逆流に抗して日本精神の復活を
楠公精神の下、逆境を好機に変え、強い団結力を持って日本の未来を切り拓こう
平成20年1月6日
理論文教局長・静岡県本部長
杉山 洋
平成二十年を迎えて歴史は大逆流を開始した。昨年の参院選の自民党大敗北と安倍政権の崩壊はその号砲であった。安倍自民党は「保守」という路線をとったが、福田自民党は「保守からの脱却」という方向をとろうとし、ついに小沢民主党との「大連立」を画策した。我が国の政治のベクトルは、明らかに「戦後体制」への回帰を目指すものとなりつつある。このような厳しい新年を迎え、我 々日本青年社の進むべき道も険しくならざるを得ない。だが我々は結成以来、楠公精神の下、孤立無援の闘いを勝ち抜いてきた歴史を持っている組織である。逆境を好機に変える団結と戦闘力を持っている。そして何よりも強力な議員同志連盟と社友会が日本青年社を支えているのだ。
平成二十年の日本青年社の方針
今年がどのような年になるのか、少なくとも国民にとって希望に満ちた年になる見通しはない。衆参両院のネジレ現象は政治の混乱に拍車をかけ、大衆の政治離れ、国会無視が増大するであろう。国益、国権にかかわる問題も政局に利用され、日本の国際的地位は低下するであろう。このような困難な逆流の中で日本青年社は、自らの隊列を整え、持てる力を振り絞り突き進まなくてはならない。我々の目標は「日本精神の復活」であり、そのために「東京裁判の呪縛」から全国民を解放しなければならない。また歪められた左翼勢力による平和運動から、真の国際的平和運動の拠点として「平和祈念公園」に光を注がなくてはならない。我々のこれらの運動をより強力に、より幅広く展開してゆくために全国社友会、議員同志連盟の拡大、強化が必要であり、同志的連帯を更に深めなければならない。
また「倫理・道徳・品格の向上」を我々自身への戒めとし、実践者とならなくてはならない。なぜならば我々日本青年社の隊員は、一人一人が、日本人として恥ずかしくない人間でなくてはならないからである。
そして固い団結と熱い連帯の中で全力で闘い抜こう。
国家意識を持たない民族と政治の貧困
世界の中で日本ほど国民に国家意識がなく、自国に自信と誇りを持たない、つまり愛国心を持たない民族はない。それどころか、最近の青少年の非行化、暴力化は凶悪犯罪化し、親をも殺す事件が続出している有り様である。また、親は子供を自己の都合で見捨て、子供のために己を犠牲にすることが過去の古い考え方のように見られ、家庭を中心とした社会の基本が根本から崩壊しつつある。一方国家意識を持たない国家公務員は、社会保険庁問題、防衛省問題のように無責任な対応に終始し、国家、国民に対し犯罪行為まで起こしてしまっている。このような現実に対し、政治は何ら有効な対応を取ることが出来ないでいる。それは根元的な問題に目を向けず、常に小手先の対応に終始している政治の貧困に原因があるのだ。
日本精神の復活を目指す「倫理・道徳・品格の向上」
我が国の現実と問題点を克服する方針として我々は「倫理・道徳・品格の向上」をスローガンとして掲げ、戦後教育の中で理不尽に見捨てられ蔑まれてきた「日本精神」の復活を目指し、運動を展開してきた。日本精神とは、「大和魂」「武士道」であり、忠孝の思想を軸にしたものであった。国には忠を親には孝をという倫理を哲学的に高めたものであり、世界に誇る日本の徳目であった。この日本精神は「教育勅語」として制定され、世界に先駆けて実施された義務教育で「修身」教育が行われ、日本人の品格、道徳心が涵養されたものであった。しかし敗戦により、修身教育が禁止され、忠孝は死語となり、教育界からも社会からも放逐されてしまった。その結果、六〇年の歴史を経て見事なまでに日本民族の堕落が完成したのである。
