アジア和平日本委員会・各県奉賛会の集い

春うららかな三月二十日(春分の日)、戦後五十年を迎えた平成七年にタイ王国カンチャナブリ県に建立された「平和祈念公園」の奉賛活動に取り組む「ア
ジア和平日本委員会」並びに「各県奉賛会」による平成二十八年度「アジア和平日本委員会・各県奉賛会の集い」を開催した。
春うららかな三月二十日(春分の日)、戦後五十年を迎えた平成七年にタイ王国カンチャナブリ県に建立された「平和祈念公園」の奉賛活動に取り組む「ア
ジア和平日本委員会」並びに「各県奉賛会」による平成二十八年度「アジア和平日本委員会・各県奉賛会の集い」を開催した。

 『アジア和平日本委員会・各県奉賛会の集い』(以下、集いという)

 『集い』は、午後二時〇〇分開会。司会を務めたアジア和平日本委員会事務長・横田哲哉氏が、「わが国は戦後七十年を迎えた昨年、戦後五十年を迎えた平
成七年にタイ王国カンチャナブリ県に建立した平和祈念公園におきまして『平和祈念公園建立二〇周年・戦後七十年記念大祭』を斎行しました。

 この記念大祭はわが国が戦後歪められた歴史認識と伝統文化を正すとともに戦後失われた日本精神の復活と、二度と忌まわしい戦争が起こることのない世界
の恒久平和の祈りを発信することにありました。このような私たちの思いを理解するタイ王国では、記念大祭に国王の勅命を受けた勅任官のカンチャナブリ県
知事、市長、そして政府閣僚、最高裁判所判事、軍の将官、警察署長等をはじめ多くの要人が出席され、日本からは本日ご出席を頂いております日本教育会の
重鎮であります日タイ合弁『二十一世紀文化教育財団』理事長並びに日本航空学園、梅沢重雄理事長様、在タイ日本大使館から一等書記官が大使を代理として
出席していただきました。さらには大祭を取材したタイ王国のテレビ各局はこの日のテレビニュースでこの大祭の模様の大きく報道したことはこの式典がいか
に戦後七十年の歴史的大祭にふさわしい出来事であったかということは言うまでもありません。

 私たちは、戦後七十一年を迎えた本年、世界の恒久平和を祈ることで、日本人とは決して好戦的な民族ではなく平和を愛す民族であることを世界に発信する
新たな一歩を踏み出す活動に取り組む所存でございました。と昨年斎行した記念大祭の意義説明に続いて開会宣言を述べた。

 最初のアジア和平日本委員会代表挨拶では、アジア和平日本委員会副会長・医療法人仁和会 竜王リハビリテーション会長・医学博士 中原英幸先生が「私
は二〇〇二年六月八日にはじめて平和祈念公園を訪れた際、夕食を共にしたタイの陸軍第九師団のサンシャイン将軍と意気投合したことが忘れられません(中
略)私は山梨県の医師会に所属しています。昨年、同じ医師会で私より二級上の先生の【戦後七十年に思う】という記事が山梨県医師会報に載りました。この
先生は渡邉裕先生といいます。出身は甲府市、学習院高等学校から東京大学医学部と進んだ方ですが、この先生が書いたものと私の意見がまったく同じですの
で今日は読ませていただきます。」

 「その日を、私は大空襲の大火災で身動きするのも辛いベッドの上でした。はじめて耳にした玉音放送で、やはり負けたか!と、勝てる戦ではなさそうなこ
とを薄々感じてはいたものの只々くやしかった。

 戦後は生活も厳しかったが、腹が立つ事象には事欠かなかった。NHKではデタラメ極まる『真相はこうだ』という放送を毎日流して、日本がどんな悪いこ
とをした国であるかを説き続けていた。盛り場では『俺は第三国人だ』と傍若無人に振舞う朝鮮人で溢れていた。東京裁判という嘘で固めた茶番劇は、怒り心
頭に発することばかりであった。インドのパール判事の東京裁判での[日本無罪論]、国会で唯一共産党が特に第九条に断固反対したこと位が、当時の数少な
い清涼剤であった」とあります。当時、占領軍が無理やり押し付けた一夜漬けの日本国憲法に軍備のない国などありえないと、たった一つ国会で反対したのが
その時の共産党だったそうです。

 そして「日本を二度と立ち上がらなくするために全知全能を傾けて練り上げた占領軍の日本破壊政策は着々と成果を挙げていった。師範学校と旧制高校は廃
止されて、初等教育から高等教育の場は叩き潰された。特に教員組合が占領軍に迎合する勢力に占領されて、子供達の脳は利己主義と自虐史観に染められて
いった本来の日本を知らない侭に成人となるのが普通になってしまった。

 それから七十年…、占領軍の政策は完璧に成功した。成功し過ぎて、米国等は却って困っているようだ」(中略)そのような中で朝日新聞系、NHK、特に
山梨県の毎日新聞は、かなり左寄りの投書ばかりと取り上げています、そのいい例は「我々が作った大事な憲法、特に憲法九条は戦争放棄した立派な憲法であ
る。これを破壊することは許さない」という投書が一週間に一辺ぐらい載るんです。大体そういう左巻きの集会が非常に多くなっております。そして「最近の
政治家は非常に国籍不明の人が多く、Hルービー氏はじめ、沖縄から基地をなくせと、沖縄をウィグルやチベットのようにしていいのだろうか。相手の言いが
かりのままに真実を曲げて平謝りをし、千載に禍根を残すようなことをしながら反省の色もない。全くおかしな世の中になっています。(中略)これは我々が
声を挙げて阻止していかなければならないと思っています。それと私たちが大東亜戦争を起こしたということは、欧米の白色人種の魔の手から東亜を開放して
東亜の独立を目指そうということに間違いはないと思います。もし英霊の方々が、今の日本を見たらなんと思うでしょうか。我々は何のために戦争したんだろ
う。先生はそんな風に書いて締めくくっています。誠に私は同感でございますと挨拶した。

