平成16年5月6日
日本青年社 議員同志連盟幹事長
岡山県津山市議会議員
岡 田 康 弘

 東シナ海に浮かぶ島、魚釣島は石垣島から北北東一七五キロメートルに位置するが、この島を中心に北小島・南小島・久場島・大正島の五つの島と三つの岩礁から形成されているのが尖閣諸島である。

 私は咋年の五月十四日に魚釣島を目指して石垣島登野城港を出航したが、現地を目前にして悪天候のために上陸を断念したことは記憶に新しいところである。(その後、八月には同志隊員が魚釣島に上陸して灯台の保守点検を行なった)

 昨年、機関紙「青年戦士」(平成十五年六月二十五日号)と当ホームページ上にも記したが、私の所在地は岡山県と鳥取県の県境に位置する山国である、そのためか海に憧れ島に関心を抱いているのは決して私だけではないはずだ。前述のように私は昨年強風による高波に阻まれて止むなく上陸を断念して帰港しただけに次のチャンスがあれば必ず尖閣諸島へ行くという強い思いが増していた。

  予定としては四月下旬頃に上陸すると聞いていたのでスケジュールを組み出発の準備を進めていたところ、三月二十四日午前中、富施局長から「ニュースを見たか」と第一報が入った。

  この日は朝から議会に出席していたのでニュースは見ていなかったが昼の休憩時間には役所内の友人から「中国人が尖閣諸島に上陸した」という声を何度も耳にしていたので『灯台は神社は大丈夫か』となどと不安感でいっぱいだったのだが、富施局長との電話のやりとりで私も尖閣諸島に上陸することが確認できたことから急いで石垣行きの航空チケットを手配し明日(二十五日)出発の用意をしてその夜はテレビのニュース番組に釘づけであった。



3 月 25日(水)


 07:00 自宅出発

 09:25 岡山空港発〜

 11:25 那覇空港着

 12:10 那覇空港発〜

 13:10 石垣空港着


 ちなみに岡山空港から沖縄那覇迄は一、一一〇キロメートル、沖縄那覇から石垣まで四〇四キロメートルの道程である。ホテルに着くと東京からすでに到着している上陸隊十四名が出航に向けて準備を進めていたので私は隊服に着替えて一四:〇〇から始まる記者会見に臨んでから皆と海上保安庁に挨拶に行き、その後は上陸に際しての綿密な会議を幾度となく行った。二三:〇〇の出航に向けてしばしの休息であるが、その間も各方面から入る惰報の分析とマスコミ対応に大わらわであった。

 わずかに睡眠をとり(ほとんど寝ていないが)出発前にミーティングを行なった後、ホテル前の港に停船している場所に向かったが、岸壁には沖縄県警、八重山署、海上保安庁等、約一五〇人が物々しい雰囲気で我々を待ち構えている。毎回そうであるが今回は特に異常な人数で待ち構えている。海上保安庁は昼間挨拶に行ったときの対応とは一八〇度も急変している。これに加えてマスコミ関係者が五〇人ぐらいが集まっているので現場は大変な雰囲気である。

 まず、道路で八重山署の検問と職務質問攻めにあい、港湾施設に一歩足を踏み入れると今度は海上保安庁との対峙である。我々が乗船する船は海上保安庁の二隻の船によってロープで繋がれ出航ができないようにされている。正にお手上げ状態である。第十一管区海上保安庁本部は「海上保安庁法第十八条二項」に基づき、我々が石垣島からの出航を差し止めて乗船を阻んだのである。特に今回は中国人の魚釣島不法上陸に関して沖縄県警と海上保安庁は神経を尖らせており、島での現場検証などを行なっている最中で上陸はさせないというものであった。我々は現場の混乱を避けるために極力冷静な行動に終始したので一人の逮捕者を出すこともなく、全員ホテルに引き上げた。

3 月 26日(金)


