特別講演
憲法改正をめぐる主権者の役割 高木書房

 

尖閣灯台建設は日本政府との闘いであった

 ご紹介にあずかりました高木書房の斎藤信二と申します。六年前になりますが、加瀬英明先生監修の『われわれ日本人が尖閣を守る』の編集を担当させていただきました。これを今回、改めて読み直して、編集中に強く感じたことを思い出しました。それは日本政府そのものが戦後思想に大きく影響され、国家として当たり前の「自分の国は自分で守る」ということをしてこなかったことです。

 今日は憲法改正の話ですが、現在の日本国憲法は戦後思想という点では尖閣問題と根は一緒です。戦後思想がいかに日本を悪くしてきたか、もう少し尖閣の話をしたいと思います。

この本は三部構成になっており、その第二部は「尖閣諸島灯台攻防物語」となっています。なぜ「攻防物語」なのか、ここに書いてあることを少し読んでみます。

 「あえて攻防物語としたのは、権謀術数、狙ったものは何をおいても奪い取ろうとする中国の狡猾さに加え、日本国内の親中派の言動に対し、いやというほど中国に阿(おもね)る日本政府の対応ではどうにもならない。何としてでも尖閣諸島の実効支配を継続的に進めなければならない。という日本青年社の灯台の守りが攻防戦に思えたからである」

 正に日本青年社が尖閣に灯台を建て、守り続けてきたというのは日本政府との闘いだったんですね。島に行って灯台を建ててくればいいというような話ではない。本来なら、我が国日本政府が国の守りとして灯台を建設すべきなのに、その建設に対して日本政府が邪魔をしたということです。こんなことで国の守りはできるでしょうか。

 しかも中国に気を使って、中国に反発されないように、反発されないように、日本国民の行動を抑え込むというのが日本政府の態度だったんですね。そういう状況の中で、これを黙って見ているわけにはいかない、日本の国のために灯台を建設しようと頑張ってやってきたのが日本青年社の皆さんだったわけです。

続けて、次のように書いています。

国の守りという崇高な理念が行動を支えた

 「それにしても二十七年間、本来なら国がやるべきことを日本青年社はやり通してきた。聞けば灯台の建設、維持管理、人の派遣などそのすべての費用を持ちながら、『灯台は日本青年社のものではなく日本のものである』という思いを強く持っていたという。その思いが国の守りという崇高な理念となって隊員を奮い立たせていたに違いない」

 原稿を書きながら、「国のために」という崇高な思いがあったからこそ、日本青年社の皆さんは頑張って灯台を建設できたんだと私は思いました。さらに文章は続きます。

 「その原点は、自国の領土は自分で守るというごく常識的な考え方である。しかし現在の日本政府を見れば明らかなようにそれを行動で示そうとはしない。政府がやらなければ、いや、できないならば国の守りの先駆けとなって尖閣諸島の実効支配を行う。それが尖閣諸島における灯台建設の重要な意味である。

たかが灯台ではない、国家の守りの象徴である。灯台の光は近くを航行する船舶の安全の水先案内でもあるのである。灯台は国家移譲された今、すべて国の管理に中にある。そこに中国が尖閣諸島は自分の領土だと言い張って公船を日本の領海接続水域に入りこませている。

 憲法前文にある『平和を愛する諸国民の公平と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した……』と、安穏としていられるような時ではない。

 自らの意思で、自らの命を守らなければ、安全と生存は保持できない現実を、今、中国によって見せ付けられているのである」

と第二部は締めくくってあります。

 そして現在、日本を取り巻く状況は更に悪化し、平和憲法があるから日本の平和があるなどとは言っておられない状況になっているわけです。

現実に即さない憲法前文の「空想的平和主義」

 いま憲法前文の話が出てきました。この憲法前文があって「自分の国は自分で守る」という国家として当たり前のことができない。これを打破するには憲法を改正するしかない。というのが憲法改正派の基本的な主張だったと思います。現に私はそうでした。もちろん日本弱体化を狙ったアメリカ製の憲法というのが根底にあってのことです。

 しかし今日は――おそらく皆さんも初めて聞くことだと思いますが――その憲法前文に自衛隊を認める文言があるという話をさせていただきます。それをわかり易くまとめて書いてあるのが、本日の資料である「自衛隊を憲法に明記する 全国有志の会」発行の『自衛隊の皆さんに感謝をこめて』です。

