憲法改正 |
|
政治家の決断なくして憲法改正なし
|
|
●憲法改正反対論は誤った歴史観からきている 日本青年社は発足以来憲法改正運動に取組む中で、昭和五十七年には「改憲への道を拓こう 自衛隊違憲を突破口に」という斬新なスローガンに掲げ、防衛 庁や自衛隊に対しても憲法改正の必要性を訴えるとともに機関紙『青年戦士』にも何度か取り上げて政策の提言をしてきた。 現在、国会で憲法論議がなされるようになってきたことを考えると隔世の感がある。その分、また反対の声も大きくなってきている。 昨年、戦後七十年の節目の年に安全保障法制(安保法制、政府は平和安全法制と呼んでいる)が成立した。この時期、反対派の主張として「憲法違反」が大 きく叫ばれた。憲法に違反までして、安保法制を成立させていいのかというわけである。「あなたは違反している」と言われると、何か悪いことをしているよ うな錯覚に陥る。それが狙いだろう。 そもそも決め事は、時代に応じて変化して当然である。憲法とて同じである。ところが日本の憲法改正反対者は、現憲法を平和憲法と言い、絶対に変えては ならないと主張する。その心は何か。それは「日本は一方的にアジアを侵略し、その国々の人々をさんざん苦しめてきた」という自虐史観の思想である。その 反省のもとに制定された、戦争放棄を謳う理想の憲法であるというわけである。日本が侵略戦争をしたというのは歴史の事実に反する。例えば、今年の一月 『日米戦争を起こしたのは誰か』(強誠出版)が出版された。第三一代アメリカ合衆国大統領ハーバート・フーバーの大著『裏切られた自由』のエッセンスを 日本の読者に伝えるためということで作られた。その中に「日米戦争は、時の大統領フランクリン・ルーズベルトが、日本に向けて仕掛けたものであり、日本 の侵略が原因ではない」と書かれている。 歴史の真実は、誤った歴史認識を正してくれる。憲法改正にも、この視点を忘れてはいけない。簡単に言ってしまえば、「日本は戦争好きで悪い国家」とす る思い込みを、歴史の真実で正すことである。その意味で憲法改正運動は、戦後思想からの脱却運動でもある。 ●立憲主義のご都合解釈に騙されてはいけない 反対者は、いろんな理窟を付けて憲法改正に反対する。立憲主義を都合よく使っていることもその一つである。「国家権力を縛るためのルールが立憲主義の 考えである」と言うが、これは一方的な考え方に過ぎない。そもそも立憲主義とは、定められた法に従って権力が行使されるべきであるという政治原則であ る。国家を縛ることも、国民を縛ることもある。 今年の参議院選挙より選挙権が十八歳以上に与えられ、主権者教育の重要性が指摘されている。主権者とは、自分の行動に全責任を持つことで、その任を果 たすことができる。でなければ自分勝手な人間になり、人を殺してみたかったなどという人間も生れてしまう。主権者であれば、当然そこに国防の義務もあ る。なぜなら国家の安全と平和が保たれてこそ、主権者たる国民の安全と平和を保つことができるからである。 ところが憲法改正の反対者は、憲法は国家を縛るもので、国民に国防の義務を課するのは現憲法の平和主義にも反するとして反対する。まさに屁理屈であ る。国旗・国家の尊重義務にも反対する。また自民党の憲法案の前文に「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家で あって……」に対しても、立憲主義国家の憲法に相応しくないとか、戦前回帰だとか言って批判している。憲法に国家のあるべき姿を入れるのは、国民のある べき姿を示す事でもあり、当然のことではないか。また日本の国柄を守るためにも必要である。反対者は、何でも戦争(=戦前回帰)に結びつけて反対する。 ●憲法の中に流れる日本弱体化思想 憲法三原則も、変えてはならないと反対者がよく持ち出してくる屁理屈である。「基本的人権の尊重、国民主権、平和主義は、改正手続きによっても変えら れないというのが学会の多数説」と朝日新聞が書いている。これは護憲派が憲法改正に反対するために考え出した主張である。現憲法が制定されたとき、政府 が示した本文の解説では、「民主主義」「国際平和主義」「主権在民主義」「天皇陛下」「戦争の放棄」「基本的人権」の六大原則を挙げている。 そもそも現憲法が制定される過程には、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の大きな狙いがあった。