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倫理・道徳・品格の向上 --目次--■ロンドン大学における『教育勅語』の講演会
■第一回世界道徳教育会議■教育勅語
・口語文訳
・教育勅語十二の徳
一、父母ニ孝ニ 二宮 金次郎
二、兄弟ニ友ニ 毛利 元就
三、夫婦相和シ 山内 一豊の妻
・ 日本の修身
一、教育勅語等排除に関する決議
二、教育勅語についての「外人記者の直言」
三、外国人が残念がる修身教育の消滅
四、世界の修身入門
■教育荒廃の十大元凶の一部
1、「国家神道廃止令」
2、「修身・日本歴史および地理の授業停止」
3、「公職追放」
4、日本国憲法と教育基本法
5、日本の教育改善の方策とは
■日本青年社基本理念「倫理・道徳・品格の向上」
倫理道徳の復興に当っての提言
毎朝毎日毎晩のテレビ・新聞等のマスコミの報道は、痛ましい殺人事件や法律違反の重大な不正行為の話題ばかりです。昭和二十年の敗戦までは、日本は犯罪が少なくて安全な国で、日本人は礼儀正しい国民であると世界中の人達から評価されていました。
その日本が今では、小学生の半数以上が防犯ベル持参で登校するという犯罪大国に成り下がってしまいました。それでも子供達が被害者となる事件が続発して、行政側は学校警備に躍起になっています。これでは文部科学省ではなく、文部警察省ではありませんか。
しかし、残念ながら警備を厳しくしても効果は見込めません。潜在的な加害者は、日本の社会に無数に存在するのですから。マッカーサー(GHQ)に占領されて以来の六十年間の倫理道徳不在の学校教育・社会教育・国民教育のツケが回って来たのです。犯罪の根源を絶つ以外には方法はありません。
では早急な倫理道徳復活の方策は如何にすべきでしょうか。それは明治二十三年の教育勅語の発布に学ぶことが先決です。現在の敗戦後の公衆道徳の退廃と同様に、明治維新の際も大変な混乱がありました。何でもかんでも欧米の舶来の文明文化崇拝で、日本古来の倫理道徳・武道精神は、封建的で無価値なものだという極端な偏見が横行したのです。その結果、学校も社会も国民道徳の規範が無くなって大混乱に陥ったのです。
この非常事態を改善するために、全国知事会・文部大臣・総理大臣・明治天皇の側近の大学者が知恵を結集して完成させたのが『教育勅語』でした。教育勅語の発布で乱れに乱れた日本の教育界が正常化し、大発展したばかりでなく、この小冊子が紹介するように、世界各国の学者・為政者から絶賛され、欧米の文明国の国民教育の模範となりました。これは現在まで続いております。知らないのは日本人だけです。
今こそ日本の徳育教育を立て直し、本来の日本人の誇りある精神を取戻すために、有志ある皆様と一致協力して世紀の啓蒙運動に邁進しようではありませんか。
■ロンドン大学における『教育勅語』の講演会 1907年(明治40年)2月14日
日英同盟を結んでいた日本が日露戦争に大勝利を収めたのが元で、英国の大使館から日本の文部省に、ロンドン大学で『教育勅語』専門の教育講演会の依頼がありました。文部省は、英国に二度の留学の経験のある菊池大麓男爵を派遣することにしました。菊池男爵と文部省は苦心して英語教育勅語を作成し、明治40年2月14日から25回の連続講義を行いました。25回にもなった訳は、日本歴史の講義から始めないと、外国人には教育勅語を理解させるのが難しいことと、学校教育での実際の修身の授業を紹介するためでした。
この講演に関して、ロンドンの新聞「スタンダード紙」は次のように論評しました。
「『一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ』とは天皇陛下が日本全般の国民に告げ給いし教訓である。しかして国民が如何にうるわしく之を服膺(教えを守ること)せるかは、一九〇四〜一九〇五年の日露戦争が明らかに証明している。このような教訓によってこそ義勇奉公の熱情に鼓舞せられる真正の国民軍を組織することが出来たのである。しかも我が英国民が深く恐怖する『軍隊政治(ミリタリズム)』(将校と兵隊との階級社会の差が酷くて国の為に働くという気風が皆無)は義勇奉公の精神とは何らの関係もない。実に日本国民は西洋人の理解不可能な方法を以って教育の意義と其の目的とを解決することが出来たと云うべきである。もし日本人が物質方面において西洋の模擬者とするならば、西洋人は精神的方面において日本の模擬者であることが其の利益となるものである。」