 八重山署と海上保安庁と「魚釣島」の灯台や神社等の状況把握のため連絡をとり合う、我々の戦いが始まったのだ。

 報道関係者が神社破壊?と報じているので、灯台もかと疑念を抱いたのだが海上保安庁からの連絡では灯台の灯はついているとのことである。点くには点いているけれども倒されていないかと尋ねたが「わからない」と、つれない返答であり、神社の破壊状況も確認できないために、我々は苛立つばかりで警察や海上保安庁のいうことはあてにすることができない。そのようなことから我々は昨日と同じように、何とか我々の目で確かめなければと上陸要請を詰め寄ったが現場検証をやっている間は駄目とのことで止むなく断念したのである。

3月 27日(土)& 3月 28日(日)

 地元新聞に目を配りながら隊員もメンバーも、このまま上陸できないのであればと、四月七日に再度出航することを決定して午前中に私以外の隊員が一時東京へ戻ったので私は引き上げる同志を見送ってから午後に岡山への帰路についた。

4月 7日(水)

 再び石垣空港を訪れ最初に売店で新聞を買い、目を配ると我々が来ることを朝刊が報じている。「尖閣諸島上陸へ今日石垣入り、東京の政治団体一〇数人」と大見出しになっていた。ちなみに私の尖閣諸島上陸は三度目の挑戦であるが昨年五月は悪天候の為に灯台を目の辺りにして断念。二度目は今年三月二五日、警察、海上保安庁の阻止により出航断念。今回は三度目の挑戦である。私がホテルに着くと先に到着していたメンバーが今晩出航すると言う。出航に向けての準備を行ない、しばしの休憩をとり、二三時から、お馴染みの海上保安庁の持物検査と職質である。今回は上陸はしないという名目であったが、私はどのような目的であれ私自身の目で灯台の灯りを確認し、できれば尖閣神社の破壊状況も把握することであった。

 私の胸中には昨年上陸を目前にして断念した時の悔しさが今でもこみあげてくる。島には誰でも簡単に上陸できるだろうと思われているだろうが、運が悪いのか、日頃の行ないが悪いのか二度も続けて上陸ができないのは尖閣が私を拒んでいるようにしか思えない、私にとって尖閣は得体の知れない神々の住む島なのかもしれない。

12 :40 船は石垣島登野城港を離岸した、目指すは三度目の尖閣諸島である。船は穏やかな波間を気持ち良さそうに快調に進むので今日は大丈夫だと自分に言い聞かせながら、船室の後ろに陣取りだんだんと離れていく石垣島の明かりを眺めながらのんびりとした気分であった。港を出てから気がつくと我々の後に、海上保安庁の船が三隻追尾してきている。時間は定かではないが二、三時間進んだ頃だろうか雨が降りだしたことから船室の中は大の男たちが肩を寄せ合っている。まるで裏道で雨に打たれたドラ猫が身を寄せ合っているようである。あの時にも雨だった。降り注ぐ雨と寒さのために船室の入口付近で合羽を着たまま横になり眠ってしまった。それにしてもすごい揺れである。一回目に悪天候の揺れを経験しているだけに別に気にしなかったが船室の中に入ると外は暗くて何も見えない、船室と言えば聞こえがいいが実は船倉なのだ。ディーゼルエンジンの音がうるさくて話し声も耳元で大声を出さなくては聞こえない有り様である。良くそんなとこで寝るなと思われるが、そこでも良いほうで下手をすると外で雨に打たれながら座ったままの状態で寝るほかはない。普通の人が見たらビックリするだろう。