敗戦まで、世界中が羨むような優秀な日本民族がどうして戦後これほどまでに堕ちてしまったのか。倫理、道徳、品格を国民の教育の基本とし国家、家族を愛する国民が堂々と自分自身に誇りを持ち、世界の責任ある国家として生き抜くことを国是とした日本国が戦時下、戦勝国により一方的に決められた「東京裁判」の判決により、日本の国体は否定され、日本国民がそれに従ってきた結果が、現在の惨憺たる現実を招いたということを認識しなければならない。東京裁判とは、戦勝国が日本打倒の侵略戦争を正当化する為に行ったサル芝居であった。日本の正義を全て悪と決めつけ、日本を侵略国、植民地支配国、凶悪国として日本国民の心に贖罪意識を植え付け、二度と立ち上がれない国民、国にすることが目的であった。日本の不幸は戦勝国の不条理な東京裁判を国民が受け入れてしまったことである。占領下で発言の自由が無い中で行われた裁判であるので「仕方がない」面もあったが、独立後もそれを認め続けた国民は、自らの不明を恥じなければならない。東京裁判の思想は、やはり同様に占領下で作り上げた「日本国憲法」として定着し、教育では、修身の廃止と教育基本法の制定によって、子供たちの心にしみこんでいった。それ故、広島、長崎への原爆投下という米軍による非人道的虐殺行為を、米国への抗議すら出来ず、実行者を隠して「二度とくり返しません」と、あたかも日本人に責任があるように表現することしか出来なかったのだ。現在でもいかに日本が酷い国であったかを、必死で探し出し事実と異なることを大宣伝して得意になる人々がいるが、とんでもないことである。
日本青年社の闘いは日本の未来をも切り拓く
既成政党が党利党略の主導権争いをする中で我が日本青年社は日本の国の未来を切り拓く闘いに起ち上がった。まず第一に日本国民を「東京裁判」の呪縛から解き放す闘いである。日本の未来を拓くためには、この闘いに勝利しなければならない。日本青年社は結成時からこの問題こそ日本の根源的問題であると認識していた。そして愛知県三ヶ根山山頂に東京裁判におけるA級戦犯を祀る殉国七士廟が建立されるとともに参列する運動を展開した。当時は極左運動が盛んであり、ほとんどの国民に無視される中で続けられたのであった。そして現在その存在と運動が徐々に広がりをみせてはいるが、充分とはいえない状況である。今年こそ全力を投入し、運動の拡大を図らなければならない。又、一昨年以来続けている「東京裁判再審請求」署名活動も再起動させなくてはならない。地味な運動のように見えるが、この運動の全国民への浸透こそ、日本を変え、日本を蘇えさせる力なのである。
そしてもう一つ忘れてならない存在がある。それは静岡県熱海市伊豆山にある興亜観音である。殉国七士の一人であり、ありもしない「南京事件」の責任者とされた、松井石根大将が建立し、日中両軍の戦死者の霊を平等に慰めた観音堂であるが、殉国七士が処刑された際に米軍に隠れて遺骨と遺灰を納めた場所である。まさに聖地であり、三ヶ根山の七士の墓は、ここからの分骨、分灰である。これらの慰霊を行うことを通じて大東亜戦争の真実と東京裁判の不条理を知ることこそ「東京裁判からの呪縛」から解き放たれる道なのである。
タイ王国カンチャナブリ県の平和祈念公園
大東亜戦争五〇周年を迎えた平成七年、タイ王国カンチャナブリ県に先の大戦で、祖国のために闘い、尊い命を散華した旧日本兵の英霊に感謝の誠を捧げるとともに、民族、国籍を問わない、世界全ての戦没将兵を慰霊し、未来永劫の恒久平和を祈る殿堂として「平和祈念公園」は建立された。大東亜戦争の総括を「東京裁判史観」に基づいて、時の村山内閣は、あろうことか「謝罪決議」を国会決議として実行してしまった。このことに異を唱えた人々が「東京裁判」を否定し、二十一世紀の平和を祈念する、未来の平和を切り拓く殿堂として「平和祈念公園」は建立されたのである。戦争の原因は民族対立、宗教対立、領土、貧困など多種、多様であり、大東亜戦争は、白人国家によるアジア植民地支配を打ち破る独立戦争であった。それ故、二十一世紀の平和運動は、戦争の原因を内包する運動では充分力を発揮出来ない。平和祈念公園は、仏教国タイ王国において「神道」という日本式形態をメインにしながら、全ての国の戦没将兵を平等に慰霊している、世界でも希有な慰霊施設であり、平和の殿堂である。我々民族派もまたインターナショナルな視点を持つ民族派に自己変革しなくてはならない。
最後に、「東京裁判」が日本国民に意識を低下させ、日本人の伝統ある精神文化を破壊させ、戦後民主主義のはき違えから来る家族制度の崩壊と、人をいたわる心、人を思いやる心が欠落し、拝金主義が先行して人の痛みを感じなくなった結果が、今、現実となって現れている結果となっている。
私たちは今一度、歴史を振りかえり日本人の精神たる心を取り戻すときではないのか。そのためには、戦時下に行われた戦勝国による不当な「東京裁判」の無効を明らかにし、日本人の精神文化である「倫理」「道徳」を一日も早く回復し、日本国民が誇りを持つことのできる国家再建を実現しなければならない。