平成24年度
日本青年社「春季 全国代表者・役員会議」開催報告平成24年4月20日
昨年3月11日の東日本大震災発生から一年を過ぎた3月18日、日本青年社は早春の靖国神社を参拝したあと、靖国会館において全国の役員が参集する本年2回目の「春季 全国代表者・役員会議」を開催した。
会議は国民儀礼に続く開催挨拶で、木村正副会長が「日本人の精神と道徳を「武士道」という本の新渡戸稲造の言葉を引用して『武士道の精神は、桜の香となり、日本人の心の中に、いつまでも香り続けているだろう。そしていつの日かかならず日本人の心と魂を呼び起こすことになるだろう。』そして最後に『本の末尾に、武士道は今、完全に日本人の中から消え去った。』と書かれています。そのような戦後日本で失われた日本の「武士道」精神を呼び起こす桜の花が日々つぼみをふくらませ始めています。我々日本青年社は、桜の開花とともに「武士道」精神を呼び起こすべく、日本青年社の基本理念と存在を社会に広く理解していただくための啓蒙活動を開始する時を迎えているのではないかと思います。」と全役員に語りかけた。
続く日本青年社代表挨拶では、山本正實総局長が「まだ春が遠い被災地の東北地方では、満足な復興に至っておりませんが、我々同志の中にも、この不測の事態に対していち早く駆けつけ様々な形で災害支援に取り組み、いまも福島、宮城、岩手などに出張して災害復興の一翼を担う仕事に従事している方々が沢山いると聞いています。(中略)一方被災した方々もお互いが自然に助け合い、譲り合いの心を持ち続けました。やがて多少の物が販売されはじめると多くの方々が整然と列になって順番を待つ姿が海外のメディアやテレビに取り上げられ“日本人だからできた”“日本人だからできた奇蹟だ”と大きな賞賛を受けました。
震災後、天皇・皇后両陛下が被災地を行幸され、被災した国民一人ひとりの手を握られて温かい励ましのお言葉をお掛けになられました。固く冷たい床に避難した方々と同じようにお座りになってお話をされたり、被災現場で黙祷を捧げているお姿を多くの国民がテレビで見たことと思います。
このたび陛下がご病気で東大病院にご入院された折、一日も早いご快癒をお祈りするために皇居の坂下門に用意された記銘帳には北海道、岩手県、宮城県、福島県といった被災地の方々のお名前が沢山ありました。自分たちの暮らしがままならない中にあっても、天皇皇后両陛下に早くお元気になっていただきたい。多くの国民が敬愛の念を抱いている。そんなことこそ日本の姿、日本の国柄であり、日本人の心ではないでしょうか。ただ今の開催挨拶にありました「武士道」にもつながる。これが日本人本来の精神でもあります。(中略)
然しそれも戦後67年を歩む中で、誇り、自信、を失うような偏向した教育がなされ、強いては個人中心の考え方が生まれ、人と人とのつながり家族のつながりまでが希薄になったのであります。世界に誇るべくわが国古来の規範や道徳、日本人本来の精神性、などが衰えてきました。ただ今回の未曾有の大震災で国民の心に湧き上がった感情や思いが、自然な形となって表れた行動こそが、人と人との『絆』の大切さを世界に見せた日本人としての誇りではないでしょうか。(中略)
そして、我々日本青年社が取り組む運動には、「東京裁判無効を明らかにする署名活動」があり、かつて世界がうらやましがった日本の徳育教育の根幹である「倫理・道徳・品格の向上」があります。そして先人を敬うとともに、二度と忌まわしい戦争が起きることのない世界平和を祈ることで、戦後失われた日本精神復活を目指す「平和祈念公園」がタイ王国のカンチャナブリ県にありますが、日本の民族派が建立した「シントーパーク」として、今や世界に知られようとしています。
タイの外相は“このシントーパークを自国のみならず他国のことも思いやる精神は日本人の大変大きな美徳だ”と話しているそうです。こういうことも日本精神復活の足がかりであるかと思います。ですから日本青年社は今年の重点活動として、国民一人ひとりに向けた確かな啓蒙活動、いうなれば、日本青年社が進むべき社会的位置の確立と、存在を高める啓蒙活動に取り組むこととしますので、同志諸兄には心を一つにして努力邁進することをともに誓い合って私の代表挨拶と致します。」と、昨年の東日本大震災を振り返りながら、今こそ日本人は、戦後忘れ去ってきた日本人本来の崇高な精神を取り戻すべき時を迎えていると力強く挨拶した。
次の小林明全国社友会会長は挨拶で「先ほどから木村副会長と山本総局長が話したように、日本人としての魂は昨年の3月11日に起きた未曾有の大震災以降、冷静な判断と秩序ある行動に徹した日本人の姿が全世界でクローズアップされました。しかし一年経ってどうでしょうか。私の地元の山梨県では被災地のガレキ処理ができないそうです。そして各市町村にお願いしてみたらどうですというのが知事のお話でした。」と述べたあと「実は私の会社が昭和47年に大きな火災に見舞われたとき、本当に人の情けと温かさ、人の冷たさ、その両方を感じました。私の先代がそのときにわが社の社是として『受けた情けは石に刻め 掛けた情けは水に流せ』と言う言葉を掲げました。私もこの言葉を会社の社是として現在も掲げています。ところで皆さん。京都の大文字焼きでは福島県産の材木が使われているということで燃やすわけにはいかないといって中止になりました。しかし東北三県のガレキは放射能に汚染されていないはずです。津波に流されたガレキなんです。それをまだ日本全国でも市町村で処理しようと言うとこはまだ数ヶ所しかないんです。本当におかしな話です。日本はこんなことでいいのでしょうか。」と、被災地のガレキ処理が進まないことに憤りをこめて疑問を投げかけた。
また、本会議の重要テーマである「北方領土問題」については、杉山 洋会長補佐が平成21年に日本青年社が北方領土返還交渉を前進させることを目的のロシア訪問の現在までの経緯と、日本青年社が今後の北方領土問題解決に向けた方法論などを講演して会議は終了した。