平成24年度日本青年社「全国議員同志連盟・社友総会」
平成24年10月16日
ロシア日本研究会名誉会長
ロシア連邦科学アカデミー・東洋学研究所・日本文化研究所長
サルキソフ・コンスタンチン博士 の講演要旨
日本が竹島・尖閣・北方四島などの領土問題で非常に厳しい時期を迎えている中で、私が北方四島問題の解決と日ロ関係の未来について話をするという大事な機会を与えてくださったことを心から感謝いたします。
私が今日本青年社の記録映画を見てピーンときたのが、日本青年社は、数十年前に尖閣諸島に灯台を建設した時と同じように素晴らしいことをやったということです。
それは平成21年に皆様がモスクワとサンクトペテルブルグを訪問したことです。そして北方領土返還交渉を進展させるために、ロシアに行きましょうといったことです。その時、私が喜んで案内しようと思った理由は、大きな問題を解決するためには現場に行って雰囲気を肌で感じて接触しないと、その国を正しく理解することはできないからです。問題を解決するためには先ず相手を理解する。理解は必ず問題解決の基であるという思いがあったからです。私はモスクワで日本青年社の皆様に凄く感激しました。日本青年社の訪問団は紳士的で完璧でした。凄く礼儀正しくて真剣にロシアを知ろうとしていました。そこには先ず尊敬と言う言葉がキーワードにあります。いくら喧嘩しても相手を尊敬するということが大事です。
私は2日前までアメリカから今回の竹島と尖閣の争いを見ていて一番気になっているのが、中国と韓国の振る舞いが余りにも横柄(おうへい)ではないかということです。それはあの国がいくら自分の領土だと思っても、そこはお互いの触れ合うという態度が重要です。なぜか、領土問題で一番気になるのが尊厳を重んじるということなのです。誰だっていじめられたり侮辱されたら頭にきます。そういう意味で言えば皆様もモスクワに行ってロシアとの領土問題に関する考え方や態度が大きく変わったと思います。もちろん自分の国を愛すことが第一です。ただ自分の国を愛すことの一番大事なことは、自分の国の利益を正しく理解することが第一の原理です。これは単純なのですが、真の愛国と言うのは国の利益を守ることを良く理解して国の利益を追求するために頑張るということです。つまり愛国というのは、自分の国を愛すとか、自分の国の文化的なアイデンティティーを守るとかで価値観が大きく変わってくるのです。そういう意味でいえば、今領土問題を抱えている日本には正しい選択をしてもらいたいと思います。
先ほどの池口惠觀先生のお話の中に亡国と言う言葉が沢山ありました。私は日本の亡国はないと思います。こんなに素晴らしい国が滅亡することはありえない。なぜかというと内部の力が非常に強いんです。私は日本のことを研究しているからわかるのですが、先ず日本は円高で、東北地方の福島のように大変な損害をこうむっていてもみんな頑張ってる。それはお金なんです。通貨なんです。通貨と言うのはその国の価値のことなのです。
余談が長くなりましたが、基本的な日ロ関係について話をすると北方四島の問題があります。昨日ウラジオストックで野田総理とプーチン大統領の話がありました。その話のなり行きを見ると、ある意味で領土問題は山場を迎えていると思いますが、これからどうなるかと言うことが肝心なポイントであります。今朝の新聞に出ていた記事を見ますと、野田総理は「双方が受け入れ可能な解決策を見つけるべく首脳、外相、事務次官レベルでの論議を進めたい」と発言しています。これに対してプーチン大統領は「世論を刺激せず静かな雰囲気のもとで解決したい」と答えています。これは基本的にロシアも領土問題解決に前向きだと言えます。プーチンは今年返り咲いたんですが、日ロ関係に関して私はプーチンを凄く尊敬しています。理由は、彼がはじめて2島返還は義務であると言っていたのです。だから2島返還は領土問題解決に向けた出発点なのです。
もう一つ、領土返還を考えていたのはソ連の首脳にもいたしゴルバチョフもそうでした。私はゴルバチョフと日本にきたことがあるのですが、大統領を辞めて個人で日本にもう一度来たときも同行したので率直な話ができました。彼は2島返還を認めるか躊躇していましたが結局認めませんでした。ソ連が崩壊して新しい大統領になったエリツィンは認めたのですがハッキリとした発言はなかったのです。結局プーチンだけが2島返還だと常識で考えているのです。ですから問題の解決と言うのは、野田総理が言われたように双方が受け入れ可能な解決策を見つけるということは、双方が歩み寄ることがキーワードなのです。
私は領土問題の専門家として双方が受け入れ可能な方式は答えにくいのですが、このままの状態では受け入れ不可能ということが言えます。それはまず領土返還は、2島だけということなのです。今までのなり行きを見るとそういうことになってたのです。ソ連側から見ると四島一括は不可能なのです。ですからこれからは四島とか2島とかの間に適当な解決策があるはずです。そして、そのことに関しては日本青年社のお陰で双方の雰囲気が変わってくれば、尊敬し合いお互いに敵ではないのだ、友好国であるのだということで話しの進展があるでしょう。なぜならば日本とロシアの間には、基本的に対立の種がないからです。あるのは四島だけなのです。でもそれは戦争の結果と言うこともありますが昔のことですから簡単に解決するのは難しいのです。このことが原因で2つの国の国民が完全に離反することはないと思います。日本ではロシアの人気が余りないのですが、ロシアの世論調査では8割のロシア人が日本好きなのです。日本が亡国になることを一番望みたくないのはロシア人です。その気持ちの根底には少なくとも2つの理由があります。