 実は憲法の前文には三つの平和主義があります。冊子の二十三ページにあるコラム3にそれが書いてあります。

平和主義Ⅰ

 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した。」

平和主義Ⅱ

 「我らは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」

平和主義Ⅲ

 「我らは、いずれの国家も自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等の関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。」

 わかり易く申しますと「平和主義Ⅰが、「空想的平和主義」といわれ、九条のもととなっています。日本さえ戦争を放棄すれば、世界のほかの国はすべてが平和愛好国だから、戦争になることはないという意味です。日本を悪者にした言葉です。なぜなら、この諸国民の中には、日本は入っていないからです。

 本当にそうなのでしょうか。例えば中国の実態をみれば、これがいかに現実に合わない平和主義の考えであるかがわかります。中国は着々と軍事力を強化し、アメリカが世界の警察官を止めたと宣言したことをいいことに、周辺諸国を脅し、経済的支援と言いながら軍事拠点を作り、世界の脅威となっています。

 識者は、今のままでは日本は中国の自治区になると指摘しています。そうなったら日本は消え、我々のパスポートは日本人ではなく中国人になってしまいます。そうなっていいのか、という強い思いが憲法改正の大事なポイントです。

憲法前文の「自国の主権を維持し」は重要な文言

 今回、一番お伝えしたいのは、「平和主義Ⅱと「平和主義Ⅲです。Ⅰの「空想的平和主義」に対して、安倍総理が度々口にする「積極的平和主義」のことです。

 冊子の二十七ページには、(1)憲法前文の積極的平和主義のところで「憲法前文の平和主義ⅡとⅢ、「平和主義Ⅰの空想的平和主義とは真逆の理念となっています。つまり「積極的平和主義」であり、世界の現実を直視し、積極的に平和を維持するために行動することを基本としています。」と書いています。

 「平和主義Ⅱにある「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しよう」という決意は非常に重要です。権力で国民を抑え込み、思想や表現の自由、信仰の自由などを禁止するような国は除去しようというのです。旧ソ連や、現代における中華人民共和国や北朝鮮などがこれに当たります。

 この文言を守るためには、そのような国に捲き込まれないように、力を持たなければなりません。なぜなら話し合いでは国際社会では無理だからです。ということは、戦力を持つということになります。

それが「積極的平和主義」です。

「平和主義Ⅲが更にそのことを明確に表明しています。

・いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない

・その政治道徳の法則は、普遍的なものであり

・この法則に従ふことは、自国の主権を維持し

・他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる

 特に「自国の主権を維持し」に注目しましょう。国家の主権とは、一定の領域(領土・領海・領空)と国民を持ち、他国からの支配や干渉を受けずに自国のことを自主的に決定する権利のことです。

 つまり国家の最大の権利が主権を維持することなのです。主権が維持されてこその国民主権であって、国民の生命や自由や幸福追求権などの基本的人権も国家主権が維持されていて守られるのです。

 国家主権の維持というのは具体的には「自衛権」のことです。自衛権とは、他国からの侵略を阻止する国民の意思と軍備のことです。日本では自衛隊になります。

 冊子の二十九ページの(4)には「……文章そのものが英文の直訳ですから難解ですが、国家主権を維持することは独立国家の当然の基本的な責務であるという文脈で書かれていることは間違いありません。ですからこの規定によって国家主権を維持する「自衛のための戦力」としての自衛隊は合憲という判断になります。」と書いています。

現憲法の制定目的は「日本無力化」しかし……

 憲法前文で自衛隊は合憲と判断できる文言があるのに、何故現憲法にはそれらのことが書かれていないのでしょうか。

 一番大きな理由は、憲法制定の目的が「日本無力化」にあったからです。冊子二十五ページにそのことが書かれています。

1、「日本無力化」を指示したマッカーサー・ノート

 昭和二十一年(一九四六年)二月三日、連合国最高司令官マッカーサー元帥は、ホイットニーGHQ民生局長に対し、新しい日本の憲法を起草するように命令を下し、その草案作成にあたっての基本原則を示した「マッカーサー・ノート」を手渡しました。それは三項目にわたっていますが、その中で二番目に示されていたのが「日本無力化」の方針でした。

