日本青年社全国社友会
会長 小林 明

 只今、ご紹介いただきました小林でございます。

 過日、私も日本青年社の訪ロ団の一員と致しましてロシアを訪問してまいりました。まず第一に感じたのは、どこかの隣国と違いまして、ロシアという国は反日・抗日の教育はなされておりません。非常にフレンドリーで、またその話の中身が本当にフィフティーフィフティーで私も感動いたしました。そう言った中で考えますとこれから先、返還交渉については政治家、官僚にゆだねるというお話がありましたが、私はとんでもないことだと思います。やはり我々の国民の総意なのです。いかに我々の北方領土、実際に現地に行けばわかります。すぐそこにあるんです。こんなとこがどうしてロシアの領土なんだ。うちの庭なんですよ、泳げない私でも泳いで行けるところにあるんです。どうかこの現実、先ほど北海道根室代表の佐藤先生の悲痛な島民、また北方領土近海の皆さんのあの悲痛な声。

 また約10年前でしょうか、やはりこの場所で我々日本青年社の大きな運動である北朝鮮の拉致問題、横田めぐみさんのご両親が悲痛な叫びで我々に訴えておりました。私も同じぐらいの娘を持っておりまして、あの悲痛な叫びがまだ私の耳の中に残っているんです。これもやはり国民の総意なのです。早く返してもらわないと。とんでもない悪性国家に対して、我々日本青年社また全国社友会も一生懸命頑張っております。どうか皆さん、手を携え国民の総意として拉致問題、領土の返還問題、今後ますます私も頑張りますのでどうか宜しくお願いします。



日本青年社議員同志連盟会長
埼玉県久喜市議会議員
松村茂夫

 只今ご紹介を頂きました議員同志連盟会長を拝命しております松村茂夫でございます。

 先ほど杉山さんがお話しましたように、竹島は韓国に実効支配されております。日本の政府は日本の領土であると明言していながらも、不法占拠されているのが現実です。政府もマスコミも、そして議員も、解散だ、選挙だと頭にあるのは自分のこと、目先のことばかりでございます。国家100年の大計など夢のまた夢、国のことを考える国民の一人として、本当に血の涙がにじむような思いでございます。

 一方、先ほどのお話にもありましたけれども、尖閣諸島、大陸棚の海底資源、更には地政学的に見た戦略的位置の重要性、それらは竹島と比べてはるかに狙われる危険性が高いと言わざるを得ません。にもかかわらず軟弱外交の日本が、現在かろうじて領土として確保できている。それはなぜでしょうか。

 正に日本青年社が独自に灯台を建設して27年間も、犠牲をいとわず守り続けたからでございます。民族派・日本青年社の国家と国益に対する驚くべき貢献であると思います。これがなければ尖閣列島は竹島以上に危険な悲惨な紛争地となっていることは間違いありません。日本の政治と国民が冷静さと本来の姿をとり戻した時、道義国家の尊厳と品格を取り戻した時、歴史はこの日本青年社の大きな事業に改めて高い評価の光を当てるでありましょう。そして今、私たちは熟慮に熟慮を重ねた結果、大きな決断をもってロシア連邦と交流し、日ロ関係の改善に取り組んでいます。
 北方領土の問題を解決させ、合わせて日本の安全保障に貢献できる道は何か。

  日本の国益のためにはロシアとの関係はいかにあるべきなのか。民間の心ある民族派としてどんな役割を担うことができるのか、ロシア訪問を契機に確実な手ごたえを掴んでおりますけれども、ここ数ヶ月の日本の政局のあきれるほどの混迷は、肝心な部分の具体的な進展をロシアに逡巡させていると思います。不安定な麻生政権、そして過日の北方領土特措法の制定、なぜこの時期に突然こうなってくるのか、日ロ関係の進展や改善をはばもうとする動きすら危惧されるところでございます。国政のおろかな混乱で最後のチャンスを、最後の機会を失ってはならないと思います。私たちの出番だと思います。国民がうねりのように声を上げ、行動を開始すべきときが来たと思います。

 私が尊敬する冒険家の星野道夫さんは、アラスカの暮らしの中でこう言ってます。ぽつんとある小さな湧き水があちらにもこちらにもある。それが集まってやがて川となる。誰も止めることができないとうとうとした大きな大きな流れになる。あるいは中国のある本の中に、一片の詩があります。翻訳しますと、黒々として枯れてるのか生きてるのかわからないような梅の古木がある。寒い中で凛と一つの梅の花が咲いた。咲いたと思ったら二つになった。そしてそれが三、四、五と、たちまちいっぱいに咲いた。そういう詩でございます。

