平成25年度
「全国代表者・役員会議」「全国代表者・役員総会」開催報告

平成25年5月1日

 日本青年社は2月3日(日)、日本青年館(東京・新宿)において平成25年度第1回「全国代表者・役員会議」(以下、会議と言う)を第一部として、年頭行事である「全国代表者・役員総会」(以下、総会と言う)を第二部として開催した。 



第一部「全国代表者・役員会議」


年頭所感



 松尾和也会長は、「昨年の平成24年は様々な運動、行事等の消化など大変ご苦労さまでした。本年平成25年も更なる活躍のこと皆様にお願いしたいと思います。

 昨年の会議におきまして、われわれ日本青年社は、地域社会においてその存在意義を明確にし、社会に於ける定位置を確保していこうと決意したわけでありますが、その結果その道の第一歩を歩むことができたものと思われます。長い日本青年社の歴史の積み重ねと、皆様同志一人ひとりの努力の結果の賜とも思えるものであり、襟を正し、結束と団結のもと更なる前進を決意いたします。」
と旧年を振り返りながら今年の抱負を語った。



高まる日本青年社の評価



 議員同志連盟会長挨拶で松村茂夫埼玉県久喜市議会議員が、「皆さん、ここのところ日本青年社の評価がすごく高いんです。日本青年社の皆さんが築いてきた歴史の事実が、国民の間に知れ渡って、私ども議員の間でも、日本青年社といえば素晴らしい団体というイメージを頂いております。自分も議員同志連盟会長として本当に鼻が高いです。これは皆さん一人ひとりの地道で誠実な努力が、今日の高い評価を生んでいると思います。今後もご精進下さいますよう宜しくお願いします。

 今年が皆さんにとって素晴らしい一年になり、日本青年社が見事な団結のもとで一層輝きを増しますよう心からご祈念申し上げる次
第でございます。」との挨拶に続いて、会議前に全員に配布された陽明学者・山田方谷のNHK大河ドラマ放映実現を求める署名活動について以下のように説明した。

陽明学者・山田方谷とNHK大河ドラマ放映に向けて
 「山田方谷さんです。これは今の岡山県、備中松山藩の家老をしていた方でございます。先日の安倍総理の所信表明演説に対して、日本維新の会の平沼赳夫先生が代表質問の中で山田方谷先生の話をされました。いまこそ日本の柱に山田方谷先生の思想、考え方を入れるべきだと言う話をされたようでございます。

 この方は凄い改革者でございまして、こういうことを言っております。『それ善く 天下の事を制する者は 事の外に立ちて 事の内に屈せず 義を明らかにして 利を図らず』、これはどういうことかと申しますと、理財論という小さな論文にこのように書いてあるんです。今、税金をあらゆるところに掛けてる。掛けるだけ税金を掛けて取れるだけ集めていこうと、そして出ていくのは可能な限り出ないようにやってきてる。それは昨日今日始まったのではなく何十年もそうやってる。財政を担当している人が金がない、困ったとそればっかり言ってる。要するに財政に潰されちゃってる、それで風紀も乱れてるじゃないか。と言うと、わかってるけど金が無いからそこまで手が回んないんだよって言うんです。これを問答話といいます。

 そこで方谷先生は、礼儀を正しくして自分の回りを清潔にするには金は掛からない。気持ちのよい挨拶をするのに金は掛からない。と言います。山田方谷先生の改革のもというのは、そういうところにありました。

 当時、備中松山藩は三年分の収入を全部足しただけの借金がありました。十万両です。それをわずか八年できれいに返して同じだけの蓄財をするんです。方谷さんは八年できれいに返してなお且つ十万両の蓄財をしたという凄い方です。その元にあるのが気持ちのよい挨拶、身の回りをきれいにするのに金は掛からない。それが基本であります。ですからこういうことは世直しになると思いますので、ぜひNHKの次々回の大河ドラマで取り上げてもらうために百万人の署名をあつめようということで運動をしてとろです。山田方谷先生の直系の子孫の人も東京にいらっしゃいますので、皆さんにもぜひご協力をお願いします。私も今年一年、油断なく一生懸命頑張ってまいります。」
と挨拶した。

タイ王国を訪問するにあたって

 全国社友会の小林明会長は、「日本青年社並びに社友会、議員同志連盟、各県奉賛会が取り組む大きな活動の一つタイ王国カンチャナブリの平和祈念公園奉賛活動があります。建立から十数年経ちまして本当に立派な公園になってまいりました。この公園は日本青年社の皆さんの思いが強く込められた公園でございます。

