党軍を弱らせ、最後は国民党軍を中国本土から追い出し政権をとった。

 日本社会党の佐々木更三氏が、中国を訪問した際に、「日本が中国を侵略し申し訳ない」と謝ったら、毛沢東は「いえ、私達は日本が国民党と戦ってくれたので感謝している」と言ったそうです。

●戦争反対の国民を騙した米大統領

 日本に対する最後通牒と言われるハル・ノート、なぜアメリカは日本に衝き付けてきたのでしょうか。当時のアメリカ国民は戦争反対でした。それをひっくり返すためには、日本から先に戦争を仕掛けて欲しかったからです。

 

 アメリカは、日本の暗号を全て解読し、日本軍が真珠湾攻撃することも分かっていました。一九四〇(昭和十五)年十月八日、アメリカ国務省で、一、米国人は可及的速やかに極東を離れること。二、太平洋のハワイ諸島にいるアな)」を成功させ参戦したのです。

●独立を果たした各国要人の言葉

 各国の要人が、日本に対して感謝の言葉を述べていることを忘れてはならない。

●パール博士の大亜細亜悲願之碑

 東京裁判で唯一被告全員無罪判決を下したインドの代表判事、ラダビノード・パール博士は、広島の原爆ドーム前にある原爆慰霊碑に書かれている「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」に対して書かれた言葉があります。それは、大亜細亜悲願之碑として、広島市の本照寺境内に建立されています。

 激動し 変転する歴史の流れの中に 道一筋につらなる幾多の人達が 万斛(ばんこく)の想いを抱いて死んでいった しかし大地深く打ち込まれた悲願は 消えない 抑圧されたアジア解放のため その厳粛なる誓いに命を捧げた魂の上に幸あれ ああ 真理よ! あなたは我心の中にある その啓示に従って 我は進む 一九五二年一一月五日

ラダビノード・パール

 この碑文を読むと、国のために散華された先人に心から感謝し、それに恥じない生き方をしなければと思います。

●歴史を学んで思うこと

 例えば、明治四十二(一九〇九)年十月二十六日、伊藤博文統監がハルビン駅で安重根に銃殺され、明治四十三(一九一〇)年八月に日韓併合が決まりました。こういう歴史の事実を知ると私は「自国の独立を守ることがいかに重要か」ということを強く感じます。ですから先人への感謝を忘れてはいけないと思います。

 昭和の後半、日本の歴史は戦後教育で悪者にされ、平成でそれがあたかも真実のように思われている。そう思うと、令和の時代に輝かしい歴史を持つ本来の日本を取り戻さなければならないと思います。そのためには、私達が「日本人で良かった」と思える国づくりをする。それが今の私達に求められていることではないでしょうか。