奄美大島の環境保護運動と 美術館に展示された街宣車



平成16年6月17日
日本青年社 鹿児島県支部幹事長
 大山 英人


 私たちは、昨年9月から《平成16年9月(約10日間)、11月(約20日間)、平成17年2月〜5月(約110日間)》現在に至るまで、奄美の黒ウサギと猛毒蛇のハブで有名な鹿児島県奄美大島において「自然と共生 環境と調和」のスローガンの下に野営をしながら島民の日常生活に密着した様々な問題を取り上げた活動に取り組んでいます。


 奄美大島は鹿児島県から約400kmの洋上に位置し、船便を利用すると鹿児島港から約11時間かかりますが、亜熱帯常緑広葉樹林が茂る緑豊かな大自然は日本最後の世界遺産になるのでは、と言う声が聞こえるくらい素晴らしいところであります。然し、そのような奄美大島は現在県外からきているマグロ養殖業者による著しい海洋汚染と地元建設会社や産業廃棄物業者による不法投棄によって島民が長きにわたって苦しんできました。そのような折の昨年七月、私どもに一通の手紙が届きました。手紙の内容は「ミュージシャンはじめちとせ等が奄美の島唄を広めたことによって全国から注目されつつある奄美大島が大変なことになっている。それは奄美大島は地元の業者・行政・議員の癒着が酷く、一握りの企業が繁栄を続けているために、地元では貧富の差が激しく島民がその事を問題にすると報復的に仕事が奪われたり、村八分にされるという正に治外法権のようになっている。また海洋汚染は特に酷く祖先から受け継いだ自然環境は敢然に破壊されつつある」との事でした。


 そこで私たちは現地の実態調査を二ヶ月間行いましたが、奄美大島は戦後民族派が数回しか入っていない事が明らかになりました。私たちは、奄美大島の環境破壊に関する様々な問題に警鐘をならすために昨年九月にフェリーで奄美大島入りしてを以来、現在まで現地において連日自然環境を保護する大切さを訴える活動に取り組んでいますが、そのような折の2月9日に日本青年社が、昭和53年から27年間にわたって守り続けてきた尖閣諸島魚釣島の灯台を国に移譲するという国家的な偉業がありました事から、ただちに号外を作成して配布し、海洋国家であるわが国において領土問題が如何に重要であるかについても広く訴えました。


 私どもには現在も、奄美大島を含む奄美群島の島民から週に数件のFAX、手紙、電話等による涙の投書が寄せられていることから、これからも奄美群島島民の不平等、不公平などの改善と是正を訴えるとともに、奄美の豊かな自然環境保護運動に取り組んで行きたいと考えています。
 また2005年1月6日付けの南海日日新聞に、日本青年社の街宣車の絵が掲載されていると島民から連絡があったので調べてみると、鹿児島県奄美パーク田中一村記念美術館で開かれている個展に、街宣車の絵が飾られていました。タイトルは「うよく」となっており、田中一村の影響を受けた養護学校に通う12歳の少年の作品でした。

  展示されている絵は数多く(数十点)ありますが作品の中にある北朝鮮の船の背景が闇夜に浮かぶ三日月が、怪しさを象徴しているのに対して街宣車の背景は、澄み切った青空だったのが印象に残りました。
田中一村【たなかいっそん】(1908〜1977)
  日本画家。栃木県生まれ。1926年東京美術学校に入学するが、結核のため同年退学。画壇より離れて独自の日本画を制作。1958年奄美大島へ移住。熱帯植物を豊かな色彩でダイナミックに描いた。没後の1984年にテレビの美術番組で特集され、一躍人々に知られるところとなり、その孤独の生涯が舞台化された。
鹿児島県奄美パーク田中一村記念美術館のHP