〈マッカーサー・ノート二項〉

 国家主権の発動としての戦争は廃止される。日本は、紛争解決の手段としての戦争のみならず、自国の安全を維持する手段としての戦争をも放棄する。日本は、その防衛と保全とを、今や世界を動かしつつある崇高な理想にゆだねる。日本が陸海空軍を維持する機能は、将来ともに許可されることがなく、日本軍に交戦権が与えられることもない。

 ということで昭和二十一年の現憲法公布時には、自衛隊そのものが存在していませんでした。ところがそうは言っておられない事態が起きてしまいます。冊子二十六ページにそのことが書いてあります。

 しかし、当のマッカーサーは、朝鮮戦争の勃発前夜というきな臭い状況の中で、昭和二十五年(一九五〇年)年頭の辞で「憲法九条は自衛権を否定していない」という趣旨の発言をし、同年七月自衛隊の前身となる警察予備隊を発足させました。つまり朝鮮戦争の勃発を受けて自衛権の必要性を痛感したからにほかなりません。日本無力化の方針は撤回されたのです。

 にもかかわらず、現在まで自衛隊が憲法に明記されていないのはなぜでしょうか。冊子7ページにその理由が書いてあります。

 イ、国会発議の条件が整わなかった

 創設時に憲法は改正されるべきでしたが、国会で憲法改正の発議を行う条件(衆議院と参議院で三分の二の賛成が必要)が整っていなかったからです。

憲法改正は国会で発議し国民投票で決まる

 それが安倍政権になって公明党との連立ですが、憲法改正の発議を可能にする衆議院と参議院で三分の二の議員数になったのです。しかし憲法改正は、その後に実施される国民投票で過半数の賛成を得なければ実現できません。

 ここで主権者の役割が出てきます。冊子九ページの5、憲法を改正するのは主権者の最大の権利の中で次のように書いています。

(1)主権者とは国家の意思や政治の在り方を最終的に決定する権利を持つ者主権とは「国家の意思や政治の在り方を最終的に決定する権利」(大辞林)であり、その権利を持つのが主権者です。

「国家の意思」は、憲法に書かれていなければなりません。従って今や九割を超える国民が支持している自衛隊を憲法に明記して自衛隊違憲論に終止符を打つことは、主権者の意思を国家の意思として憲法に反映させることであって、我が国が民主国家であることの証となります。自衛隊が憲法違反ならば、自衛隊は解散するしかありません。

 ここで憲法第九条とその解釈について復習してみます。冊子の八ページです。

4、「憲法第九条と自衛隊」

(1)日本国憲法第九条と解釈

①日本国憲法第九条

第一項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

第二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

②憲法第九条の解釈

ア、解釈1(自衛隊違憲論) 第九条は、いかなる戦力の保持も禁止しており、戦力たる自衛隊は憲法違反。

イ、解釈2(自衛隊合憲論) 第九条は、自衛のための戦力保持を禁止しておらず、自衛隊は合憲。

ウ、解釈3(政府解釈)

 第九条は自衛のためであっても「戦力」の保持を禁止しているが、自衛隊は「戦力」ではなく「自衛のための必要最小限の実力組織」なので、憲法違反ではない。

③政府解釈の問題点

 政府の9条解釈は非常に分かりづらく、現実とかけ離れた解釈を積み重ねてきたために、ピサの斜塔のごとく、倒壊寸前の状態にある。その最大の問題点は、自衛隊を「戦力」と解釈してこなかった点にみられる。今や世界でも有数な武装力を保持する自衛隊を「戦力」ではないといい続けることは、国際的にも、国内的にも通用しない。

(「一番よくわかる憲法9条」西修:海竜社より)

憲法改正は主権者が日本の安全を確保する運動

 なぜ政府はこのような解釈をしているのでしょうか。それは憲法改正を、何が何でも実現したい。一度も改正したことのない憲法改正、そのチャンスを逃してはいけない。そのためにどうするかということを考えたからだと思います。

