役員会議開会 平成三十一年四月二十八日(日)、日本青年社は東京九段の靖国会館(靖国神社境内)において全国から参集した役員による平成の御代最後の「春季・全国代表者役員会議」を開会した。 「本日は平成最後の「全国代表者・役員会議」ご苦労様です。 今年は松尾会長が平成十一年四月に日本青年社の新会長に就任されてから満二十年を迎えました。今から二十年前、松尾会長は新会長に就任された時の初心表明において「私が日本青年社の会長に就任して改めて顧みれば日本青年社の歩みは激動する戦後日本の歩みであったと思います。私は会長に就任するにあたり、ただ単に従来の日本青年社を引き継ぐというだけではなく、ここに心機一転を図り、『新たなる民族運動の構築』を実現すべく組織の刷新をはじめとする大改革を実現することを肝に命じております」(中略) 「日本青年社は、旧来の右翼の概念から脱皮して、新たなる民族運動を構築するために組織の刷新と拡充を図り、旧来の縦割り機構を解体して横に意見を求めていくプロセスを打ち出し、合議制を導入することを考えており、その上で国民大衆に支持される民族派団体として確たる市民権を持ちえた民族派のプレゼンスを決定づけてゆく。そのプロセスこそが、私たちが疑問を抱いていた旧来の唯我独尊的な民族運動の建て直しであり「新たなる民族運動の構築の突破口である」と述べられましたが二十年前に松尾会長が述べられた通り現在の社会環境は大きく変化しました。このような過程において、日本青年社はその存在を社会に広く反映させるべく全国社友会と議員同志連盟を立上げ、国民大衆との間に大きな乖離を作り出してきた街宣車のよる統一行動を見直すなど、数々の意識改革と体質改善に取り組みながら多くの政治家、教育者、文化人たちの声を聞き取りながら日本青年社を守り、数々の試練を乗り越えて次なる活動を模索して参りました。そのような日本青年社は、今、健全な保守民族派団体へと生まれ変わりました」と挨拶した。 続いて、小林明全国社友会会長が「今にして思い返しますと平成七年に起きた阪神淡路大震災のときに皇后陛下はお言葉を発せられないので手話で被災者の方々を励ましておられました。そして天皇陛下も皇后陛下も避難所になっていた広い体育館に入るときに靴をお脱ぎになって素足で膝を折られて被災者の方々と向い合ってお話しをなさって下さいましたが、その二日後、誰とは言いませんが時の総理大臣は被災者の慰問に行って体育館に土足でづかづかと入ったんです。それを見た被災者の方たちは、同じ人間なのに何でこんなに思いやりがないのかと怒りより悲しがったそうです。私もそう思います。(中略)今朝、新聞を見ていたら、日本は生活保護費を外国人に支給してるんですが、みんなあたり前のように貰って黙って帰ってしまうんですね。これを厚労省の役員は忙しがっているんです。これ税金ですよ。日本人だって一生懸命頑張っているのにおかしいでしょう。 また事故が起きたてからしばらくして名前が出ましたが、例の池袋で高齢者が起こした大きな人身事故、そして神戸で起きたバスの事故などを見ていると特別の人は名前が出ないんですね。これはこの人が通産省関係の仕事をしていたからですかね。こういうことに国民不公平感を感じるわけです。今の世の中は矛盾だらけですよ。私は日頃から自分が正しいと思ったことははっきりと言うことにしています。後三日で迎える令和の時代、日本青年社は新しい気持ちを持って頑張って行きましょう」と挨拶した。 |
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