 われわれも建立にあたって多大なるご尽力を頂いたタイ王国の高僧、故ロングポーラムヤイ大僧正が今年十年忌を迎えたことを機に建設された大聖堂の落慶式に行ってきます。そして6月と11月には小祭と大祭がございますが、私は皆さんとともに平和祈念公園奉賛活動が年を重ねるごとに大きくなるような活動に取り組みたいと思っています。」
と述べた。

平和祈念公園の現状報告と展望

 挨拶の最後は、各県奉賛会の千葉州時会長が「私は昨年の暮れから皆様方に平和祈念公園の記銘入り献灯提灯のご協力をお願しました。この提灯は、園内に日本文化の風情をただよわせることを目的としておりますが、大勢の皆様にご理解とご協力を頂きましたことを大変嬉しく思っております。

 また平和祈念公園は日本が戦後50周年を迎えた平成7年、先の戦争によって祖国のために戦い散華された先人英霊に対して、感謝の誠を捧げるとともに、先人英霊の御霊に手を合わせることによって、戦後失われた日本精神を復活させようという思いから建立した公園であります。以来18年、現在はタイ政府がユネスコに世界遺産登録の申請手続きを進めているところでございます。今年は、子供たちが大勢参加することのできるお祭を開催し、日本人もタイ人たちも世界の人たちも一緒になって世界未来の恒久平和を祈ることのできる聖地・平和祈念公園を作って生きたいと思っております。」
と挨拶した。


平成25年度 決意表明


 各団体挨拶に続く決意表明で澤井和美本部長が、「旧年は、中国の尖閣諸島上陸と反日暴動、領海侵犯と領空侵犯や竹島訪問等が多くの国民に衝撃を与えました。しかし、これらの出来事によって、我が国民の領土意識がめざめたことも事実であります。またわれわれ日本青年社の『尖閣諸島実効支配活動』の真実と『魚釣島灯台』の存在が、関連書籍の出版によって多くの国民に明らかにされたことです。

 特に、青年戦士1月号で紹介した3冊の書籍は、日本青年社の存在を国民に広く明らかにするものであります。中でも『われわれ日本人が尖閣を守る』は、これから英訳され、海外で出版されることも決まっています。これこそ同志の皆様や多くの先輩同志が長年にわたって培(つちか)ってきた、努力の結晶であり、われわれ日本青年社は、いかなる社会環境の中にあっても、保守民族派の信念のもとに更なる結束と強化を図ることこそが、本年最大のテーマです。

 従いまして、日本青年社は更なる結束と発展を図るとともに、必ずや国家国益に準ずる有意義な民族運動に努力邁進して行くことをここに同志の皆様とここに誓います。」
と力強く表明した。


平成25年度 移り変わる民族運動と日本青年社

 杉山洋会長補佐は、平成25年度活動指針で『移り変わる民族運動と日本青年社』と題し、日本青年社の行く末について「決意を新たにし、日本国民の中に日本青年社の本当の姿と言うものが偽りなく伝えられるように、我々は本当の意味で保守民族派としての第一歩を今踏み出し、日本国民に対し、日本の未来を託せる存在とならなければならない。
 今にして思い起こせば平成12年に我々が始めて松尾会長のもとで社友総会を行ったとき、社員一人ひとりが日の丸を掲げようじゃないか、ということで全員に日の丸が配られたことを覚えています。私たち社員一人ひとりが誇りをもって自分は日本青年社の社員でありますと言えるようにして下さい。本年、平成25年度の運動というものは、まず自信を持ち、正しい道を貫き通すことによって周りの人々に多くの感銘を与えていく。それにより運動を更に更に大きくしていくことをここで提起したいと思います。
 どうか皆さん、総会を日本青年社の明日に向けた本日を第一歩として進んでいっていただきたいとい考えます。」
と訴えて、第一部の会議は閉会した。



第二部「全国代表者・役員総会」



 2月3日の会議終了後の午後1時から開会した総会は、500有余人の出席者が集う中で、島元昌也情宣局次長の指揮による国民儀礼と司会を務める俳優の岡崎二朗氏の挨拶で開会。出席者を代表して1月10日に発売された『われわれ日本人が尖閣を守る』を企画した漁火の会・中村功会長と昨年末に発売された『尖閣で試される日本の政治家』の著者である作家の大下英治氏の来賓挨拶と元防衛省事務官・井上康史氏の聖寿万歳、そして門西栄一弁護士の乾杯が行われた後、歓談会食を楽しみながら今年一年の活躍を誓い合って閉会した。

