ご 案 内
=== 『平和祈念慰霊碑』建立から     
     『平和祈念公園』に至る歩み=====

 私達はこの“聖地”を後世に語り継ぐため、アジアの大地から世界に向けての永遠の平和を祈る「平和祈念公園」完成に至りました。

 私達「アジア和平日本委員会」は設立以来、アジアの安定と平和を希求し活動しており、タイ王国政府とは多岐に亘る活動を展開してきました。

 一方、今日の我が国繁栄の陰に、祖国日本の為に尊い命を散華した何百万同胞の犠牲があったことを、片時も忘れることなく、その殆どの遺骨が未だ祖国の土に帰ることなく、異国の地に曝されていることを思うと、当委員会としては、何を為すべきか‥‥‥遺骨収集を為し得ないまでも、彼の地に眠る英霊に対し感謝と供養の意を捧げるべきではないか。

 終戦後50周年を迎える、平成7年を機に、タイ政府をはじめ、タイ国内に影響力を持つ僧門等と折衝を重ね、ビルマ戦線の要所となり、日本軍総勢30万3500人が動員され18万5000人の将兵が戦死していったカンチャナブリ近辺、とりわけ「戦場にかける橋」で有名なクワイ河周辺に「平和祈念慰霊碑」の建立を計画。タイ側の要請もあり、国家、民族を超えて、大戦の犠牲となった、全ての戦没者を慰霊し、永久平和を祈念する牌を建立することで合意を得たのであります。

 一念発起、憂国の同士諸兄はじめ多くの賛同者、諏訪大地主神社宮司等の、大いなる熱意に支えられ、平成7年12月1日、カンチャナブリの地において、日本から同行した神官により「平和祈念慰霊碑」の前で招魂の儀が厳粛に挙行され、日本人120人余人、タイ政財界の重鎮および高僧等、関係者300人の見守る中、盛大なる式典を迎えることが出来ました。

 その後、計画は、第二期、第三期「神道平和祈念公園」の完成へと歩みを進めて参ったのですが、その間、不測の事態によって公園施設断念の危機に遭遇し、然し、我々の熱意と、タイ側の協力により、建設敷地を変更し、現在の3000坪敷地を得て、見事に危機を脱出、第三期工事を完成、平成9年12月1日の大祭の慶賀を関係者一同享受することが出来たのです。

  私達はこの“聖地”を後世に語り継ぐため、アジアの大地から世界に向けての永遠の平和を祈る「平和祈念公園」完成に至りました。

 伏せて、今後とも御賛同、御協力、御支援の程宜しく御願い申し上げます。


アジア和平日本委員会