日本軍は戦争に負けたが強かった。その強さはどこ から来るのか、占領軍は徹底して探った。そしてその要因を潰すことを占領政策の基本とした。それは、愛国心を消滅させる、悪平等論をはびこらせる、拝金 主義を広める、自由を過度に追求させる、道徳を軽視させる、3S政策を広める、事なかれ主義を広める、無気力な人間を排出させる、義理人情を抹殺させ る、家族制度を破壊させる、民族の歴史を否定させる、などである。いわゆる日本弱体化政策、日本人猛獣化政策である。 これらが憲法の中に思想として流れている。それによって、行き過ぎた人権主義、個人主義が生まれ、国家はどうあっても自分の命さえ助かればいいという ような日本人が生まれている。憲法三原則を持ち出し、変えられないというのは、憲法改正に反対する屁理屈に過ぎない。変えていかなければ、日本人の生き 方はもっとおかしくなってしまう。 ●九条二項に反対する真の狙いは自衛隊廃止 憲法九条は、反対者が世界に誇るべきと声を大にしている条文である。憲法九条は二つの項目から成り立っている。第一項はよく知られている「戦争放棄」 である。戦争放棄とは、侵略戦争を含め国際紛争を解決する手段として戦争に訴えることを放棄するということである。これは今日の国連憲章にも書かれてい るもので、特別なものではない。問題は、第二項である。「戦力の不保持」が謳われているが、世界のほとんどの国が戦力(軍)の保持を規定している。とい うことは、日本も第二項を「戦力の保持」とすべきである。しかし改正反対者は「平和憲法でなくなってしまう」「日本は再び戦争志向の国になる」と言って 反対している。まさに「憲法守って国潰す」である。その根底にある狙いは、自衛隊の廃止である。「戦力(軍)の不保持」を言葉通りに受け止めれば、自衛 隊は憲法違反となる。しかし自衛隊に対する国民の理解が、震災や災害、尖閣諸島における活躍などで深まり、歓迎されている。同時に国際社会において、戦 力の保持の重要性、自衛隊の存在意義を理解する国民が多くなっている。ということで自衛隊の存在をまともに批判できない状況になってきている。そこで憲 法を変えると戦争に繋がる、戦前に回帰するなどと言って国民に戦争の恐怖を煽り立て、憲法改正は絶対反対と訴える。国家の安全を考えない反対論は、ひい ては国民の安全も考えないということであり、まことに身勝手な反対論と言うしかない。 ●憲法改正には国民の応援が絶対に必要である 憲法制定の根底にある国家解体思想、日本人的思考の解体、個人優先、権利優先などが現代の日本に様々な問題を生んでいる。共同体意識の喪失は極めて大 きい問題である。家族の存在すら否定する思想になってしまう。この三月に評論家の金美齢氏が『家族という名のクスリ』(PHP文庫)を発刊した。家族を 否定する「歪んだ家族論」に対して、「家庭ほど安らぐ場所はなく、夫婦ほど支え合える関係はありません!」と反撃している。共同体が崩れれば、家庭も社 会も会社も組織も国も成り立たない。少子高齢化の問題も、こうした共同体意識がなくなってきていることに関係している。これも憲法問題である。 公益よりも個人の都合を優先する生き方も日本を崩壊に導いている。国家と個人はお互い様の関係にあり、時に個人を後回しにする場合もある。東日本大震 災では、緊急事態として被災地を優先する手を打てなかった。自衛隊にはその規定がある。しかし現憲法にはそれがない。これも実はGHQが認めなかったか らである。例えば緊急車両が通るので、個人の車の通行を制限すると言うと、個人の自由を謳う憲法の精神に反するとして反対する。隣の家が火事になり延焼 の危険を感じた消防隊員が、逃げなさいと命令したら「自由を奪う」と言って逃げないだろうか。国家が危機にある場合、個人の自由は制限されて当然であ る。国家の安全、国民の安全を守るためにも、緊急事態条項は必要である。 ということで憲法改正は、待ったなしの状況にきている。問題は、憲法改正が果たして可能かということである。改正条項である九十六条も大きな壁になっ ている。そんな中で憲法改正の動きが本格化してきたことは、間違いなく安倍総理の強い意志があってのことである。政治のリーダーが本気で取り組めば、世 の中は動くことを証明している。その政治家を支えるのが国民である。国民の意識をどこまで高めていくか。それが我々に求められている。 |
|