 慶応大学の名誉教授で、平成国際大学の名誉学長であります中村勝憲先生は、「而今(にこん)」と言う会を主宰しておられます。「而今」の而は而(しこう)して、と読みます。そしてという意味です。つまり「而今」とは而して今、そして今、という意味です。今を全力で生きるという意味でございます。私たちは誰もがこれまで多くの艱難と辛苦の中で頑張り続けてまいりました。自分を磨き続けてまいりました。その磨き上げた今の自分の全力を出して事にあたろ う。磨き上げたこれまで苦労してきたではないですか一生懸命、そして今がある。その磨き上げた自分の全力で今ことに当たろう。そういう意味が込められた「而今」でございます。

 私たちは同志です。祖国日本を愛し、国益を守る同志です。英霊に感謝し、犠牲の尊さを知っている国士です。今、一つの目標に向って小さな湧き水が、大きな大きな河になるように、一つの小さな梅の花が、万と咲くように、そんな時が来たと私は考えています。青年社の方々がいよいよ結集し、絆を強め一つの目的に向う時だと思います。体を大切にして新しい時代の幕を開けましょう。




議員同志連盟相談役
沖縄県石垣市議会議員
松川秀盛

 沖縄県石垣市議会の松川秀盛でございます。さて先ほどより7名の先生が違った分野、角度から詳細に噛み砕いた切実な真実の言葉を賜りました。正にその通りであり、益々青年社の皆様方の行動活動に対して共感共鳴を得ました。

 さて、戦後64年、太平洋戦争終結その直後、ソ連軍が北方領土、色丹島、択捉島、国後島、歯舞群島を占領し、現在ロシア連邦が実効支配しているものであります。1951年、サンフランシスコ平和条約や、1956年、日ソ共同宣言で色丹島、歯舞群島を返還することが発表されたが、その後1981年、北方領土の日を制定した。その間、田中角栄首相、ブレジネフ書記長が会談を行い、その後両国の首相、大統領と歴代のトップ会談が幾度となく行われましたが、何の進展もなく現在に至っていることは事実であります。このことを日本政府は国民への説明義務を放棄し、国民は政府に対して怒りが充満しているものと私は痛感しているものであります。このような現状の中、日本青年社の皆さんが、日ロ両国の間の膠着状態に陥っている北方領土問題解決と、日ロ新時代の扉を開くべく政府に成り代わり強固なる決意と使命感を持ち、31名の勇猛戦士を選任し、日本青年社松尾和也会長をはじめとする訪問団が、ロシアの外相や首相を務めたプリマコフ氏を表敬訪問。訪問慣例の言葉として、日本青年社の方々は国を愛する非常に魅力ある団体ですと賞賛をされたそうであります。

 双方で意思を主張する中、杉山団長が、北方四島は、日本の帰属であると強調し、双方の譲歩には隔たりはあるが柔軟な姿勢を見せ、日ロ関係はこれからも推進すべきとの見解を示し、大変有意義で和やかな会談となったとの、コメントが3月30日、朝日新聞出版の月間誌AERAに、3ページにわたり詳細に掲載されました。

 このように政治団体が、ロシアに赴き領土を実効支配する国家に、主権を主張することは画期的なことです。日本政府の首脳などが過去に団体交渉を持ったということは聞いておりません。日本青年社が的確に現実を見つめて、自らが難関に立ち向かい、果敢に戦う日本青年社の精神を、日本政府や国民は今からでも学ぶべきではないでしょうか。

 日本青年社の決死隊が昭和53年8月11日、日中平和条約調印式前日に魚釣島に上陸、灯台を建設し、灯火が島々を照らし、尖閣諸島は日本固有の領土であることと、近海を航行する船舶の道しるべとして大きく寄与したのであります。あれから31年が経過しました。今、政府防衛省は、与那国町長より自衛隊の誘致を受け、浜田防衛大臣は自ら与那国島に訪問をされました。このことは最も重要な意味を持つものであり、日本青年社が国内外に発信していた尖閣諸島を日本の領土として、しっかりと近隣諸国に表示したことを、日本政府は、受け止め、しっかりした認識を持って行動すべきだと私は思います。

 日本青年社がおこなった今回のロシア訪問は歴史の幕を開け、新時代を築く。スローガンを掲げて強行スケジュールのも、領土返還の突破口となり、礎となる手本を日本政府に認識せしめた31名の先生方に厚くお礼を申し上げると共に敬意を表する次第でございます。

 石垣においても北方領土問題は、石垣の行政区域であります尖閣諸島と同じく関心を深く持ち、そしてさらには石垣島の住民1人ひとりがこの問題を新たな決意を持って認識を持つ。そして皆様と共に行動する。そしてこの新しい2一世紀に向けた日本青年社の皆様方の英知と卓越したご見識をもって、この厳しい山積する問題を持つ日本国の建設に皆様方とともに頑張っていく。そしてこのことが新しい日本の将来のビジョンとそして構築された日本国建設ができることを、私は強く確信するものであります。