このようなロンドン大学での『教育勅語』の講演の成果を踏まえて、牧野文部大臣は同年5月の全国教育家大集会において次のように訓示しました。
「我が教育勅語は今や海外において深く学者・為政者の研究する所となり(中略)世界における最も大なる教訓となりつつあり。要するに教育勅語に関し諸君に対する余の要望は、其の内容が国民一般の心となることに勉められんこと是れなり」と。
■第一回世界道徳教育会議 1908年(明治41年)9月25日〜28日 於ロンドン
史上空前の大盛況でした。当時の世界の主要国20ケ国の文部大臣、首相・大統領代理、教育学者。17のイギリス連邦諸国。有名大学22校。教育当局(EducationAuthorities)52。協会(Associations)118の合計192団体が参加しました。
サドラー会長は開会の辞において特別に『愛国的義務と自我の徹底的抑制を巌格に教え込んでいる日本人の訓練における、道徳上の名声と偉大な伝統の力を理解するのに力になってくれる人が参加しております』と述べ、日本政府代表の出席を歓迎しました。
日本政府を代表して北条時敬(広島大学学長)が『日本の諸学校における徳育』と題し、小学修身教科書に頻出する二宮尊徳や楠木正成・正行の例話に言及する演説を行ないました。
北条時敬の掃朝報告の一部を引用すると、「我が文部省よりは会議の資料として特に教育勅語及び図書図画、修身教科書、同掛図などを提出し、之を会議場に陳列したるが、各国代表者の中には是非之を買い受けたしと迫る者ありしが、部数に限りあるを以って之を果たさず……斯かる有様なるを以って、日本の国民教育に就いては大いに参列者の注目を惹けり。依って私は之に対して日本における道徳教育に関する実際上のことを印刷したるものを各国代表者に配布して之を説明して大いに喝采を博せり」と。
この会議の際には、英語教育勅語の外に、ドイツ語教育勅語・フランス語教育勅語・漢文教育勅語も関係各国に配布されました。その訳は、前年のロンドン大学における『教育勅語』の講演会で、英文訳の教育勅語を披露したのを知った英語圏以外の国々から、強くドイツ語訳やフランス語訳の教育勅語の要望があって急遽文部省が作成して間に合わせることにしたのです。
このようにして日本の教育勅語と修身教科書は世界中に拡がり、以来98年間、戦争中も戦後も、日本国以外の文明国の道徳教育の模範となっております。
教育勅語と修身教科書の真価を理解出来ずに、世界に誇る宝物を粗末にしているのは、情けないことに本家・本元の日本人だけです。
【口語文訳】
勅語の容器で奉安殿に安置されていたもの私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を完うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、美事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
国民の皆さんは、子は親に孝養をつくし、兄弟、姉妹はたがいに力を合わせて助け合い、夫婦は仲むつまじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じあい、そして自分の言動をつつしみ、すべての人々に愛の手をさしのべ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格をみがき、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心をささげて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然のつとめであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、更にいっそう明らかにすることでもあります。
このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、このおしえは、昔も今も変らぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行なっても、まちがいのない道でありますから、私もまた国民の皆さんとともに、父祖の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。―国民道徳協会訳文による―
教育勅語十二の徳 一、 父母ニ孝ニ 親や先祖を大切にしましょう。 二、 兄弟ニ友ニ 兄弟は仲良くしましょう。 三、 夫婦相和シ 夫婦はいつも仲むつまじくしましょう。 四、 朋友相信ジ 友達はお互いに信じあいましょう。 五、 恭倹己ヲ持シ 自分の言動をつつしみましょう。 六、 博愛衆ニ及ボシ 広くすべての人に愛の手をさしのべましょう。 七、 学ヲ修メ業ヲ習イ 勉学にはげみ技能を身につけましょう。 八、 知能ヲ啓発シ 知徳を養い才能を伸ばしましょう。 九、 徳器ヲ成就シ 人格の向上につとめましょう。 十、 公益ヲ広メ政務ヲ開キ 広く世の人々や社会のためにつくしましょう。 十一、国憲ヲ重ンジ国法ニ遵イ 規則に従い社会の秩序を守りましょう。 十二、一旦緩急アレバ義勇公ニ奉シ 勇気をもって世のためにつくしましょう。
一、父母ニ孝ニ 親や先祖を大切にしましょう
二宮 金次郎
二宮金次郎は、家が大そうびんぼうであったので、小さい時から、父母の手助けをしました。
金次郎が十四の時、父がなくなりました。母は暮らしにこまって、金次郎と次の子を家におき、すえのちのみごをしんるいにあずけました。しかし、母は、その日から、あずけた子のことが気にかかって、夜もよく眠れません。「今ごろは、目をさまして、ちちをさがして泣いているであろう。」と思うと、かわいそうでならなくなり、いつも、こっそり泣いていました。金次郎は、それに気がついて、
「おかあさん、どうしておやすみになりませんか。」
と聞きましたが、母は、
「しんぱいしないでおやすみ。」
というだけでした。金次郎は、「これは、きっとあずけた弟のことをしんぱいしていらっしゃるのにちがいない。」と思って、
「おかあさん、弟をうちへ連れてかえりましょう。赤んぼうが一人ぐらいいたって、何でもありません。私が一生けんめいにはたらきますから。」といいました。 母は、大そう喜んで、すぐにしんるいへ行って、赤んぼうを連れてもどりました。親子四人は、一緒に集まって喜び合いました。
孝ハ徳ノハジメ。
二、兄弟ニ友ニ きょうだい仲良くしましょう
毛利 元就
毛利元就は戦国時代に中国地方を治めていた勢力のある武士でした。元就には隆元・元春・隆景という三人の子どもがありました。
ある時、元就は三人の子どもを集めて、三本の矢を一つに束ねたものをそれぞれに渡して、それを折るように命じました。しかし、丈夫な矢が三本もしっかり束ねてあるのですから、いくら力を出しても子どもの力では折ることが出来ません。そこで元就は、束ねてあった矢を一本一本ばらばらにして、それを渡して折るように命じました。今度は一本だけですから三人ともたやすく折ることが出来ました。元就は三人の子どもに向って、
「兄弟もこの矢とまったく同じである。兄弟が仲良く協力一致すれば、どんな強い敵から攻められても、なかなか破れるものではない。反対に、兄弟がばらばらになれば簡単に敵に攻め破られることになる。この矢をみて、三人ともよく心に留めて省みなければならない。」
と言って諭しました。
また、三人の子どもが成人した時、元就は三人に一つの書き物を渡しました。それには、
「三人とも、毛利の家を大切に思い、たがいに、少しでもへだて心を持ってはならない。隆元は二人の弟を愛し、元春・隆景はよく兄につかえよ。そうして、三人が一つ心になって助け合え。」
と書いてありました。また、元就は、隆元に別の書き物を渡しましたが、それにも、
