日本の特色、天皇制・富士・桜

 

梅沢 重雄

 本年、平成天皇は御譲位され新しい元号となります。日本の最大の特色であり、世界に誇るべきは、我が国の国体と日本精神を表すことのできる富士と桜です。何故なのか解説いたします。

一、天皇国日本「宮中祭祀」

 皇居には、宮中三殿(天照大御神をお祭りする賢所、歴代天皇と皇族の御霊を祭る皇霊殿、国中の神々を祭る神殿)があります。天皇陛下は古来の祭儀を受け継がれここで国の平和と発展、国民の安寧と幸福を祈り続けておられます。

 天皇陛下

父君のにひなめまつりしのびつつ 我がおほにへのまつり行なふ

 皇后陛下

神まつる昔の手ぶり守らむと

旬祭に発たす君をかしこむ

「国事行為」

 内閣総理大臣や最高裁判所長官の任命、国会の召集や法律・条約の公布、栄典の授与、大・公使の信任状の認証や接受などをなさっています。

 天皇陛下(オランダ国女王陛下を国賓としてお迎えして平成三十年)

若き日に知り親しみしオランダの 君なつかしく迎へ語りぬ

 皇后陛下

ことなべて御身ひとつに負ひ給ひ うらら陽のなか何思すらむ

 「学術文芸の振興」

 古来、皇室は伝統文化の継承者としての務を果たされていました。特に和歌は皇室の伝統として重んじられ、毎年一月の「歌会始の儀」では、国民から詠進された和歌が両陛下の御製・御歌とともに披露されます。

 天皇陛下

千歳越えあまたなる品守り来し 人らしのびて校倉あふぐ

 皇后陛下

名を呼ぶはかくも優しき宇宙なる シャトルの人は地の人を呼ぶ

 「被災地のご激励」

 平成の御代の三十年の間にも、全国各地で大規模な自然災害が発生し、建造物や自然が破壊され、多くの尊い命が奪われました。両陛下はこれに大変心を痛められ、特に被害規模の大きい地域には現地事情が許す限り自ら赴かれ、犠牲者を悼み、被災者を慰め、救援活動に携わる人々を励まされてきました。

 天皇陛下(新島、神津島訪問 平成十三年)

幾すじも崩落のあと白く見ゆ

はげしき地震の禍うけし島

(福岡西方沖地震より二年半余玄海島を訪ねて 平成十九年)

なゐにより被災せし子ら我が迎へ 島鷹太鼓の撥掲げ持つ

 皇后陛下(雛のころに 平成七年)

この年の春燈かなし被災地に

雛なき節句めぐり来たりて

 「青少年育成」

 両陛下は子供たちの健やかな成長を願われて、毎年「こどもの日」には東京及び近県の小学校や幼稚園、保育園、児童福祉施設などをご訪問になっておられます。青少年のスポーツの祭典となっている国民体育大会の開会式にも毎年御臨席になりお言葉を述べられます。

 天皇陛下

日の本の選手の活躍見まほしく 朝のニュースの画面に見入る

 「環境保全」

 日本は、緑や水の美しい自然に恵まれた国です。日本人は、森林を伐採した後には必ず植樹をして自然保護に努めてきました。ところが先の大戦中の乱伐や戦火などで多くの山林が喪われたため、戦後は山林の復興と国土の緑化を願って植林事業が推進されました。両陛下は、毎年全国植樹祭にご臨席になり、御自ら植樹と植種をなさり関係者を励まされています。

 天皇陛下

いにしへの人も守り来し日の本の 森の栄えを共に願はむ

 皇后陛下

汚染されし石ひとつさへ拭はれて 清まりし渚あるを覚えむ

 「国際親善」

 天皇陛下は、「あらゆる国々が国際社会の一員という立場に立たなければ、人類の幸福は得られない」と国際親善の重要性を述べられています。陛下は、来日された国賓・公賓や在日外交団を接遇され、またや外国元首とご親書・ご親電を交換なさいます。

 天皇陛下(英国訪問 平成十年)

