呼び起こされた私の想い
タイ王国カンチャナブリ県「神道平和祈念公園」例大祭にて
足立奉賛会 代表 田中宏往

皆様には六月十二日のタイ王国カンチャナブリ県『平和祈念公園』において斎行された「第四十五回・春季例大祭」お疲れ様でした。
 私がタイ王国カンチャナブリ県にある『平和祈念公園』を訪れるようになってから、早六年の歳月が経過しました。初めて『平和祈念公園』を訪れたときの
ことを振り返りますと、参加する意味もわからず、この『平和祈念公園』にいることさえ不思議に思っていた無知な自分を思い出します。これは、私たち足立
奉賛会の同志は年が若いことから、誰も昔の戦争を知りません。学校の授業や祖父母の話などを聞いて、戦争とは何かを知り、テレビや映画で理解した
つもりですが、それでは知識の限界であります。ましてや、日本から遠く離れたタイ王国に日本の神道が存在していることを誰が想像できたでしょうか。

この平和祈念公園は、二十年以上も前に、日本人有志が、暑さに耐えながら汗水流し、ドロだらけになって建設に取組んだ話や、一切の寄付を受けてい
ないことを知りました。そして公園中央に鎮座する『平和祈念慰霊碑』は、その台座に数千人の建立者の名前が刻まれ“戦争で亡くなられた方を敬う気持
ち”“世界の平和を願う人の気持ち”“二度と戦争と言う過を侵さない気持ち”“国民一人一人の色々な想い”が沢山詰まっているのだということを六年の歳
月を通して感じることができました。
そして、もう一つ感動は、平和祈念公園と同じカンチャナブリ県にある『こどもの村学園』への慰問です。ここは戦争とは違って私たち若者でもわかる現実の
世界です。日本にも孤児院がありますが、ここは全てが違います。日本の孤児院を想像していた私は、この施設を慰問するたび災害による被災地を見たと
きのようなショックを受けました。食べる物、着る物、衛生面のことなどすべてです。
日本人の貧しさは、この施設に比べればどれだけ裕福か、いかに自分が贅沢な事をしていたのか、自分の行動がタイの子供たちに掛けるという生き方に
なったことは事実です。ただ一つだけ輝いていたものがありました。
目です。ごはんやお菓子をもらう子供たちの目、本当にうれしそうに輝いた目を見せてくれました。

 私は今、世界の平和を祈り、戦争で亡くなられた方たちを敬う気持ち、そして、過去の過ちを償い、家族の平和、子供たちの輝く未来を胸に抱いて『平和
祈念慰霊碑』の前に立ち花を手向け立ち手を合わせております。

 最後に、私たち日本青年社が取り組む『平和祈念公園』奉賛活動に参加したことが契機となり、昨年同じ気持ちを持つ同志たちとともに、足立奉賛会を立
ち上げさせて頂きました。

 私たちは、多くの先輩が作り上げ守り続けている『平和祈念公園』を十年二十年というような先ではなく、五十年百年の先の未来に繋げて行くことこそが
足立奉賛会の役目だと思っています。地位や名誉に振り回されず、今持っている気持ちを忘れることなく、これから迎える未来の自分に繋げることが私の
生き様です。
今より更に素晴らしい未来平和の為に邁進してまいりますので今後とも宜しくお願い申し上げます。