一つ目は日本の文化であり技術力です。私がアメリカに行ったらニューヨークは7割が日本製の車なのです。トヨタ・ホンダ・マツダやその他の日本車なのです。ロシアも日本製の車です。メイドインジャパンは最高の意味なのです。それとロシア人も職人の民族です。農民の民族です。人が自分の手で作ること、また完璧にできる国の国民を尊敬するのです。
2つ目は凄く複雑な状況なんですが中国の強大化です。私は中国を敵視してはいけないと思ってます。尖閣に対する中国の横柄な立場と言うのも中国の強大化があるためなのです。確かに中国は物理的に大きくて凄いから意識せざるを得ませんが、20年前に尖閣諸島問題は次の世代に任せておきましょうと言ってたのです。もちろん中国には脅威論もありますが魅力的なこともありますから、その存在を認めなければなりませんが、その存在は破壊的ではなくて地球の将来を作るために建設的な創造的な力になって欲しいと思います。しかしそのためには中国を牽制しなければならない。日本もそうですが他の国も弱くなってはいけません。池口惠觀先生のおっしゃるように弱くなると誘惑が出てくるのです。いじめられるのです。ただ基本的に日本の戦後のことを見ると日本の魅力は平和主義なのですが、ただいじめられている平和主義では魅力はありません。それは逆の存在になってしまいますから日本は、中国、韓国、ロシアにもっと強いメッセージを送らなければなりません。「いい加減にしなさい」とですね、それと各国には第九条という憲法はないのです。日本ではその第九条はもう改正したほうがいいという考え方が強くなっているのですが、私に言わせればこれは宝物であります。
だから、日本はこの平和主義にはもっと力を入れなければならない。強い、いじめられない平和主義。つまりその平和主義を守る力を充実しなければならない。それは非常に複雑な問題ですが領土問題に関して肝心なポイントは、問題を解決するために双方には意思が必要だということです。どうしてもやらなければならないという重要な力強い動機が必要なんです。私は領土問題のなり行きを研究してきました。なぜか、紛争研究というのは先ず紛争の起源にはじまります。どうしてその紛争が起きたのか、その歴史的ないきさつを辿って後は現状を見る。
第3番目はその解決方法なのですが、領土問題について歴史的な経緯を見ると、まず戦争なんです。1943年にはじめてアメリカのルーズベルト大統領がスターリンに話をかけていたのです。そのテヘラン会議でスターリンは応じなかったんです。どうしてかと言うと、ドイツ軍がモスクワまで来ていて凄く困っていたんです。44年の末、アメリカは日本との戦争に参戦してもらいたいと大使を通じて秘密に接触してたんです。44年には日本は完全に負けそうになっていました。そして日本とソ連の中立条約が終るのが46年だったのです。それと、日本との戦争に参加しないと、戦後の秩序を形成することができないのでスターリンはヤルタで秘密に参戦を決めたのです。ただ面白いことにヤルタ協定を調べると3つのポイントがありました。
その1つは全然日本と関係のない外モンゴルのことです。2番目は日露戦争で失われた南サハリン、3番目は特別に千島なのですが、千島は返還ではなく引き渡すのです。1875年にサハリンと交換された島だからです。全島を平和的に引き渡す。それを変えたのはアメリカなのです。ポツダム宣言で日本の領土は四島だけだと決めたのは、アメリカとイギリスです。スターリンはそれを上手に利用しました。
そして次は戦後の50年代に問題の平和条約を締結することは可能だったのですが、56年に重光葵外務大臣が、もし2島返還ならアメリカは沖縄を返還しないとアメリカのダレス国務長官に脅かされていたのです。当時の新聞を見ると良く解りますが、読売、朝日新聞にもそのことが全部出ています。それをアメリカは否定してましたが後で認めました。その時の秘密文書もいまは公開され良くわかりますが、これはアメリカの脅かしだったのです。
結局、その後の60年代にアメリカはベトナム戦争で凄く困っており、アメリカの影響力は弱まってきていましたが、60年代は日本の高度成長期です。日本はシベリアの資源が魅力になり何とか領土問題を解決しようという趨勢になっていました。70年、71年、72年はアメリカの秘密外交は玉虫外交です。キッシンジャーは北京に行き、日本は福田赳夫が総理になるはずでしたが田中角栄になりました。佐藤栄作の中国に対する失敗だとして。田中角栄になると彼は駆け足で北京に行って北京と完全な国交を樹立し、中国の膨大な市場が開いたのですがシベリアの魅力はそのまま薄れていきました。
このように時代別に話をすると時間がかかってしまいますが、80年代とかエリツィン時代などを見ると、基本的な現状の中で領土問題を解決させる気持ちになり、強い政治的な意思で解決に取り組み、お互いが受け入れ可能な方式を見つけれることができればと思いますが、その能力の猶予はどこにあるかということです。
基本的に言えば、ロシアにとって日本の存在は凄く貴重な存在であります。第2番目は北方四島の他に対立の種がない。3番目は日本なしでこの地域の安全は維持できない。もし日本が亡国すれば、それは悪夢そのものなんです。4番目は日本の力、日本の魅力、だから日本と仲良くすればロシアも良くなるという気持ちはいっぱいあります。問題は日本から見るロシアとの良い関係、また領土問題の妥協、お互いに受け入れ可能な妥協で解決する魅力がどこにあるのか、これらの問題点を一つひとつ解決しながら歩み寄ることができれば、北方領土問題を進展させることができます。 私も日本とロシアの開かれた将来を見据えて皆様と一緒に頑張ってゆきたいと思います。