戦ひの痛みを越えて親しみの

心育てし人々を思ふ

 皇后陛下(平成五年)

とつくにの旅いまし果て夕映ゆる ふるさとの空に向ひてかへる

 「戦歿者ご慰霊」

 天皇陛下は、皇太子時代に、「忘れてはならない四つの日」として、沖縄戦が終結した六月二十三日、広島・長崎に原爆が投下された八月六日と九日、八月十五日の終戦記念日をあげられ、これらの日には国のため尊い命を捧げた戦没者へ鎮魂の祈りを捧げておられます。また、平成六年には硫黄島を、平成七年の終戦五十年に際しては長崎、広島、沖縄、東京(東京都慰霊堂)を、終戦六十年に当たる平成十七年には、サイパン島をご訪問されました。

 天皇陛下

死没者の 名簿増え行く慰霊碑の あなた平和の灯は燃え盛る

 皇后陛下(終戦記念日に 平成八年)

海陸のいづへを知らず姿なき

あまたのみ霊国護るらむ

(サイパン島 平成十七年)

いまはとて 島果ての崖踏みけりしを みなの足裏思へばかなし

 「富士山」

 “元旦や一系の天子富士の山 ”静かな元旦の朝を迎える度に日本人に生まれたことを感謝します。それは永遠に平和が続く天子の国だからです。

 日本は美しい山河の国です。その代表が富士の美です。左右均斉のとれ、天空に聳え立つ容姿の美にあるだけでなく、気候の瑞々しさが醸し出す「玲瓏玉の如し」といった風情の美にもあります。ヒマラヤやアルプスの山々では峻厳、荘厳、雄大といった形容が当たっても、富士のもつ秀麗とか優美といった趣はでません。

 世界には“ナポリを見て死ね ”の言い伝えがありますが、日本人には緑の乏しい地中海性のドライな風景は殺風景でたえられません。ただ西洋で唯一の火山ベスビオスが青い地中海を背景にして周囲を圧し、孤立して立っているから雄大にも見えるだけです。

 世界の人々に是非一生に一度、富士を見せてやりたいものです。富士は我々民族の宝であると同時に、世界の人々に「富士を見て死ね」を合言葉にすべきです。美しい日本を世界に開放し、富士のもつ自然美の極致と平和である観光立国日本のシンボルを売り込まねばなりません。

 富士は日本列島が西南日本から東北日本に方向を変えるあたり、日本のほぼ中央に位置して、両方の山系にしっかり足をふんばって、風雪に耐えて十数万年、天に向かって合掌し、民族のために永遠の祈りを捧げているのです。日本人で富士の姿を見た時、いつも端然として襟を正し、言い知れぬ感動を覚えるのはこのためです。

 敗戦後、疲れ果てて西の国から東京に帰ってきた軍人の復員や引揚者が、通り過ぎた町々の荒廃を見て絶望の極にあった時、駿河の空に忽然と浮かぶ富士の英姿を貨物列車から仰いだ時、どれ程感動したことか。私たちは思わず忘れかけていた「国破れて山河あり、城春にして草木深し」の杜甫の詩を口ずさみたくなるのです。

 ニーチェの言葉に、苦難の時は「汝の足下を掘れ、そこに泉がある」とあります。富士はこのことを私たちに教えてくれたのです。資源は失った植民地の中にあるのではない。日本中の国土の中に隠されている。敗戦の将兵や引揚者は夫々列島の各地に散ってゆき、開拓に、埋立てに全力を投じました。忽ち瑞穂の国の真価が発揮され、コメは余るほどの大豊作、埋立地は近代的な臨海工業地帯に生まれ変わりました。地域開発、国土開発の言葉も戦後生まれたものです。かくして日本は資源小国で経済大国になれるシステムを開発して、世界の貧しい発展途上国に夢と希望を与えました。

