青年戦士紹介

 日本青年社組織局長
兼城東本部本部長 篠 塚 栄 一

明けましておめでとうございます。
 私が初めて日本青年社と出合ったのは、今をさかのぼること三十年近く前の靖国神社でした。
 当時、私は地元千葉県の友人が所属していた民族派団体の街宣活動を体験する思いで参加しました。その時、靖国神社で目にした団体が日本青年社でした。
そして他の団体と明らかに違うということが一目で判りました。綺麗でスッキリしたカラーリングの街宣車、隊服も揃っていて身なりも良く整列もビシッとされていました。
 私が友人に「あの団体は何?」と聞いたところ「日本青年社という単一団体だよ」と言われました。その時は他の団体と違って変わった団体なんだなぁ位にしか思いませんでしたが、しばらくして私の実父が日本青年社の運動に参加していたことを聞いて驚きました。
 その後、日本青年社が取り組む活動や基本方針に感銘を受け、当時、城東本部の本部長を務めていた民部明氏を頼って入社しました。
 日本青年社に長く在籍している方々はご存知でしょうが、当時、城東本部は東京では三多摩本部に並ぶ名門であり、尖閣諸島魚釣島の灯台建設の初期決死隊でもあったと聞いていたことから、そのような団体で私のような者が運動を続けて行かれるのか不安になる時も正直ありましたがそんな事を考えている暇もありませんでした。
 平成七年の阪神淡路大震災の折には被災地の救援物資の荷造りに追われたり、万景峰号入港阻止運動のために新潟入りしたりしましたが、私は仕事を持っていた当時は先輩方に付いて行くのが精一杯でしたが、先輩方から「日本青年社に休みは無いんだよ!」と励まされた事を今でも思い出します。
 そして、足立区の竹の塚駅前、新橋駅SL広場、池袋駅前等での定例街頭演説をはじめ都内全域で街頭演説や糾弾行動を行ったり、北朝鮮による拉致者救出の署名活動等では全国を飛び回ったりして大変でしたが今では懐かしく感じられます。
 また、当時は北朝鮮による拉致被害を日本政府が認定していませんでしたが、私たち日本青年社や同志の運動が国民を喚起し、日本国民の数十万数百万という署名が政府を動かす切っ掛けになったと自負しております。とは言え北朝鮮による拉致問題は未だに解決していません。
 私たちはこれまで以上に政府に働きかけを行い拉致問題だけでなく北方領土、竹島、尖閣諸島等の領土問題、そして時局問題に向き合って行かなければなりません。
 末尾になりますが、私は現在この名門である城東本部の本部長と総本部の組織局長と言う大変重みのある役職を任されましたからには、この身が果てるまで民族運動一筋に取組むべきであると常々考えています.
 とは言え、私もそろそろ若手と言う年代から外れてきたのではないかと思いますが、気持ちだけはまだまだ若いつもりでいますので若い皆さん、緒先生方、同志諸兄の皆様方にはこれまで以上のご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い致します。