 私は「痛い」と思わず叫び声をあげた。いきなり強烈なキックが顔面を直撃したのだ。右足か左足かわかならいが、私の顔はキックされたまま踏まれつづけている。もう片方の足もくるのではないかと思い踏んだほうの足を思わず掴み暗闇の中で薄目をあけて良く見ると、そこには滑川副会長の姿があった。しかし副会長も話をする余裕などないらしい、脇目もふらずトイレに一目散なのだ。ああ、完全な船酔だ。ちなみに私は酔い止めのクスリを飲んでいたので大事に至らなかったが、何人かのメンバーは大変のようで、入れ代わり立ち代わりトイレに直行している。運が悪いのかどうかわからないが私の寝ていたところはトイレの入口だったので、誰かがトイレに飛び込む度にどこかを踏まるので痛みに堪え忍んでいなければならない。寝ていた時間が長いのか起こされていた時間が長いのか良くわからない状態の中で、上から誰かが船倉にいる私の方を恨めしげに見ている、眠っているのかもしれない、良く見るとよだれがでている。酔っている酔っている、酒でなくて船に酔っている。ニュートンの法則では物は上から下に落ちてくる。そんなことは子供でもわかるが、ここで吐かれたら笑いごとじゃすまないと思い、体を起こし隅に身を寄せて座っていると、食ってる食ってる、この状況の中でパンを頬張っている。誰とは言わないがあんただよ管区長。結局持参したパンとおにぎりは誰が食べたんですか、私を含めて五人の人は何も食べてないようだ。すごいよ管区長。

  そうこうしているうちに五時間位たっただろうか、雨風の勢いは以前に経験した悪天候などと言うようなものではない。これはただ事ではないということを私なりに実感した。

  滑川副会長が衛星電話を使って誰かとやりとりをしている声が聞こえるが天候状況を見合わせながらこれ以上の進行は危険ということから登野城港に帰還するとのことであった。薄明りの中、船窓から見た海は映画などで船が大荒れの海で遭難するシーンが登場するが正しくそのものである。自分が乗っている船がその何倍もの高さの波、ビルにような高さの波に呑み込まれようとしている様を現実に体験してしまった。恐怖を感じたのは私だけではないはずだ。日本の国でありながら遥かに遠い尖閣諸島、一度は上陸してみたい島であるが、どうしてもここまで私を拒むのか、私が山国の人間だからなのか。



『尖閣諸島、我、三度寄せつけず』
「石垣島に帰還して」

 尖閣諸島は本当に大変な島である。簡単に行けそうで、行けない島、そんな島だと言うことが三度目の挑戦で良くわかった。上陸どころか、その姿を見せようとしない、まるで誰も寄せつけたくないように人を拒み続けている島に見えて仕方がないのである。(特に私に対しては)一度目の挑戦では悪天候で上陸できなかったものの尖閣諸島周辺の調査をを行なって帰還することができたが、悪天候の中で見た尖閣諸島は「尖」の字のごとし、正に鋭く尖った独特の姿をした島であった。ここに私たちの先人が大勢住んでいたと言うこと事態が実にすばらしいロマンである。

 また、今年は尖閣諸島魚釣島に灯台を建設してから二十六年を迎えたことから日本青年社は本年度を「尖閣年」と位置づけて本格的な尖閣諸島問題対策の幕開けにしようとした矢先の三月二十四日に中国人活動家と称する七人の輩が魚釣島に不法上陸したが、このような中国の違法行為に対して抗議を含めた尖閣諸島上陸を目指した同志諸兄の緊急対応と勇気はすばらしい。日本の領土である尖閣諸島への中国側の領有権主張は如何なる理由をつけようとも常識で通る話ではない。

 日本国民の中には、たかが小さな岩だらけの小島のことを何で大騒ぎするのかと不思議に思っている人がいるかもしれないが、尖閣諸島問題の重要な点は、石油資源という将来性にだけあるのではなく、国家主権に関わる重大な問題であることを知らなければならない。ここでは詳しくは記さないが日本国民が今回の中国の不法上陸を機に尖閣諸島に関心をもっていただき日本の領土は北方領土、竹島だけでなく尖閣諸島も大事な島だということを再認識していただきたい。
 中国が尖閣諸島の灯台は日本の右翼団体の行為だと報じているが、そうではない、「右翼」の行動でなく、純粋な「愛国心」を持った真の日本人の行動であることを報告しておきたい。

 私は、我々が尖閣諸島を守ることは日本の生存に関する重大事であることを理解していただければ幸いであります。