「あの書き物をまもりとおして、家の栄をはかるようにせよ。」
と、よく行きとどいた戒めが書いてありました。
書き物をもらった兄弟は、三人の名を書きならべた請書を父にさし出し、
「三人は、心を合わせて御戒めを守ります。」と、かたくちかいました。
三、夫婦相和シ 夫婦はいつも仲むつまじくしましょう
山内 一豊の妻
山内一豊が織田信長のけらいになったばかりのころ、大そうよい馬を売りに来た者がありました。これを見た人は皆ほしいとは思いましたが、何分にも値が高いので、誰一人買おうという者がありません。馬の主は馬を引いてかえろうとしました。
一豐も、ほしくてほしくてたまらないから、家へかえって、
「ああ、金がないほど残念なことはない。武士としてはあのくらいな馬をもってみたい。」
と思わずひとり言をいいました。妻はこれを聞いて、夫に向かって、
「その馬の値はいかほどでございます。?」
「金十両。」
妻は立って、鏡箱の中から十両の金を出して、
「どうぞ、これでその馬をおもとめあそばしませ。」
一豊はおどろいて、
「これは又どうした金か。これまで貧しい暮らしをしているのに、こんな大金を持っているなら、なぜあると一言いわなかった。」
「さようでございます。このお金は私がこちらへまいる時、「夫の一大事の折りに使え。」と申して父の渡してくれた金でございます。人の話によりますと、ご主人織田様には、近いうちに京都で馬ぞろえをなさいますとのこと。さだめて皆様はごじまんの馬に乗ってお集まりのことでございましょう。あなた様にも、その折りにはよい馬にめして、主人のお目にとまるようになされるのが大事と考えまして、今日このお金を出しましたのでございます。」
一豊は妻に礼をのべて、その馬をもとめました。やがて馬ぞろえの日となって、一豊の馬は、はたして信長の目にとまって、
「ああ、よい馬、名馬々々。誰の馬か。」とたずねました。けらいのものが、
「これは一豊の馬でございます。」
といいますと、
「日ごろ貧しい暮しをしている一豊が、よくもこういうよい馬を買いもとめた。見上げた志のもの、りっぱな武士。」
と、信長は大そう感心して、これが一豊の出世のもとになったということであります。
日本の修身 七、公益・奉仕 十四、師弟 二十一、愛国心 一、家庭のしつけ 八、進取の気象 十五、反省 二十二、人物・人格 二、親孝行 九、博愛・慈善 十六、正直・至誠 二十三、公衆道徳 三、家族・家庭 十、質素・倹約 十七、克己・節制 二十四、国旗と国歌 四、勤労・努力 十一、責任・職分 十八、謝恩 二十五、国際協調 五、勉学・研究 十二、友情・朋友 十九、健康・養生 六、創意・工夫 十三、信義・誠実
二十、武士
一、教育勅語等排除に関する決議 昭和二十三年六月十九日
「民主平和国家として世界史的建設途上にあるわが国の現実はその精神内容において未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。これが徹底にもっとも緊要なことは教育基本法に則り教育の革新と振興とをはかることにある。しかるに既に過去の文書となっている教育勅語並びに陸海軍人に賜わりたる勅諭その他の教育に関する諸詔勅が今日もなお国民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは従来の行政上の措置が不十分であったがためである。
思うにこれらの詔勅の根本理念が主権在君並びに神話的国体観に基づいている事実は明らかに基本的人権を損ない且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる。よって憲法第九八条の法旨にしたがい、ここに衆議院は院議を以ってこれらの詔勅を排除しその指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの詔勅の謄本を回収し排除の措置を完了すべきである。
右決議する。」
かくして全国の学校から回収された教育勅語の謄本は、東京の多摩川の河原で焼却処分の運命と相成った次第です。文字通りマッカーサーは神様で、日本国民は精神的奴隷というところでしょう。