漁火の会・中村功会長の来賓挨拶はこちら↓ 
全国民の総意と総力で領土を守れ


作家・大下英治氏は「……“尖閣で試される日本の政治家”を日本青年社を中心に書きました…尖閣は無人島でした。……明治28年の日清戦争で日本が勝って台湾を併合する前に日本に編入された固有の領土です。最初は古賀辰四郎という人が開拓しました。30年間の無償で借りたのです。尖閣はアホウドリの生息地です。かつお節工場もありました。昭和15年ぐらいまで300人位いましたが、戦争が激しくなり全員が引き上げたのです。そして尖閣の所有者は古賀家から栗原家に代わりますが、石原慎太郎氏が東京都で購入することを明言したことで大騒ぎになりました。石原氏が尖閣を買うといったときに15億円集まりましたが、政府が石原氏に持たしたらまずいということで横取りしたんですね。ではここで尖閣諸島の問題を振り返ってみたいと思います。

 皆さんはご存知のように、昭和47年日中国交回復が図られるのですが、その時に田中角栄が大平さんと中国に行きますが、行く前に実は官邸で打合せする予定だったのです。それは尖閣の問題を持ち出すかどうかということだったのです。しかし大平さんは角さんはわかっているだろう、ということで打合せをしないで行ったのです。そうすると周恩来との2回目の会談のとき、尖閣はどうすると騒ぎ立てたものだから大平さんはビックリしたのです。その場は未来の知恵に任せようということになったのですが、その後ケ小平が日本にきた時また未来の知恵ということを言ったのです。ところが中国は、日中国交正常化の年に日本の領海に入ってきて尖閣諸島を取り囲むという事件がおきました。そのとき日本青年社はこれはほっとくわけにいかない。政府が何もしないのなら俺たちがやろうということで灯台を建てるんです。簡単じゃないんですよ。尖閣は絶海の孤島だし3メートル以上の大きな波が来るんです。

 日本青年社は死ぬか生きるかの覚悟で苦難の中で灯台を建て修理をしたりしながら尖閣を27年間守ってきました。しかし灯台のある場所が島のてっぺんではないので一方向しか照らすことができないので、隣の北小島にも灯台を建てましたが、ある日その灯台がなくなったのです。どうしてなくなったか、嵐でなくなったのではなくてネジがはずされたのです。このようにして日本青年社は何度も闘いながら灯台を守ったのです。しかし政府の申し出を受けた日本青年社は松尾会長の時代に国に無償移譲しました。灯台を譲ったとき、細田博之官房長官は日本青年社から譲られたなんていわないのです。民間の方から譲られたとか東京の政治団体が放棄したとかね、政府は日本青年社にやってもらったのだから、ありがとうと言えばいいのですけど、ただ海外の新聞はそれを取り上げました。でも松尾会長は、日本青年社がやったことと、後の取り扱いについては一切口をつぐんだのです。今の政府の中でも灯台をもっとしっかり建てろと言う声があるのに、怯えてなかなか建てません。だけど日本青年社のやったことは凄いことなのです。

 この間に色んな形で中国でも日本の敵視問題が多くなっている中で、安倍さんが総理になって戦略的語形関係と言っておりますが、その安倍さんも経団連等の圧力がありますから、いろいろと踏み込めないことがあるかもしれません。また憲法改正の話しが出ましたが私は安倍晋三と岸信介と言う本を書いています。岸さんは憲法改正をやるために政治家になったんですが日米安保改正だけで終りました。普三さんは前の総理の時に憲法改正まで踏み込もうとして動いたんですが、前の時は途中で体調を崩して総理を辞任せざるを得なくなりました。今度は本気で頑張って貰いたいと思います。」
と挨拶した。


 聖寿万歳は、元防衛事務官・井上康史先生が、以前、中国の武官に靖国神社をどう思うかと聞いたことがあるが、その武官は靖国神社があることに反対しなかったことや、別の武官が話した中国が尖閣諸島を奪い取るための戦略である3つのシナリオについて説明しながら、日本の報道はこういう事実を書かないところに問題がある。皆さんにはよく情報を把握してもらいたいと述べてから万歳三唱の音頭をとった。


 乾杯では、門西栄一弁護士が日本青年社の国家的活動は多くの人たちに知られるようになり社会から広く認められるような団体になった。これは皆さんの努力の結晶です。……司会者から顧問的存在と紹介を受けたが、私は顧問的でなくて顧問だと思ってる、と述べてから杯を上げて乾杯の声をかけた。
 乾杯の後は、懇親を深める歓談会食と岡崎二朗氏のトークショーに笑いが絶えない和やかな総会は閉会した。