二、富士の美と教訓

 富士は教訓的な山です。黎明日本列島の一角に最初の朝日を捉えるのも富士、最後に夕日を送るのも富士です。夕暮れ里人が夕餉のまどいに入るのを見届けて、富士は安心して天空から姿を消し、列島は完全に夜に入るのです。富士は日本一早起きで、日本一遅寝で、国民の生活を見守っていてくれるのです。喜びも悲しみも幾千年、富士は守護神として、平和のシンボルとして多くの歌に詠まれ、日本の歴史になくてはならない存在となってきました。

 日本列島は太陽が、太平洋の中央の日付変更線を越えて、最初に遭遇する先進国です。だから最高峯の富士の山頂が朝日に輝いた時から地球のある日の歴史は始まるのです。その一時間後に北京が、九時間後にロンドンが、十四時間後にニューヨークの夜が明けるのです。日本はまぎれもなく「太陽の先進国」で「日出ずる国」なのです。母国を離れて旅立つ甲板の人を海のかなたに、離陸する飛行機を雲のかなたに最後まで見送ってくれるのも富士です。富士は高きがゆえに、水平線の彼方にいつまでもポッカリ浮かんでいるからです。

 三十年振りに帰ってきた敗残兵の横井さんも、小野田さんも、富士を見て初めて日本に帰ってきたという実感をもったとのことです。

富士は日本人の心のふるさとで、富士即日本だからです。

 日本人が日本ということばを聞いて第一に連想するのが富士、第二がさくら、第三があさひです。銀行名も富士銀行、さくら銀行、あさひ銀行の順に生まれました。フィルムも富士フィルム、桜フィルムの順です。日本の会社名で一番多いのは富士で、富士製鉄、富士テレビ、富士銀行、富士通、富士電機など、万を数える程です。角力の股名に千代の富士、琴が富士、巴富士のように富士名がいつも数名おります。

 さて富士が日本最高の三七七六米の高さを支えるためには、高さの五十倍もの雄大な裾野をめぐらしていることを忘れてはなりません。人が高きを望み、頭角を現すためには、若い時にまず土台を広くしっかりと築けと教えているのです。遠景の富士の美にひかれて登山した人は、天空の風雪と戦い続けて砂礫のむき出しの山膚の余りにも痛ましい姿に驚かされます。体内にはなお灼熱の溶岩をたたえているのです。間近に見る富士のただならぬ実相を知った時、人は真に美しきものとは、内外の苦悩を忍び、試練に打ち勝った者のみが得る特権なのだということを知ります。そこにこそ洗練された気高い美の謎があったのだと感動し、一層富士を尊敬し、親しみを覚えるのです。日本に生れたからには一生に一度は富士に登らねばならないのもこのためです。各地に富士講があり、小型の富士山形をつくり神社にしているのは、富士信仰と、富士登山の記念にしたものです。私の古里は富士のある山梨です。元旦の太陽を地球上で最初にとらえるのが富士です。故郷に帰ってこの御来光を拝むのを人生最大の楽しみにしています。

三、日本文化の神髄桜讃歌

 弥生の春三月、長い冬からの解放感から人々は浮き浮きした気分になります。待ちに待った桜の季節到来だからです。

“世の中にたえて桜のなかりせば 春(人)の心ものどけからまし

と、日本人の桜へのあこがれを歌った在原業平の詩が代表しています。花と言えば桜を意味し、桜は古代から日本人の最も愛し親しんだ花で、国花にふさわしいです。それでは何故日本人は桜をこれ程好きなのでしょう。桜が解れば日本人が解ると言われる程、両者は微妙に結びついています。桜は日本人のやさしく繊細な心の文化と日本美、美意識の神髄なのです。植物としての桜の特性が、日本人の感性や行動によくマッチしているからです。これを次の四つに分類してみました。

(一)集団性(同時性、一斉の見事さ)

(二)いさぎよさ(一度に咲き、一度に散る、刹那の美)

(三)はかなさ(花の命、花は桜木、人は武士)

(四)解放感(長い寒い冬からの目覚め、ウキウキ)