このように折角ジャパンの国会議員諸公がマッカーサーに絶対服従の誓いをして尻尾を振り、民主主義ジャパンの新生を宣言しても国際的には全然通用いたしません。マッカーサー自身が「ジャパンの民主主義は十二歳である」と頭から馬鹿にしたのが何よりの証拠です。「教育勅語は明らかに基本的人権を損い且つ国際信義に対して疑点を残すこととなる」と最大級の自己批判をしてみても、「国際信義」を獲得できるどころか、反対にその信念のなさを世界の有意識者から笑われただけです。
二、教育勅語についての「外人記者の直言」
世界超一流のフランスの通信社「AFP」の東京支局長であったレオン・ブルー氏は、「外人記者の直言」という読売新聞の欄に「教育勅語と漢文の問題」という論文を掲載しました。その一部をご紹介します。
「儒教思想にもとづく教育勅語は、終戦以来不可ということになり、デモクラシーの精神に反するものとして、今では教育界から追放の憂目に会っている。ところで私は外人記者として直言するが、この教育勅語をめぐる論争は私には何のことかさっぱり判らないのである。論理的にいって、もし勅語が間違っていれば、その反対は正しいということになる筈である。もし反民主主義といわれる教育勅語が「これをせよ」と説いているならば、民主主義はいやでも「これをするな」といわなければならない。この論法で行くと、とんでもないことになる。教育勅語に反対する人達は、父母に不幸を尽し、兄弟、夫婦ゲンカ、朋友の不信を奨励し、さらにエゴイズム、文盲主義、社会主義、違憲行為を説く教えを奉ずることになるではないか。これではいくら何でも修身とはいえまい。」
日本の世論を代表していると自他共に許しているジャパンの大新聞は、この「AFP通信社」には及びもつきません。「教育墓本法」が出来たから「教育勅語」は「基本的人権を損うもの」と単純に決議した国会議員諸公もマスコミも、このレオン・ブルー氏の「国際的良識」を参考にしてもう一度自己批判をやり直したらどうですか。
三、外国人が残念がる修身教育の消滅
『修身教育』の廃止を『著書』で嘆いたのは、小池氏の次には、日本人ではなく、フランス人のポール・ボネ氏(フランス大使館勤務)でした。その一部を引用します。(小池氏の著書より)
「お子様」という名の怪物
いうまでもなく、日本は、近代国家として世界の最先端を歩んでいる国である。デモクラシーは浸透し、法と秩序は守られ、教育水準は群を抜いている。そういう国のことだから、子供のしつけもさぞかし厳格に行われているだろうと外国人が考えたとしても、あながち見当外れともいえまい。(中略)
ところが、いい難いことだが、日本の子供の現状は、決してヨーロッパ人の想像するような状況ではない。私たちが、公共の交通機関の車中や、街のレストランや、あるいは路上で見かける子供たちは、野方図というか傍若無人というか、ともかく他人の迷惑やひんしゅくなど気にもせぬお子様ぶりである。(中略)
日本は、お子様に対する体罰を「暴力」のカテゴリーに加えて固くこれを禁じている世にも珍しい「平和国家」である。私はその事実を知ったとき、いくらナンでも嘘だろうと思ったものだ。しかし、それは事実だった。子供に対して体罰を加えた小学校の先生は、PTAでたちまち「暴力教師」のレッテルをはられてしまう。
フランスでは、幼児は畜犬と同じだといわれている。すなわち、幼児教育は畜犬の教育と同じく、体罰や食事の制限などがあって、はじめてスムーズに行われるという意味である。身体に罰を加えなければ物事を覚えない年齢というものが、ヨーロッパやアメリカにあって、日本にはないということが、私には信じられないが、しかし、日本では親も教師も「暴力」の名に脅えて手を出そうとしない。
しかも、この国では、戦争前に「修身」と呼ばれていたところの道徳教育の科目が、軍国主義、国家主義につながったとして、戦後まったく復活していない。そして、修身教育復活の是非は、与野党や文部省対日教組の長い長い論争となって今日に至っている。
