平成16年01月09日

 静岡県熱海市伊豆山に興亜観音堂があり、支那事変で戦死した日本兵と中国兵を敵味方等しく供養し慰霊するために松井石根大将が昭和15年建立しました。

  その思想は「怨親平等」という武士道精神に基づいたものでした。

  日本には敵兵であろうと戦死者に対する尊敬の念があり古くは元冦のあと北条時宗が鎌倉に円覚寺を建て敵味方の霊を弔ったことや、楠正成は敵のために味方より立派な塚を建てたことはこの思想にあります。日露戦争のあとにも日本軍のものより先にロシア軍の慰霊塔を作りました。

  こういう考えは日本独特の敵軍の健闘を讃え、これを慰霊するという武士道精神に基づいた伝統であり日本青年社がタイ国カンチャナブリ県に建立した平和祈念公園も同じ考えに基づいたものです。

「興亜観音」のもう一つの重要性は大東亜戦争で刑死された一〇六八柱の慰霊とA級戦犯の汚名を着せられ処刑された「殉国七士」が祭られていることです。

  現在極東軍事裁判(東京裁判)が裁判の名に値しない、戦勝国が敗戦国を裁く「リンチ裁判」であり、その目的は日本を国家として辱め、日本の国体を解体することにあったという事は多くの人々に認識されつつありますが、マスメディアや学校教育に於いて自虐史観がはびこり、国益の上からも外交上も重要な問題になっております。

  今年元旦の小泉首相の靖国神社参拝が相も変わらず中国・韓国の批判を浴びておりますが、このような内政干渉や理不尽な横やりがまかり通ることは日本人自身が東京裁判への肯定意識が残っている事を証明しています。一日も早い自虐史観からの脱却が求められています。


●日本青年社が興亜観音への参拝を守り続ける意義
 
 殉国七士への慰霊は戦後禁止され、昭和27年日本の独立が確定したサンフランシスコ条約締結後、やっと自由になりました。それまでは処刑場から持ち出された遺灰は密かに興亜観音堂の地中に埋められていたのです。

  現在殉国七士の慰霊を行っている施設は興亜観音の他に愛知・三ケ根山にある殉国七士廊があり毎年四月二十九日に慰霊祭が盛大に行われています。勿論日本青年社は重点行事の一つに定め建立以来欠かさず参列しています。そして興亜観音の慰霊祭十二月二十三日に対しても同様に参列しています。

  実は年二回の慰霊祭の日が問題なのです。四月二十九日は昭和天皇の誕生日です。十二月二十三日は今上陛下の誕生日です。 昭和二十一年四月二十九日極東軍事裁判開始の公布が行われ、五月三日に裁判が開始されました。そして昭和二十三年十二月二十三日七人の処刑が行われました。この事は東京裁判が天王星への否定と復讐に他ならない事を物語っています。それは日本の国体を潰す事なのです。

  日本人の連合国への反撃はA級戦犯七人の霊を弔い、その名誉を回復する事なのです。日本は昭和二十八年恩給法を改定し戦犯に対し恩給を給付し刑死者に対しては「法務死」として「昭和殉難者」と名付け丁重に回向する事としました。国会は満場一致で可決し共産党・社会党も誰一人として異議唱える者はいませんでした。政府はこの事を米国をはじめ中国・韓国にも通達しました。それ故日本には「戦犯」なる者は存在しないのです。国連加盟の立て役者、重光葵(マモル)や岸信介首相も戦犯でした。刑死した者は戦犯で、生き残った者は国の指導者となるという不条理は改めなければなりません。

  日本青年社は粛々に慰霊祭に参列し、全国民が東京裁判史観の誤りを自覚するまで続けてゆく決意です。