 続く御来賓ご挨拶では、日タイ合弁財団『二十一世紀文化教育財団』理事長・日本航空学園理事長。梅沢重雄先生が「私は昨年、平和祈念公園で斎行した戦
後七十年記念大祭にはじめて参加して、その意義と平和に対する考え方と祈り方を知りました。(中略)私ども日本航空学園は十数年前よりタイ国から大勢の
生徒の留学を外務省推薦において受け入れて航空従事者の養成を行っているところであります。ですから私どもの卒業生もタイに大勢おりますし、日本人で事
業に成功している者もおりますので早速連絡をとり、タイ王国カンチャナブリ県の神道祈念公園二〇周年を記念して昨年、日本航空学校への特別奨学制度を設
けて留学生の選抜を行い、今年は女子一名、男子一名の二名が特待生としての受け入れが決定しております。特に日本で勉強して、タイの航空従事者を目指す
生徒が四月には本学の入学式に参加をする予定になっているところであります。また、先ほど中原先生からもお話しがありましたけれど、私たちは終戦という
言葉を使っておりますけれども、日本の帝国陸海軍が最後まで一億総玉砕という根性のもとにわが大東亜とわが国を守ったわけであります。その中のもう一つ
無条件降伏という言葉がありますが、皇室を守る、国体を守るという一点だけは、一歩も退かずに帝国陸軍・海軍、あるいは当時の終戦内閣が命をかけて守っ
たわけであります。われわれが領海また領土を守る。もう一つ守らなければいけないのは国体を守るということであります。これは自民党を守る、民主党を守
る、国家を守るということではありません。国体と守るということです。

 私の祖父は戦前、警察から戦争に協力しなければならないということで陸軍に十万坪の土地を提供し、戦後はすべての飛行機の焼却も受けましたが、終戦
後、戦犯として同じ警察に捕まり、戦争に協力したということで同じ警察から拷問を受け、厳しい取調べを受けました。しかし唯一天皇陛下のみを信じる祖父
が学校を再興した日本航空学園があるわけです。われわれは政治ではなく国体をしっかり守るための教育を行っていかなければならないわけであります。まだ
戦後七十年といっても英霊の魂がすべて報われておりません。昨年はペリリューにおいて、パラオにおいても陛下の行幸を仰ぎて、英霊の御霊安かれと言う祈
りに私も参加しました。そして本学は今年からは神道平和祈念公園の見学とお参りも兼ねてタイに修学旅行団を派遣する予定でいます。そして本学にはインパ
ール作戦等で戦死した卒業生もいるわけですから神道平和祈念公園におきまして高校生たちの慰霊祭を行わさせていただきたいと思っている次第でありま
す。(中略)これからも私なりに、日本とタイとの文化交流、教育交流を通して、この神道平和祈念公園の思想を子々孫々に受け継いで参る努力をしたいと
思っています。」と述べた。

 乾杯では、元・検察庁検事・門西栄一弁護士が「今日のNHKニュースで二十一年前に地下鉄サリン事件が発生したことを放送していました。いまアメリ
カ、ヨーロッパ、中東で色々なテロ事件が発生しています。今日、地下鉄サリン事件のニュースを見てつぶさに考えますと、検察に身をおいた検事任官以前に
極左暴力集団の様々な爆弾闘争がありました。三菱ビルの爆破事件、アメリカ大使館爆破事件、私もそういったものに相当時間をかけて関与したこともありま
す。そういう視点に立てば、今は伊勢志摩サミットを控え、東京オリンピックも控えている日本でもそういったテロが発生する場合が非常に高いんじゃないか
と思います。

 また韓国やら中国,北朝鮮といった国々とは色々な意味で外交問題を抱えています。日本青年社が魚釣島の灯台を死守したお陰で尖閣諸島の領有権を日本が
主張できるのですが、このことが社会でどれほど評価されているのか。アジア和平日本委員会、各県奉賛会はこういったものも含めて日本の本当の姿を世界に
アピールする活動が大切ではないかなと思います。」と述べて乾杯となった。

 〈アトラクション〉では、愛国歌謡の第一人者である三枝万祐さんの、戦後失われた日本人の精神を思い起こさせる歌声に会場は万来の拍手に包まれた。
 最期の謝辞では、千葉州時各県奉賛会会長が「日本は過去に戦争という悲惨な出来事に巻き込まれました。そして尊い生命を散華した先人英霊の方々のご遺
骨が祖国の土に還ることができない現実にかんがみ、今に生きる私たちは感謝の誠を捧げるととともに、二度と忌まわしい戦争の起きることのない世界恒久平
和発鐘の地として、戦後五十年を迎えた平成七年にタイ王国カンチャナブリ県に建立した『平和祈念公園』も昨年二〇周年を迎えました。しかし二十年を迎え
たことで終わりということではありません。平和祈念公園は私たちの子々孫々の代にまで未来永劫にわたって守り通していかなければならない施設でございま
す(中略)これからはもっと沢山の方々と力を合わせて平和祈念公園を守り通して行きたいと思います。継続は力なり、これを全うしてゆきたいと思いますの
でこれからも皆様方のご理解とご協力を心よりお願い申し上げまして私の御礼のご挨拶とさせて頂きます。」と挨拶した。

新奉賛会設立報告
武蔵野奉賛会 代 表 柳 川 浩 之
       副代表 小 林 昇 一