「修身」という東洋的な名称はともかく、児童が将来人間としていかに生きるべきかという教育は、全世界の小学校で最も重視している部分である。その内容は国々によって多少のズレはあるものの(国旗を大切にせよとか党に忠実であれとかいう風に)、行儀作法とか、親子兄弟、友人関係の情愛、年長者に対するいたわりといった基本的なことに関しては、自由主義国も共産主義国もさして変わりはないように思われる。ところが、日本では、そういう、人間としていかに生きるかという基本的な教育さえ否定されているらしい。(中略)
両親は、一九四五年八月一五日の一八〇度の価値転換以来すっかり自信を喪失して、子供をしかる道徳的論拠がないと思い込んでいる。だが、世界のどこの国でも、子供の教育をしようと思う親に、論拠など必要はないのである。親が悪いと思えば叱ればよし、よいと思えば褒めればよいのである。大体、教育に教育評論などという、スポーツ解説のような存在は無用なのであって、そういう存在に頼ること自体がナンセンスだと私は思う。(後略)
四、世界の修身入門
屋山太郎氏は、昭和四十八年六月号の文芸春秋誌に載った「日教組解体論、すでにして救いがたい教育界の現状レポート」で次のように書いています。
「百姓に穀物の作り方のウソを教えれば、一年でバレる。果樹の育て方なら十年でバレるのだ。ところが教育学のウソは百年経たぬとバレない。そこでウソがまかり通る。」と。
戦後六十年もウソの教育がまかり通った結果、学校も教師も、社会も父兄も、長年月をかけて日本民族が築きあげた尊い文化遺産を伝承する努力を放棄してしまったのです。
昭和四十九年一月の教研大会で、日教組自身が、「現在の高校生は、無気力・無関心・無感動・無責任の四無主義である。一番嫌いな職業は教師である。」と発表しているほどです。
戦後教育のウソのうち、最大のウソは、修身教育の廃止です。戦前教育の諸悪の根源は修身教育である、というのは、マスコミ、自称進歩的文化人、日教組の教師の間で確固たる定説となっています。少しでも『人間教育』・『道徳教育』・『国民教育』の必要性に言及する発言は、「修身の復活だ」、「教育勅語の再来だ」の一言のもとに一蹴されてしまいました。
しかし、修身・道徳教育の否定は、そのまま日本の教育界の後進性を証明する有力な証拠ともいえます。国立教育研究所の平塚益徳所長は、同研究所発行の「国定教科書内容索引 尋常科修身・国語・唱歌篇=国定教科書内容の変遷=」に序を寄せて次のように証言しておられます。
「明治末期にロンドンで開催された道徳教育に関する有名な国際会議において、我が国の道徳教育、即ち修身が、各国の代表から注目され、高く評価された」と。
修身は時代おくれ、と考えている人は、そう考えている自分が、時代おくれの人間であることを忘れている人です。このような批判が気に入らない人は、「世界の修身」をじっくり勉強して下さい。戦後忘れられていた「日本の修身」の親孝行も、愛国心も、滅私奉公も、そっくりソ連や中共の「生徒守則」に生かされているのです。
英国の「中央教育諮問会議報告書」および米国の「教職員倫理綱領」と「日教組倫理綱領」の内容を比較検討してみて下さい。歴史や伝統に対する謙虚な態度といい、国民教育に対する責任感といい、学者の見識と良心といい、全く比較対照することが不可能な位、日教組講師団の東大教授達は時代遅れです。
日本では、道徳教育を、学校でも、家庭でも、社会でも粗末にしていますが、諸外国は反対に、家庭や社会ではきびしくしつけ、学校では公民教育を大切にしています。
戦後教育を総反省するためにも、また国際的に通用する新しい日本の道徳を創造するためにも、世界の道徳教育の元となった修身教科書が大いに参考になると思います。
「品格のある日本人」を形成したのは、昭和二十年までの国定小学修身・歴史・国語教科書でした。この価値を早急に再認識することこそ肝要です。
教育荒廃の十大元凶の一部
1、「国家神道廃止令」 昭和20年12月15日
厚木飛行場に降り立つマッカーサー司令官
(昭和20年8月30日)