 というのは、憲法改正派にも護憲派にも配慮しなければならないからです。

そのことについては、冊子の十四ページから十九ページまでに書いています。長いので簡単に説明します。

 憲法改正論の中で、最も正論と言えるのは現憲法無効論ではないでしょうか。理論として正しいからです。また現在根強くあるのは、九条二項を削除し、その上で自衛隊を明記する案です。これも原則論としては正しく、できることならそうしたいと私も思います。

 しかし、もしこれを国会で打ち出したなら、護憲派は、待っていましたとばかりに「九条二項を削除」反対キャンペーンを繰り広げるでしょう。たとえ国会で三分の二の賛成で憲法改正が発議されても、国民投票で過半数の賛成が得られるかどうかを考えると、その実現は難しく、憲法改正は遠のいてしまいます。

 現に護憲派は――国を守る手立てには一切触れることなく――なりふり構わず反対する者なら誰でもいいと動いています。護憲派が狙っているのは現状維持派の人達です。現状維持派とは、自衛隊を支持する人達です。その人達を味方につければ大きな力になるからです。

 これは改正派にとっても同じで、どうやって現状維持派の人達に賛成に回ってもらうかが大事になってきます。それが主権者としての大きな役割となってきます。

 護憲派の動きは、本来の主権者の在り方ではありません。主権を守るとは国の安全を守ることです。それを示さず、ただ反対するだけでは、主権者とは言えないからです。

 自衛隊を憲法に明文化するとは、戦争抑止力を高めることです。国の安全を高めることです。となれば、主権者として賛成は当然です。それが実現できなければ、自衛隊違憲論が固定化し国の安全は守れなくなります。そのことを広く訴えていくことが大事になってきます。それが国民投票における主権者としての役割です。

 この時に役立つ説明が「積極的平和主義」の「平和主義Ⅱと「平和主義Ⅲです。自衛隊は認めるけど憲法に明記することには……と、賛成に躊躇する人達に対して、「自衛隊は現憲法で合憲なんですよ」と説明できるからです。私自身、説明が非常に楽になりました。

 憲法改正運動は、主権者として日本の国の安全確保に貢献することになるのです。

憲法を改正し世界一信頼されている日本を守る

 憲法改正を前に進めるためには、憲法審査会を開かなければなりません。なかなかテーブルに着こうとしない野党に対して、自民党の下村博文憲法改正推進本部長が、それは「職場放棄」と言い放ちました。

 そう言われた議員達は怒っていましたが、事実は職場放棄そのものです。話し合いを進めないということは、国民投票もできないことになります。となれば、主権者への、国民への裏切りになります。

 まったくおかしな野党ですが、最近、自民党が今までのことをお詫びしたということで、四月二十五日、一分間の衆議院憲法審査会を開いたようです。そして、国民投票におけるCMをどうするか民放連から意見を聴取することだけ決めたそうです。

 護憲派は、とにかく安倍政権を潰したい。国の守りはどうでもいいのです。その行き着く先は、勘ぐれば「日本を中国の自治区にしたい」ということになります。とんでもないことを護憲派は推し進めているのです。

冊子の二十ページに、コラム1「日本は世界一信頼されている国」があります。

 外務省が平成三十年二月から三月にかけて実施した「対日世論調査」の結果、調査対象国のすべてで七〇%以上の人々が「日本は信頼できる国」と答えました。

 トップはインドで九四%という驚異的数値を示しました。続いてアメリカの八七%、アセアン(東南アジア諸国連合)十か国八四%、オーストラリア七六%、中南米五か国七〇%です。

 とりわけアメリカやオーストラリアは、第二次世界大戦で日本が戦った旧敵国です。それらの国でこれほど高い信頼を勝ち得ているということは、特筆すべきです。

 このように信頼される日本を、守り続けていくのが私達主権者の使命だと思います。

 最後は政治によって決まります。その政治家を選挙で選ぶのは国民(主権者)です。主権者としての自覚をもって憲法改正運動に取り組んでいきたいと思います。

【プロフィール】

二(さいとうしんじ)

昭和20 新潟市生まれ。

昭和42 工学院大学を卒業後、金属会社に勤務。

昭和63 東日本ハウス(株)創業者中村功が主宰する「漁火運動」に参画。

平成3年 (株)高木書房代表取締役、現在に至る。

著書数冊、他に日本青年社の活動の記録『われわれ日本人が尖閣を守る』の編集執筆に当っている。