わが国は、戦後半世紀有余を経過する中で、激動の昭和から平成ヘ、そして20世紀から21世紀へと時は移り変わりました。当然のことながら、我々はこの間、右翼の名のもとに反ソ・反共運動から領土問題、教育問題、憲法問題等など、数々の運動に取り組んできました。
だが然し、わが国が平成の御代を迎えると同時にソ連邦が崩壊した、世界の二極体制は終焉を迎え、その後の国際社会の縮図は大きく変わりました。
このように激動する国際社会の中にあって、戦後誕生した大多数の右翼は、正に「木を見て森を見ず」の例えのように、旧態依然の右翼概念を引き摺り続け、活動方針や体質改善を図ってこなかった結果、近年は国民大衆との間に大きな乖離をつくりだしてしまったことは否めません。
また、「脱皮できないへビは死ぬ」という諺があるように、旧来の右翼の概念から抜け出すことのできない大多数の右翼は、今や、その存在すら失っているのではないでしようか。
そのような世情の中で、我々日本青年社は、いち早く「右翼民族派改革元年」という、建設的かつ斬新な大スローガンを打ち立て、日本の末来はもとより世界未来を展望する民族派に生まれ変わりました。
更にこれからは、21世紀の末来を展望する日本青年社は、全国の民族派の先兵として、旧来の右翼が新しい感性を持ちえる民族派に覚醒させる責任があり、そこに日本民族派統合の役割を果たすべく強い求心カを発するのが武蔵野山「憂国烈士之城」なのてあります。
『憂国烈士之城』は、全国の右翼が日本の民族派に生まれ変わり、新しい感性と豊かな理性を兼ね備え思想集団として全国統一を果たすための大きな求心カ的役割を果たす聖地として、また地域社会はもとより、多くの国民大衆に民族派の存在を認知していただくとともに、その存在を永遠に語り継ぐ聖地となるべく思いと深い意義が込められています。
なお、日本人は世界の中で、最も情緒が豊かな、侘寂(わびさび)の分かる民族であり、古来より互譲の精神を内に秘めている崇高な民族だと言われています。常に平和を保たなければならない21世紀の国際社会においても最も必要なことは、正に、民族・国家間における互譲の精神が必要であり、この互譲の精神を我が日本に蘇らさせ、その精神を日本から世界に発信するのが我々民族派であり、その中心は民族派統合の象徴が、武蔵野山「憂国烈士之城」なのであります。
日本青年社
「憂国烈士之城」
建立実行委員会