マッカーサー日本占領軍(GHQ)による、日本の弱体化政策の最初の命令(指令)が、「国家神道廃止令」でした。厚木飛行場にマッカーサー司令官が降り立ってから、僅か3ケ月しか経っていません。GHQは、日本の軍隊が勇猛果敢だったのも、日本国民が一致団結して頑張ったのも、神社が大きな役割を果たしていたと分析して、恐れていたのです。
はじめは、伊勢大神宮、熱田神宮、明治神宮等を取り壊そうという案も出ましたが、バチカン王国からGHQに派遣されていた宗教の専門家が、「敗戦国と言えども、その固有の宗教は尊重されるべきだ」と提言したので「神道指令」になりました。
現在、大きな政治・社会の話題となっている「靖国神社」の諸問題は、この「神道指令」が尾を引いているのです。
※厚木に降り立つマッカーサーの写真入る。
写真キャプション:厚木飛行場に降り立つマッカーサー司令官(昭和20年8月30日)
2、「修身・日本歴史および地理の授業停止」 昭和20年12月31日
GHQは、日本人独特の強固な精神性・愛国心を弱体化させるため、第一弾が「神社追放」第二弾が「修身追放」を仕掛けてきました。
学校教育から、日本人の精神形成の中心だった「修身教育」を、占領軍の強権で廃止すれば徐々に日本人の魂は失われていくという、冷徹な作戦を展開したのです。
「ペンは剣より強し」。百万の大軍で日本を支配するよりも教育を支配して、日本人の魂を抜き取る作戦を選択したのです。
戦後60年間の日本の教育界の堕落、教育崩壊の歴史を振り返ってみると、GHQの思惑は見事に的中しています。
しかも、当の日本人には、GHQに「してやられた」との意識すらないのです。
※GHQ本部の写真入る。
写真キャプション:GHQ本部(第一生命ビル本社)
3、「公職追放」 昭和21年1月と22年1月の2回
筆者は、敗戦で高級軍人や政府の指導的立場にあった人達が、GHQ(占領軍)に責任を取らされたのは仕方のないことだと思いますが、この二〇万三六六〇人に及ぶ「公職追放」は酷すぎる、と憤慨していました。
田舎の村長さんや町長さん、在郷軍人会や愛国婦人会の会長さん、県の主な指導者など、二〇万人を追放してしまえば、日本全土から、まともなリーダーは居なくなります。長年、外国人に羨ましがられた、古き良き時代の日本の順風美俗・精神文明・伝統文化の担い手が消えてしまったのです。
「地震・雷・火事・親父」に替わって、「地震・雷・火事・マッカーサー」に成り下がってしまいました。占領政策としては効果的です。案の定、日本の隅々まで、この公職追放令は決定的なダメージを与えました。
家族でも、学校でも、村落でも、リーダーの権威が地に落ち、指導力・説得力が無くなりました。どんなに良い意見を言っても「それは封建的だ、反民主主義だ、軍国主義だ」の決まり文句で否定されてしまいました。
家庭崩壊・地域社会の崩壊・国民意識の崩壊の始まりです。
4、日本国憲法と教育基本法
(1) われらは、さきに、日本国憲法を確定し民主的な国家を建設 して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示 した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべき ものである。
(2) われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間 の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな 文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
(3) ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、 新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。
第一条(教育の目的)
教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成 者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労 と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民 の育成を期して行なわれなければならない。
