西日本管区・九州管区活動報告

日本青年社西日本管区長
 蜂 谷 公 一

旧年四月十四日に発生した震度七の熊本地震によって家屋の倒壊や道路の陥没が広がり、多くの犠牲者と被災者六千人を越える被害を受けましたが、その後
の復興作業はまだ終わることなく、九州管区の社員の中にも被災地で復旧作業に取り組んでいる者もおります。

 また、九州管区は、機関紙「青年戦士」に特別寄稿して下さる池口惠觀大僧正(医学博士)が住職を務める鹿児島県最福寺で行われる行事に、数年前から松
尾会長の名代として出席参加していますが、今年は三回の出席となりました。

【鹿児島県最福寺の行事に参加して】
六月十五日
 『お大師さま「弘法大師空海」お誕生を祝う「青葉まつり」』に出席。午前十一時から最福寺四恩殿において約三時間に及ぶ大般若経転読祈祷会を厳修する
とともに、大般若経全六百巻によるご加護、所願成就を祈念して頂きました。

 午後七時からは会場を鹿児島産ロイヤルホテルに移し、お大師さまのご誕生日をお祝いして池口惠觀法主、豪泉貫主と懇談する会となり、多くの著名人をは
じめ数百人の方々が出席する中、池口惠觀先生と豪泉貫主の講話とカラオケが大変盛り上がるなど池口惠觀先生のお人柄があふれて大変楽しいひと時を過ごさ
せて頂きました。

九月十七日
 池口惠觀先生が最福寺住職を退任される普山式に出席しました。池口惠觀先生は最福寺住職を退任された後、高野山別院本山清浄心院住職として一切衆生済
度と世界恒久平和のために、日々護摩行を厳修されるとともに不惜身命のご活躍をされるとのことでした。

 また池口惠觀先生の後を継がれた第二世豪泉貫主は、烏帽子山最福寺の開基であります池口惠觀先生のお子さんで薩摩修験道第十九世大先達ですが、午前十
一時より最福寺四恩殿において行われた普山式には、全国から宗派を超えた数十人の著名な僧侶参加して行われました。

 会場の四恩殿は足の踏み場もないほどの人で埋め尽くされ、住職と弟子の方々の読経の中で豪泉貫主の厳粛な護摩が行われました。夜は十八時三〇分から城
山観光ホテルで行われた祝賀会では、昼間行われた普山式の祝いが盛大に行われました。

十一月十五日
 「惠觀大阿闇梨お誕生祝賀会」には、西日本管区の社員と社友の方を合わせて十五名が出席しました。その中の九名は最福寺四恩殿で行われた約二時間にわ
たる古来より続く伝統行事「最福寺開山顕彰柴灯護摩」に出席させて頂き、古来より伝わる修験道の一代絵巻を見せていただきましたが、参加した方たちは一
代絵巻の素晴らしさに声もなく見入っていました。

 また夕方六時半より鹿児島産ロイヤルホテルで行われた「恵観大阿闍梨お誕生祝会」には、著名な方々を含めた数百名の方々が参加して盛大に始まり、池口
先生の挨拶や講話など楽しい時間を過ごしましたが、池口惠觀先生から直接声をかけられた社員たちは大変緊張した様子でした。

 最後に池口惠觀先生と記念写真を撮る機会を頂くなど有意義な一日を過ごさせて頂きました。

故 貞方美津夫 儀(元・総合管区長)の墓参

 長崎県支部では内田寿哉支部長と社員が年に数回、故 貞方美津夫
儀が眠る墓所の清掃と墓参を続けています。お墓があるのは長崎県川棚町ですが、そこから車で数分の場所に大東亜戦争末期に小串に置かれた海軍特攻隊から
飛び立ち遠く南海の果てに散った三千人もの隊員を顕彰する殉国特攻の碑があります。ここは大東亜戦争時の震洋の訓練基地があった場所です。

 同じ長崎県に生まれ育った憂国の士であり、かつてともに運動した同志、故 貞方美津夫
儀の墓所と殉国特攻の碑が同じ川棚町にあることに不思議な縁を感じてしまいます。

 最後に、西日本管区一同は松尾会長の指導のもとに実りある民族運動に邁進することを心新たにして活動報告と致します。