自虐史観とサンフランシスコ講和条約
今日、我が国に於ける歴史観はいわゆる「東京裁判史観」に犯され侵略の汚名を甘受するが如き体たらくである。
極東国際軍事裁判(俗称・東京裁判)が司法形態から掛け離れた、裁判とは言い難い茶番劇であった事は以前に触れているが、では何故いまだにその呪縛から解き放たれずにいるのか、その要因のひとつに触れたい。
サンフランシスコ講和条約
サンフランシスコ講和条約とは正式には『日本国との平和条約』といい開催地の地名からその名が付き平和条約とも講和条約とも呼称される。
昭和二十六年九月八日署名、同年十一月十八日批准、翌二十七年四月二十八日発効、米・英が中心になって草案を作成し、審議・修正を認めない調印会議として旧連合国の参加を招請した。
五十五ヶ国のうち、いわゆる中国が代表政権についての米英の意見が対立し、招請されずインド・ビルマ・ユーゴスラビアの三国は不参加、ソ連・ポーランド・チェコスロバキアは会議参加あれど調印せず。結果、日本と四十九ヶ国が調印し前途日程により発効した。
全文二十七の条目によって構成され、今回は極東裁判との兼ね合いのある第十一条について考察する。
【講和条約・第十一条】
(1)第十一条・全文
日本国は極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。
これらの拘禁されているものを赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した1または2以上の政府の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使する事が出来ない。
極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使する事が出来ない。
(2)第十一条の目的
いわゆるA級およびB・C級戦争罪人を裁いた連合国側の軍事法廷が日本人被告に言い渡した刑の執行を日本政府に引き受けさせるとともに、赦免・減刑・仮出獄の手続きを定める事を目的としている。
これらの軍事法廷では被告とされたのは個人であって、日本国家は軍事裁判には直接のかかわりを持たなかった。刑の執行を継続させようとするにあたり、直接関与のない日本国家が連合国にかわって「刑を執行する」責任を負うなどするためには「受諾」という行為があったためこの条文の付帯に至ったものである。
(3)第十一条の解釈
第十一条・全文の下線部分の「裁判の受諾」とあるが、ここに大きな問題がある。
Accepts the judgments(アクセプツ ザ ヂャッヂメント)とある。Judgmentsとは法廷用語として使われる場合「判決」の意味に用いられ「裁判(trial・トゥライアル)とは区別されている。
つまり受諾したのが裁判ではなく判決である事がわかる。裁判と判決では意味が著しく相違する事は言うまでもない。
(4)戦闘の戦争区分
国際法にみる戦争の終結は平和条約(講和条約)の終結・発効によってなされる。
これを大東亜戦争になぞられると昭和二十年八月十五日は日本側の終戦宣言であり、同年九月八日降伏文書(ポツダム宣言)の調印は戦闘終結を意味し、昭和二十七年四月二十八日サンフランシスコ講和条約の発効をもって終結したという事になる。ちなみに余談であるがポツダム宣言は条件付降伏であり、無条件に受諾したのは武装解除のみである。
(5)戦時下の裁判
前項に示された通りの講和条約の発効まで我が国は戦時下にあり、軍事裁判は連合国の軍事行動(戦争行為)として遂行されたものである。
つまり講和条約の発効までの七年間は日本変造という行為が軍事行為として行われた事を理解しなければならない。
(6)アムネスティ条項
アムネスティ条項とは交戦諸国は講和に際して、平和条約の中に「交戦法規違反者の責任を免除する規定」を設ける通例の事である。
国際法上の大赦を意味する。
過去の実例として戦争中に一方の交戦国の側に立って違法行為をおかしたすべての者に、他方の交戦国が責任の免除を認める効果をもつものとされ、講和条約に明示規定としてこの条項が設けられずしても、法的効果の一つとして確認せらるるものとして国際慣習法上の規則となっている。
(7)第十一条・もう一つの目的
講和成立後、独立権を回復した日本の政府が国際慣習法に従って戦犯裁判判決の失効を確認し、拘禁中の人々をすべて釈放し、もしくは釈放を要求するであろう事を予想し、事態の生起を阻止する事を目的としている。
長い歴史を持つ国際法上の慣例に反した第十一条の規定は、先の大戦にあたり、連合国側があくまで「正義」「合法」である事を独善的に顕示すべく感情を反映したものである。
極東裁判そのものがそうであったように、その目的は「復習」であると同時に日本に「正義」や「大義」があってはならないという連合国の思惑が顕著にあらわれている。
前述したように、それが戦時下に於ける軍事行為である以上、戦勝国にとってことごとく有利な戦略であることは言うまでもないが、その行為を額面どおりに受け付け後生大事に守り続けている日本はいまだ占領下にあるといっても過言ではない。
根拠に乏しい戦後史観が「自虐」と称せられる所以である。
(8)第十一条・裁判と判決について
国際法学者の解釈では、日本政府は東京裁判については連合国に代わり刑を執行する責任を負っただけで、講和成立後も東京裁判の判決理由によって拘束されるなどと言う事はあり得ないとされている。
講和条約の発効により国際法上の戦争状態を終結させて独立を回復した日本政府は極東裁判の判決理由中に示された歴史観ないし歴史的事実認定とされるもの、いわゆる歴史の偽造として悪名高き者を盲目的に受け入れる義務を負っておらず、この裁判に対し、むしろいかなる批判も再評価も自由に行う権利を有している。
講和を通じて払った代償により獲得した国家の独立という実質的な権利である。
(9)総論
正式な法的拘束力を持たない極東裁判とその判決は正当な司法性に欠けるが故に『拘束』ではなく『呪縛』という言葉がもっともふさわしい表現である。
それが呪縛である以上、かけられた「まじない」や「のろい」からは解き放たれなければならず、その解放なくして真の独立は勝ち得ない。
近年我が国ではいわゆる冤罪事件について再審が行われ、改めて無罪の判決が下される事例も少なくないが、上訴・再審の機会も与えられなかった復習の為の茶番劇について日本人自らの手で主体的再審を行って民族の歴史と真実、そして尊厳を取り戻す事が肝要である。
よって我々はその先駆けとなり、自虐史観の払拭、民族の覚醒を期し、誇り高き純正日本の民族性を世界に発信し、世界平和の根幹をなすべき重大な使命を闡明しなければならない。