(五)なまめかしさ、あでやかさ

 右のうち集団性について考えてみます。欧米人はバラ、チューリップのように一つひとつの自己を主張して絢爛豪華に咲く花を愛します。個人、人権を重んずる彼等は個性の美を愛します。対する日本人は桜や萩のように全体の美、総合の美を愛します。桜の花の一輪、一輪には意味がなく、個を集団の中に没して、社会や国といった集団、全体の中に生き甲斐を感じます。

 桜の花弁を一つだけ取っても頼りなく淋しい。これは日本人の国民性をよく表しています。一人ぼっちの日本人は頼りないが、群れをなすと俄かに活気づきます。桜の下の酒宴になると人が変わったようにはしゃぎ出しますが、ひとりでおくと借りてきた猫のようにおとなしい。集団国民性が桜の季節になるとよく発揮されます。

 日本人の心とは何かと問われたら本居宣長の

〇敷島の 大和心を 人問わば 朝日に匂う 山桜花

と答えればよいのです。また生涯、全国を旅して雲水の境地を愛した西行法師は、

〇願わくば 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃

と詠んで、かくの如く桜の下で死にたい、これが日本人の共通の願いです。

 古来から花といえば桜のこととして多くの詩が詠まれてきました。万葉集には四三、古今和歌集には七四ものっています。百人一首の最秀歌といわれるのは紀友則の次の歌です。

〇久方の 光のでけき 春の日に しず心なく 花の散るらん

 やわらかに春の日ざしを受けて桜の花が独り静かに散ってゆく、どこの里にもある普通の春の平和な国土の風景です。何のてらいもない、単純な平和そのものの風景こそ、日本人の心の神髄です。更に百人一首では伊勢大輔が同じ平和を詠んでいます。

〇古の奈良の都の八重桜 今日 九重に 匂いぬるかな

 次に小野小町のような絶世の美人も、やがて桜の花のように散り老いさらばえてゆくのだと、人間や美人のはかなさを歌っています。

〇花の色は 移りにけりな いたずらに 吾が身 世にふる ながめせし間に

 桜のはかなさ、別れのつらさを花に託して詠んだものも多い。

〇桜の花 散り散りにしも 別れゆく 遠き一人と 君もなりなん

〇散る桜、残る(愛でる)桜も 散る桜

 若くて死んでゆく人、残った人をなぐさめるのにこれほどピッタリの句はありません。

 辞世の句に日本人は桜の花を連想します。三十代で突然おとずれた切腹、浅野内匠頭長矩の句は短い一生を惜しんで余りあります。

〇風誘ふ 花よりもなお 我はまた 春の名残を いかにとはせん

 桜は死に際のいさぎよさで昔からもののふ、軍人精神に最もマッチした花です。九段の桜、同期の桜、愛国の花としてどれ程詠まれたかはかり知れません。陸軍の徽章は桜であり、海軍は桜と錨でした。

 貴様と俺とは「同期の桜」は軍人でなくとも人生の同期の仲間にこれほどしみじみと感傷にふける歌詞とメロディはありません。咲いた花なら散るのは覚悟、花の都の靖国神社、春の梢に咲いて会おう。桜ほど軍人の死を恐れず死を称える勇気となぐさめを与える花はないのではないでしょうか。

 次に山里の春、都の春のものうい情景を歌うのに桜は欠かせません。

〇見渡せば 柳桜を こきまぜて 都ぞ春の にしきなりけり―素性法師

〇花の雲 鐘は上野か 浅草か―芭蕉

〇サクラ サクラ 弥生の 空は 見渡す限り 霞か雲か匂いぞ生づる いざやいざや見にゆかん―琴歌

 桜音頭は昭和十年前後、東京音頭に次いで一世を風靡し、今でも盆踊りには欠かせません。

 源義家のような武将でさえやさしい心情を吐露した秀歌を忘れないで下さい。

〇吹く風を な勿(勿来)の関と思えども 道もせに散る山桜かな

 美しい国日本を国民が自覚し誇りに思えば、オリンピック、パラリンピックで世界から集うアスリートや応援団、観客、観光者にもその意識が伝わり感動を呼ぶのです。

 今こそ日本人が日本の文化を再発見し、その良さを世界に発進したいものです。