読んで字のごとく、日本国憲法と教育基本法は表裏一体の関係にあるのです。そもそも日本国憲法自体が、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」他人まかせの作品です。
その他人まかせの日本国憲法のそのまた背中におぶさったのが教育基本法です。
この教育基本法を読んで、日本の政治家や教育者たちは、一体日本の青少年をどのような方法で、どのような国民に育成しよう、と志しているのかお分りでしょうか。
中学生か高校生の美辞麗句を連ねた「民主主義を称える雄弁大会」の作文としてなら合格でしょうが、普遍的・抽象的な民主主義の教育理念を克明に羅列しただけで、それが一国の「教育基本法」とはおそれ入った話です。
日本人本来の心魂の喪失を、これこそ「雄弁」に物語っている何よりの証拠です。
5、日本の教育改善の方策とは
勿論のこと、日本国憲法と教育基本法の抜本的改正が先決であることは言うまでもありません。続いて日本の歴史と伝統文化に基づく道徳教育の再興です。
明治維新での倫理道徳の退廃を正道に復活させたのは、明治23年の教育勅語の発布でした。これを学校教育で、具体的に、効果的に教授するために作成されたのが、明治37年に完成した修身教科書でした。
この二つ(勅語と修身)の教育の効果と影響で、日本の徳育教育の水準が著しく向上して、全世界の学者と為政者の注目を集めることになりました。
皆さん、早急に日本の教育復興のために頑張りましょう。
日本青年社 基本理念 倫理・道徳・品格の向上我が国に於ける昨今の倫理・道徳退廃の現状は目に余り、とどまる所を知らぬ様相を呈しております。
その多くの要因はいわゆる戦後の占領政策に起因し、結果として精神的背骨を失い、取り戻す努力を怠り、その教育を放棄してきた日本人そのものにあると断定せざるをえません。
昨今の我が国は民族の本然たる道義や道徳、修身といった教育が「言葉」の上のものとなり、それを「教育・教練」として受け、身につけるべき機会を完全に損なっております。
日本人は元来、『この世に生を受け、人の為にいかにあるべきか』という利他の精神を育んできた民族であり、そうした生き方は人としての『在り方』を希求し『らしさ』として体現してきました。
『在り方』や『らしさ』を求める生き方の対象は大勢の中の自己にあり、自己の研鑚の不足を『恥』としてきた民族だからこそ、より高度な人格形成をなしてきたのであります。
日本民族は世々、先祖の遺徳とその叡智を尊重し、万物に生命観を抱き、あまねく森羅万象を恵みとして、更にそれらを八百万の神々として崇めるという素晴らしい日本独得の伝統文化を形成し、継承して参りました。
『人類文明の秘宝』とまで評されたはずの日本民族とその精神は敗戦と占領政策、特に不法不当な極東国際軍事裁判によって歪められ、史実に反する教育と戦後の間違った自虐史観によって取り返しのつかない状態に陥っております。
近代科学文明が進み、世界の情報がリアルタイムで入手でき、人間の叡智が国際的に生かされる時代でありながら、いまだに紛争の解決を戦争に求める愚を犯しつづけ、大国のエゴのみが正当化される社会がそこにあり、経済にあっては昨今のマネーゲームに見えるように、技術や生産を伴わない拝金・利己主義に翻弄される…そんな社会に一石を投じなくてはなりません。
歴史の中でも幾度となく直面した、このような世情を打開してきたのは常に『維新』、すなわち原点に立ち返り元の姿を復元する事にあります。
科学的進歩と経済的発展の裏側に置き去りにされた『真の叡智』と『誠の正義』は日本民族が育んできた慈愛の心と、堅く貫いてきた義の心で再興しなくてはなりません。
日本民族の資質の向上と意識の昂揚は時代に求められた必然性であり、進むべき道を知覚感得し、涵養せしめるべく、われわれ日本青年社は誇り高き日本人の姿を復元しうる模範となり、誤れる国情を軌道修正すべく『倫理・道徳・品格の向上』をもって基本理念とすることを宣言します。